マルコ5章:群衆を突き抜けてイエス様に触れる信仰

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はじめに

「もう終わりだ」と、すべてがあなたに叫びかけてくる朝があります。十二年間ずっと続いている苦しみ、できることはすべて試した、持っていたものもすべて使い果たした、それでも何も変わらない。あるいはもっと厳しい状況、あなたの娘が今まさに死のうとしていて、周りの誰もが最悪の結末を待っている。マルコによる福音書5章21節から43節の舞台です。同じ日、同じ群衆の中にいる二人の人物。十二年間出血が止まらない女性。十二歳の娘を失おうとしている父親。そして、その騒がしさの真ん中で、イエス様は急かされることなく、一つの手に気づき、こう言われます。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。このメッセージは、この箇所を通して、シンプルなことをあなたに伝えたいと思います。今日、あなたの信仰は群衆を突き抜けて、イエス様に触れることができるのです。

メッセージの構成

1. 騒がしさの真ん中にいるイエス様:平安を保つお方

  • イエス様は湖を渡り終えたばかりでした。疲れきった一日を過ごされたあとです。奉仕をし、パリサイ人たちと対立し、次々と願いを浴びせられました。群衆はすでに岸辺で待っていました。
  • 21節「群衆がみもとに集まって来た」とあります。イエス様は群衆に飛び込んでいくのではなく、感情に流されて走ることもなく、ご自分の平安を保っておられます。
  • 今日、あなたの感覚は絶えず刺激にさらされています。通知、悪い知らせ、他人の意見、悪魔があなたの頭の中で繰り返すささやき。イエス様がそうされたように、あなたも仕える前に自分を整えるよう招かれています。あなたの平安はぜいたく品ではなく、あなたの力の源なのです。
  • その平安を与えてくれるのは、周りの静けさではありません。どこに目を向けているか、誰の声を聞いているか、誰に答えているか、それが鍵なのです。

2. ヤイロ:優先順位が評判を黙らせるとき

  • ヤイロは地元の会堂司でした。一般的に、会堂の指導者たちはイエス様をあまり快く思っていません。彼らはイエス様を観察し、批判し、わなを仕掛けていました。
  • それでもこの人は、イエス様の足もとにひれ伏します。「人々に何と思われるだろうか」とは考えません。彼はこう思ったのです。「娘が死にかけている。この方が神の人であれば、娘を癒してくださるだろう。そうでなければ、癒してくださらないだろう。それで結論が出る」。
  • 彼の優先順位は、宗教的な偏見や社会的な立場よりも上にありました。緊急事態の中にいるとき、人は本当に大切なものを見分けるようになります。
  • あなたもある状況の中で、「人がどう思うか」を脇に置いて、イエス様を求めに行かなければならないときが来ます。奇跡は多くの場合、そこから始まるのです。

3. 十二年間出血が止まらない女性:過去を振り返らない信仰

  • 十二年間、彼女は苦しみ続けていました。多くの医者にかかり、多くの苦しみを経験し、持っているお金をすべて使い果たしましたが、「何のかいもなく、かえってますます悪くなるだけであった」(26節)のです。
  • 彼女もまた、長年にわたって悪い知らせばかりを受け取ってきました。自分の力ですべてを試し、病を止めようとしました。あちこち走り回りました。
  • そのとき「イエスのことを聞いて」(27節)、一つの真実な言葉が、これまでのどんな失望も消せなかった信仰を呼び起こすのに十分だったのです。
  • 彼女はこう思いました。「せめてお着物にでもさわることができれば、癒していただけるだろう」。彼女は自分の失敗にも、何もできなかった医者たちにも、何も変えられなかった人々にも目を向けません。彼女はイエス様だけを見つめます。
  • 過去によって自分を定義することを拒む信仰。あちこちから押し合う群衆の真ん中で、イエス様が気づかれる信仰です。

4. 「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」:イエス様はあなたのために立ち止まられる

  • 「イエスは、すぐ自分の内から力が出て行ったことに気づき」(30節)ました。そのまま道を進むこともできたはずです。それでもイエス様は立ち止まることを選ばれました。
  • 弟子たちは理解できません。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていながら、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。多くの人が肉体的にイエス様に触れていましたが、信仰によって触れたのはただ一人でした。
  • その女性は震えながらイエス様の足もとにひれ伏し、すべての真実を話しました。イエス様は彼女を名もなき存在のまま帰らせたりはされません。彼女をこう呼ばれます。「娘よ」。そして彼女が経験したことを認めてくださいます。「あなたの信仰があなたを救ったのです」。そして平安のうちに送り出されます。「安心して行きなさい。もう病気にかからず、いやされておりなさい」。
  • あなたの信仰は霊的な離れ業ではありません。それは、イエス様の力とあなたの必要をつなぐ橋です。あなたが手を伸ばすとき、イエス様は立ち止まってくださるのです。

5. 「恐れないで、ただ信じなさい」:悪い知らせを突き抜ける信仰

  • イエス様がまだその女性に話しておられる間に、ヤイロの家から使いの者たちがやって来て言います。「あなたの娘さんは死にました。なぜ、これ以上、先生を煩わすのですか」。この知らせは、まさに信仰が動き出そうとする瞬間に割り込んできます。
  • イエス様はその知らせの論理に付き合われません。「それでも一応祈りましょう」とは言われず、ヤイロにこう言われます。「恐れないで、ただ信じていなさい」。
  • あなたのところにも、「もう終わりだ、これ以上神様を煩わせるな」と言ってくる使いの者たちが現れる瞬間があるでしょう。あの日イエス様が語られた言葉は、今日のあなたにも同じように語られています。恐れないで、ただ信じなさい。
  • 信仰とは、現実を否定することではありません(子どもは本当に死にかけていましたし、女性は本当に出血していました)。信仰とは、どんな声よりもイエス様の言葉を上に掲げ続けることです。

6. 信仰のとりで:ペテロ、ヤコブ、ヨハネ

  • ヤイロの家に着くと、イエス様は「ペテロ、ヤコブ、およびヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれも自分についてくることをお許しにならなかった」とあります。泣き騒ぐ人々や嘲る人々は外に残されました。
  • 試練を通るとき、あなたにも「信仰のとりで」となる人々に囲まれることが必要です。すべてを終わったことのように繰り返す人ではなく、です。ある種の人間関係は、距離を置いてよいのです。うまくいっていないことばかりを何度もあなたに思い出させる人たちです。
  • 家族や身近な人たちを、いつも切り離せるわけではありません。しかし、大切な決断を誰と一緒にするか、自分の戦いを誰に打ち明けるか、誰を部屋の中に招き入れるかは、あなたが選ぶことができます。
  • イエス様はそれをあなたのために示してくださいました。戦いの中では、みんなが埋めてしまったものを神様がよみがえらせることができると信じている人たちに囲まれなさい、と。

7. 「タリタ、クミ」:イエス様が死に対して最後の言葉を持っておられる

  • 「子どもは死んだのではない。眠っているのです」。周りの人々はあざ笑いますが、イエス様は気にも留められません。
  • イエス様は少女の手を取り、こう言われます。「タリタ、クミ」、これは「少女よ、あなたに言う、起きなさい」という意味です。少女はすぐに起き上がり、歩き始めました。彼女は十二歳でした。
  • 十二年間、女性は出血していました。十二年間、少女は生きてきました。同じ数字が、信仰によって縫い合わされる二つの物語をつないでいます。
  • イエス様はこのことを誰にも知らせないようにと言われたあと、とても具体的なことを付け加えられます。「あの子に食べる物を与えるように」。奇跡は日常的な世話を不要にはしません。あなたはただの見物人であり続けるためではなく、生きるためによみがえらされたのです。

覚えておきたいポイント

  • イエス様は騒がしさの真ん中でご自分の平安を保たれ、仕える前にあなたにも同じようにするよう教えてくださいます。
  • あなたの優先順位は、あなたの評判を黙らせることができます。ヤイロは会堂司でありながら、イエス様の足もとにひれ伏しました。
  • あなたの信仰は、あなたの過去によって決まるものではありません。十二年間の失敗も、この女性が手を伸ばすことを妨げませんでした。
  • 「もう終わりだ」と告げる「使いの者」が来るとき、イエス様の言葉は変わりません。「恐れないで、ただ信じなさい」。
  • 信仰のとりでに自分を囲みなさい。戦いの中では、誰もが部屋に入ってよいわけではありません。

個人的な適用

  1. 今日、あなたの平安を奪っている騒がしさ(通知、他人の意見、思い煩い)は何ですか。イエス様のようにご自分の平安を保つよう招かれているのに。
  2. あなたが守ろうとしている評判や立場、イメージがあり、それがイエス様の足もとにひれ伏すことを妨げていないでしょうか。
  3. あなたはどんな過去の失敗を、もう神様に何も期待しないための言い訳として信仰に持ち出していますか。あの女性のように「せめて触れさえすれば」と言ってみたら、何が起こるでしょうか。
  4. 今、あなたはイエス様の「恐れないで、ただ信じなさい」という言葉よりも、どんな「使いの者」の声に耳を傾けていますか。
  5. あなたの信仰のとりでを構成しているのは誰ですか。反対に、この季節、誰と距離を置く必要がありますか。拒絶するのではなく、ただ部屋には招き入れないという形で。

引用された聖句

よくある質問

「信仰によってイエス様に触れる」とは、具体的にどういうことですか

それは特別に霊的な人だけに許された神秘的なしぐさではありません。マルコ5章の女性は、もう限界のところまで来ていました。十二年間の病気、お金も尽き、選択肢もない。彼女にとって信仰によってイエス様に触れるとは、たった一つのシンプルな言葉を自分に言い聞かせること(「せめてお着物にでもさわることができれば、癒していただけるだろう」)であり、群衆の中でそれを実際の行動に移すことでした。あなたにとってそれは、誰にも聞こえない祈りかもしれませんし、職場での心の中の叫びかもしれませんし、賛美の間に伸ばした手かもしれませんし、病院のベッドの底から絞り出す「主よ、どうか」という言葉かもしれません。大切なのは、あなたの信仰の大きさではなく、それが誰に向けられているかです。

ヤイロの娘を助けに急いでいるのに、なぜイエス様は立ち止まられたのですか

それは、イエス様にとってその女性と少女が同じ価値を持っているからです。イエス様は社会的な立場によって人を選り分けたりはされません(ヤイロは会堂司であり、女性は病のために汚れた者として社会から締め出されていました)。「あなたのことは後で対応する、今は緊急事態だから」とは言われません。立ち止まって「娘よ」と声をかけられます。彼女を平安のうちに送り出す前に、その尊厳を回復してくださるのです。そしてその間も、イエス様はヤイロの状況を担い続け、やがてこう言われます。「恐れないで、ただ信じていなさい」。イエス様の計画の中で、余計な人など一人もいません。あなたも例外ではありません。

「もう終わりだ」と告げる「使いの者」が来たとき、どう耐えればよいですか

そうした使いの者たちは、とても決まったタイミングでやって来ます。「イエスがまだ話しておられる間に」です。悪い知らせが襲ってくるのは、ほとんどいつも、祈りの最中、約束の最中、礼拝の最中です。イエス様はその事実を否定したり、あれこれ論評したりはされません。ただヤイロの視線を向け直させます。「恐れないで、ただ信じていなさい」。具体的には、こういうことです。あなたの信仰をイエス様の言葉から切り離して、使いの者たちの声につなぎ変えてはいけません。信仰のとりで(ペテロ、ヤコブ、ヨハネのような、あなたと共に信じてくれる人たち)に囲まれてください。そして、周りの人がすでに泣き始めていたとしても、あなたはその部屋に向かって歩き続けてください。

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