はじめに
礼拝が出発点ではなく、立ち返りの時となる日曜日があります。リバイバルキャンプの後、インパクト・センター・クレティエン教会の会衆は、感謝の礼拝を献げるためにモントリオールに集まりました。新しい経験を積み重ねるためではなく、立ち返るためです。自分に触れ、癒やし、変えてくださった方のもとへ立ち返るためです。使徒イヴァン・カスタヌーは、ルカによる福音書17章に記されている十人の重い皮膚病の人たちの物語を思い起こさせました。九人は癒やされたまま去っていき、ただ一人だけがひれ伏すために戻ってきました。キャンプは終わりました。残された問いはシンプルです。あなたはあの一人の側にいますか、それとも九人の側にいますか。
この礼拝は、あなたがキャンプに参加していなくても、今日受け取ることのできる御言葉を開きました。三つの段階から成る御言葉です。感謝を伝えるために立ち返ること、古き道を再発見すること、そして何よりも先に神にあなたの心を扱っていただくことです。
この記事の構成
1. 感謝を伝えるために立ち返る、戻ってきた重い皮膚病の人の原則
セレスタン牧師は、会衆全体の心に残る一言でこれをまとめました。「あなたが感謝を献げるとき、あなたは別の御言葉を受け取ります。」感謝は霊的な礼儀作法ではありません。それは一つの経路です。あなたが立ち止まる時間を取り、神がなさったことを具体的に言い表し、声に出して感謝するとき、天はあなたに応え、新しい御言葉、新しい恵みを解き放ってくださいます。
詩編89編はすでにこう宣言しています。「わたしはとこしえに主の慈しみを歌い、代々にその真実を口で告げ知らせます。」感謝は一時的なものではなく、一つの生き方です。そして、この生き方こそが、神がなおも成し遂げようとしておられることを動かしていきます。
ルカによる福音書17章では、十人の重い皮膚病の人が癒やされます。しかし戻ってきたのはただ一人でした。イエスは驚いて言われます。「十人とも清くされたではないか。ほかの九人はどこにいるのか。」その日、イエスは戻ってきた人にこう付け加えられました。「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」九人は体の癒やしを受け取りました。しかしその一人は、それに加えて、救いの御言葉を受け取ったのです。これが、立ち返ることによって生まれる違いです。
2. 急ぎすぎない、申命記の原則
神との強い時間の後には、すぐに次のことへ移りたくなる誘惑があります。しかし主は反対に、立ち止まり、もう一度聞き、繰り返すようにと招いておられます。申命記という言葉は、ギリシャ語で文字通り「律法の繰り返し」を意味します。イスラエルの民が約束の地に入る前に、神はモーセにこう求められました。「わたしがあなたに語ったことを、彼らに繰り返し語りなさい。」
キャンプで、賛美の時間で、説教の中で、あるいは祈りの中であなたが聞いたことを、そのまま消え去らせてはいけません。その御言葉にしっかりと留まってください。それを黙想の材料にしてください。もう一度聞いてください。書き留めてください。神は一度語られたことを繰り返し語ることを喜ばれます。多くの場合、御言葉が根を張るのは、二度目、三度目に聞くときなのです。
3. 三日あれば十分、復活の論理
「三日というのは、確かに大した長さではありません。しかし、復活のためには三日で十分なのです。」これが、使徒が会衆の上に宣言した言葉です。キリストが墓から出てくるのに三日で十分でした。神にとっては、運命を、健康を、考え方を、性格を、家庭をよみがえらせるのに三日で十分なのです。
あなたに必要なのは、何年も続く奇跡ではありません。あなたに必要なのは、三日で状況を一変させてくださる神です。詩編126編はこう描いています。「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られたとき、わたしたちは夢を見ている者のようであった。」違いは、この三日間を経たあとに、あなたはもう「まるで夢のようだった」とは言わなくなるということです。あなたはこう言うでしょう。「それは現実になった夢だった」と。
4. 古き道に立ち返る(エレミヤ書6章16節)
「道の傍らに立って、眺めよ。昔からの道について、尋ねよ。どれが良い道か、と。そこを歩けば、あなたがたの魂に安らぎが見いだせる。」(エレミヤ書6章16節)
この御言葉は、驚くほど今日的です。誰もが道を探しています。誰もが「どうすればいいのか」と自問しています。あなたの内側では、今生きている以上のものがあることを知っています。しかし、古き道を知らないと、結局は新しい道をまねることになります。インスタグラム、ティックトック、はかない手本、実体を伴わずに見栄えだけの人たちです。
古き道とは、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ、ダニエル、エステル、デボラ、ダビデ、パウロ、ペトロ、ヤコブ、ヨハネが歩んだ道です。それらが「古い」と呼ばれるのは、SNSがはるか昔から存在していたからです。それは、献身と信仰と謙遜と聖さの道です。そこを歩んでください。そうすればあなたの魂は安らぎを見いだします。
5. 「する」より先に「である」、「持つ」より先に「する」
わたしたちの世代は、人格を整える前に預言したがります。品性を持つ前に、目覚ましい働きをしたがります。しかし聖書は順序を定めています。まず「である」こと、それから「する」こと、そしてその後に「持つ」ことです。人々が本当に感嘆するのは、その人が持っているものではありません。その人がどのような人物になったか、です。
「するより先に、であらねばならない。持つより先に、しなければならない。」アイデンティティが行動に先立ち、行動が所有に先立ちます。そして、すべてはあなたの心から始まります。
6. 心こそ唯一の真の土台(サムエル記上16章7節、箴言4章23節)
「主が見るところは、人とは異なる。人は目に映ることを見るが、主は心を見る。」(サムエル記上16章7節)
「何を守るにもまして、あなたの心を守れ。そこから命の泉が湧き出るからだ。」(箴言4章23節)
神があなたの人生を築かれるとすれば、その土台の上に築かれます。あなたは大きな教会を建てることも、病人を癒やすことも、預言することもできるでしょう。しかし神は常に、心の動機を見ておられます。素朴で、謙遜で、従順で、人に仕える心、自分の存在と持ち物の最良のものを差し出す心。それこそ神が求めておられるものです。
7. 神に渇き求める心、ダビデが理解していたこと
「わたしはエッサイの子ダビデを見いだした。彼はわたしの心にかなう者で、わたしの望むことをすべて成し遂げるであろう。」(使徒言行録13章22節)
ダビデ自身が「自分は神の心にかなう人物だ」と言ったのではありません。そう言われたのは神ご自身です。ダビデは虐げられ、兄たちに軽んじられ、父親にも忘れられていた子どもでした。今日であれば、児童福祉の支援対象になるような少年です。それでも神は彼を見て、こう宣言されました。これこそわたしの心にかなう人物だ、と。
なぜでしょうか。荒れ野に追いやられ、羊の番をさせられていたダビデは、不平を言う代わりにこう心に決めたからです。「主よ、わたしはあなたを知りたいのです。」それが彼の合言葉でした。彼は完璧な人間ではありませんでした。しかし彼は神を切に求めていました。神に渇き求める心とは、完璧な心のことではありません。それは、主を敬うために自分の肉を十字架につける覚悟のある、決意した心のことです。
ヨセフにはエジプトで教会がありませんでした。牧師もいませんでした。賛美チームもいませんでした。それでも彼はどうやってポティファルの妻の誘いに抵抗できたのでしょうか。「どうしてこのような大きな悪事を行い、神に対して罪を犯すことができましょう。」(創世記39章9節)彼には神への意識があり、神を敬いたいという願いがありました。それだけで十分だったのです。
8. 神への渇望が変化を生み出す、祈りだけではない
「回心と変化をもたらすのは、神への渇望です。祈りだけではありません。」多くの人が、神を渇き求めることなく祈っています。神の心を求めることなく、油注ぎだけを求めています。しかし、神の心を見いだすことなく油注ぎを見いだすことは可能であり、そこから悲劇が始まります。力強い働きをしながらも、金銭欲、貪欲、放縦によって品性がゆがめられてしまうのです。
ですから、まず問うべきことは「どうすればもっと受け取れるか」ではありません。問うべきことは「わたしはどれほど神ご自身を求めているか」です。渇いた心は、他のすべてを自然と受け取っていくのです。
覚えておきたいポイント
- 神との強い時間の後には、感謝を伝えるために立ち返りましょう。戻ってきた重い皮膚病の人は、他の九人が受け取らなかった御言葉を受け取ります。
- 聞いたことを埋もれさせてはいけません。申命記の原則を実践しましょう。もう一度聞き、繰り返し、黙想し、心に根付かせるのです。
- 神にとっては、三日で十分です、状況、健康、家庭、運命をよみがえらせるために。
- 古き道を歩みましょう(エレミヤ書6章16節)。聖書の手本は、インスタグラムの手本よりも今なお信頼できます。
- 目立つことを追い求める前に、自分の心を整えましょう。それこそ神が唯一考慮される土台です。
- 神に渇き求める心になりましょう。ダビデが完璧ではなかったにもかかわらず「神の心にかなう人物」となったのは、そのためです。
自分への適用
- あなたが最近経験した、神との強い時間は何でしたか。あなたは立ち返って感謝を伝える時間を取りましたか、それとも九人の重い皮膚病の人たちのように次のことへ進んでしまいましたか。
- ここ数か月、神はあなたのどんな点に注意を向けさせましたか。あなたはその御言葉を二度、三度と聞くことを受け入れましたか、それとも埋もれさせてしまいましたか。
- あなたの人生のどんな状況が「三日でのよみがえり」を必要としていますか。神がそれを一変させることができると信じる備えはありますか。
- 今、あなたの人生を鼓舞している手本は誰ですか。インスタグラムの人物たちですか、それともアブラハム、ヨセフ、ダビデ、パウロといった「古き道」の人物たちですか。
- 今週、神はあなたの心のどの具体的な点、謙遜、従順、聖さ、奉仕を扱おうと招いておられますか。
引用された聖句
- 詩編122編1節 · 「主の家に行こう」と人々がわたしに言ったとき、わたしは喜んだ。
- 詩編89編2-3節 · わたしはとこしえに主の慈しみを歌います。
- 詩編126編 · 主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られたとき。
- エレミヤ書6章16節 · 昔からの道について尋ねよ。
- サムエル記上16章7節 · 主は心を見られる。
- 箴言4章23節 · 何を守るにもまして、あなたの心を守れ。
- 創世記39章9節 · どうしてこのような大きな悪事を行えようか。
- ルカによる福音書17章11-19節 · 十人の重い皮膚病の人。
- 使徒言行録13章22節 · わたしはダビデを見いだした、わたしの心にかなう者を。
- テモテへの手紙二4章7節 · わたしは戦いを立派に戦い抜いた。
- コリントの信徒への手紙二9章7節 · 神は喜んで与える人を愛してくださる。
よくある質問
まだたくさんのことを神に求めているのに、なぜ感謝しなければならないのですか。
感謝は会話の終わりではなく、その始まりだからです。ルカによる福音書17章で戻ってきた重い皮膚病の人は何も求めていません。彼はただ感謝を伝え、するとイエスは、癒やしをはるかに超える救いの御言葉を彼に与えられました。感謝を伝えることは、その先を止めるのではなく、むしろその先を解き放つのです。
今日、「古き道を歩む」とはどういう意味ですか。
それは現代を拒むという意味ではありません。オンライン上でのイメージ作りを主とする人物たちよりも、聖書の人物たち(アブラハム、ヨセフ、ダニエル、ダビデ、パウロ、ペトロ)にあなたの人格を形作ってもらうことを、意識的に選ぶという意味です。古き道は、深く、一貫性があり、長く続く人生を生み出してきました。エレミヤ書6章16節は、そのことを取り戻すようにあなたを招いているのです。
生まれつきその渇きがない場合、どうすれば「神に渇き求める心」になれますか。
渇きは宣言するものではなく、育てていくものです。それは、「主よ、わたしはあなたを知りたいのです」という単純な決断から始まります。そして、毎日御言葉を読むこと、定期的な祈り、奉仕、そして黙って神に触れていただく礼拝の時間の中で育っていきます。エジプトで教会も牧師も持たなかったヨセフが持ちこたえられたのは、神を求めていたからです。この渇きは、心から求めるすべての信者に与えられるものです。
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