はじめに
十字架のわずか数時間前、イエスは驚くべき選択をされました。独りで退くのでもなく、大演説を準備するのでもなく、パリサイ人と決着をつけに行くのでもありません。弟子たちと共に食卓に着かれたのです。この受難日に、ガブリエル・ヒメネスはルカ22章に私たちを連れ戻し、十字架の前に心を開き、一人ひとりを食卓に招くイエスの姿を見せてくれます。十字架は最終目的ではありませんでした。関係を回復するために必要な通過点だったのです。
メッセージの概要
1. 十字架の数時間前の不思議な招き
- イエスは途方もない重荷を負っておられますが、それでも弟子たちをご自身より先に置くことを選ばれます。
- 退いて孤独の中で魂を整えることも、パリサイ人と決着をつけることもできたはずです。しかし、親密さと関係を選ばれました。
- 友人たちとこの瞬間を分かち合いたいと願い、来たる試練に備えるために彼らを最後まで愛されました。
- 今日もなお、イエスはあなたをこの食卓に招いておられます。
2. この食卓でイエスは神の心を明かされる
- ご自身を与える神:「これはあなたがたのために与えられるわたしのからだです。」意図的で自発的な愛、決して強いられたものではありません。
- へりくだる神:主人がしもべとなり、弟子たちの足を洗い、世の汚れから私たちをきよめに来てくださいます。
- 私たちをもっと近くに招く神:ヨハネはイエスの胸に寄りかかって横たわっています。なんという素晴らしい親密さでしょう。
- 十字架は最終目的ではありませんでした。避けられない本質的な通過点でしたが、イエスの本当の願いは関係と親密さです。
3. この食卓でイエスはご自身のいのちを私たちに分け与えられる
- 食卓は眺める絵画ではありません。体験すべきものであり、イエスご自身がそのいのちを分け与えてくださるのです。
- 「完了した。」イエスは未来形では語りません。わたしのからだは与えられ、わたしの血は注がれる。そのみわざは成し遂げられ、完全です。
- 赦しは完全で、最終的で、取り消されることがありません。何も付け加える必要はなく、何も獲得する必要はありません。
- イエスご自身がパンを裂き、杯を分かち合われます。宗教を創設するために来られたのではなく、関係を回復するために来られたのです。
4. 今日、イエスの招きを受け入れる
- この招きの前でもっとも理にかなった行動は、受け入れて食卓に来ることです。
- あなたに対する神の無条件の愛のより大きな啓示を受け取りましょう。
- 完全な赦しの確信、からだと魂の癒やし、キリストの満たしを受け取りましょう。
- 今日、犠牲を記念して、日曜日に復活された方の新しいいのちに入りましょう。
要点のまとめ
- イエスは何も受動的に耐えたのではありません。意図的な愛の中で、自発的にいのちを与えることを選ばれました。
- 十字架は最終目的ではありませんでした。父との関係を回復するために必要な通過点でした。
- 食卓で、主人はしもべとなられます。へりくだり、洗い、最後まで愛されます。
- みわざは成し遂げられました。赦しは完全で、最終的で、取り消されることがありません。何も付け加える必要はありません。
- イエスは宗教を創設するために来られたのではなく、ご自身のいのちを分け与える関係を回復するために来られました。
個人的な適用
- 今日のあなたにとってイエスはどのような方ですか?遠い方、厳しい方、それとも近くて親密な方ですか?
- 自分の行いによって神の食卓の席を勝ち取ろうとしている部分がまだありますか?
- 赦しが完全で、最終的で、取り消されないと本当に信じたら、あなたの人生はどう変わりますか?
- この受難日に、どのレベルの親密さでイエスを迎え入れたいですか?
- 聖餐を思い起こすとき、今日イエスから何を受け取りたいですか?その愛、赦し、癒やし、いのちのどれですか?
引用された聖句
- ルカ 22章14-20節 ·、過越の食事
- ヨハネ 13章1節 ·、イエスは最後まで自分の者を愛された
- ヨハネ 13章4-5節 ·、イエスが弟子たちの足を洗われる
- ヨハネ 6章54-56節 ·、わたしの肉を食べる者は永遠のいのちを持つ
- ローマ 6章4-5節 ·、キリストと共によみがえり、新しいいのちに歩む
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よくある質問
なぜイエスは十字架刑の直前に食事の場を設けることを選ばれたのですか?
イエスの深い願いは、死んで去ることではなく、関係を回復することだったからです。弟子たちと食卓に着くことで、イエスはご自分の心の奥底にあるのが宗教的なパフォーマンスへの願いではなく、親密さへの願いであることを示されました。友人たちをご自身より先に置き、最後まで彼らを愛し、何世紀にもわたって私たちをご自身の近くに招き続ける食事を制定されたのです。
聖餐は私のクリスチャン生活を具体的にどう変えますか?
聖餐は守るべき儀式ではなく、体験すべきものです。あなたが食卓に来るたびに、イエスご自身があなたにいのちを、赦しの確信を、癒やしを、満たしを分け与えてくださいます。大切なのはあなたが持ってくるものではなく、イエスが与えてくださるものです。十字架の真理があなたの心に根を下ろすのはここです。完了した、成し遂げられた、あなたは愛されていると。
「赦しは完全で、最終的で、取り消されない」とはどういう意味ですか?
父なる神の心で決定が下され、御子によって実行され、聖霊によって有効にされたとき、宇宙にこれほど確かなものは他にないということです。何も付け加える必要はなく、何も獲得する必要はありません。あなたの主に受け入れられるために戦う必要は二度とありません。十字架は、あなたのその食卓の席を永遠に確定させたのです。
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