はじめに
ロマンさんは、教会「エグリーズ・コム・ア・ラ・メゾン」の新しい牧師として就任したばかりです。会衆の前で、彼はいわゆる典型的な説教をするのではなく、自分の歩みを語ります。庭で空を見上げる7歳の少年から、庭師として働いていたある日、たまたま牧師のYouTube動画に出会うまで。神様がどのように長い時間をかけて彼を整え、すでに「心の奥深くに根づいていた」召しに応えられるように備えてくださったかが語られます。この証しは、神様への渇き、忍耐、聖書という土台、そして自分の教会を必要としているしもべの謙遜について語りかけてきます。
メッセージの構成
1. 子どもの頃からの神様への渇き
- ロマンさんはクリスチャンの家庭に生まれたわけではありませんが、とても早い時期から神様を知りたいという思いを持っていました。
- 7歳のとき、両親の家の庭で空を見上げていた彼は、ある確信を受け取ります。「神様は存在していて、私を深く、特別に愛しておられる」ということです。
- その愛にすっぽりと包まれるような感覚を覚え、その瞬間から彼は神様に語りかけるようになります。
- 彼はまた、「神様に関して何か特別なこと」が自分を待っている、まるで神様が自分を特別に呼んでおられるかのような確信も抱いていました。
2. 長い歩み、そして土台としての聖書
- ロマンさんはすぐにクリスチャンになったわけではありません。若い頃には、もどかしさも抱えていました。神様を知りたい、祈ってはいる、でも何かに阻まれているように感じていたのです。
- 時間をかけ、神様の助けによって、彼は特に聖書を通して神様と出会います。「私の人生を変えた一冊の本」だったと彼は言います。
- すべてを一人で成し遂げ、すべてを一人で理解しようとしていた彼は、外からの助けが必要なのだと気づきます。聖書こそが土台であり、それがなければ霊的な雑音の中で「あっという間にあちこちに引っ張られてしまう」からです。
- 牧師とはどういうものかを初めて知ったのは、庭師の仕事中に、たまたまポール・ワッシャーのYouTube動画に出会ったときでした。彼は深く心を揺さぶられます。「もし私が神様について感じていることを言葉にできるとしたら、まさにこんなふうに語りたい」と。
- 彼は同僚のトマさんのところへ行き、迷いなくこう告げます。「僕は牧師になりたい」と。二人とも、それが本当は何を意味するのか、よく分かっていませんでした。ロマンさんは言います、幸いなことに、すぐに牧師になったわけではなく、そこから何年もの時間が必要だったのです、と。
3. 神様と教会を必要とする、謙遜なしもべ
- 牧師になるということは、ロマンさんにとって「自分の情熱に生きる」ことであり、誰にでも与えられるわけではない恵みです。朝起きて、神様と隣人に仕える。それが彼の心に響いています。
- 「すべてがバラ色というわけではない」と分かっていますが、それでも彼は自分の心地よい場所から一歩踏み出し、神様のために心に抱いていることを行うことを喜んでいます。
- 彼は自分の限界を素直に認めます。「私はただ神様に仕える一人の人間にすぎません。偉大な神様を持つ、小さな人間です。」
- 彼は「信仰のプロ」というものが存在するという考えを退けます。すべての人が、それぞれの状況や仕事、人生の中で、イエス様に仕えるように召されているのです。
- 彼は教会に、助けと友情、フィードバック、祈りを求めます。同時に、教会に属していない人々からも学びたいと願っています。
4. 狭い道を、共にイエス様に従って歩む
- 「エグリーズ・コム・ア・ラ・メゾン」への彼の願いは、神様への愛と情熱、そしてお互いへの愛の中で、共に成長していくことです。
- この教会のために神様が特別に用意された道を、他の何にも影響されず、ただ神様の御心に従ってイエス様に従い続けること。
- イエス様に従うとは、動き続けることであり、時には心地よさや簡単さを手放すことです。「私たちは、いちばん居心地のいい教会というわけではありません。」
- その道は狭く、険しいものですが、そこを歩むとき、イエス様がそこにおられることを確信できます。「彼は決して私たちを失望させません。彼は私たちにとって、完全に十分な方です。」
- ロマンさんは、イエス様が天に上げられる前に弟子たちに残された約束を思い起こさせます。困難なときも含めて、ご自分の民と共にいてくださるという約束です。
心にとめておきたいこと
- 神様は、何の宗教教育も受けていない子どもにさえご自身を現してくださいます。神様への渇きは、神様ご自身から来るものです。
- 神様の召しはとても早くから心に根づき、それが実を結ぶまでに何年もかかることがあります。神様の時は、私たちのカレンダーとは違います。
- 聖書は土台です。それがなければ、あらゆる霊的な声の中で、あちこちに引っ張られてしまいます。
- 「信仰のプロ」というものは存在しません。すべてのクリスチャンは、それぞれの状況の中で、自分らしさを生かしてイエス様に仕えるよう召されています。
- 牧師はスーパーマンではありません。神様の恵みと、周りにいる共同体を必要としています。
あなたへの適用
- 神様が存在し、あなたを愛しておられると初めて感じたのはいつですか。その確信をどう受け止め、どう生かしましたか。
- あなたがずっと前から抱いていながら、まだ受け入れる勇気が持てずにいる神様からの召しはありますか。何があなたを引き止めていますか。
- 聖書は本当にあなたの土台になっていますか。それとも、SNSや漠然とした「霊性」、あるいはあなた自身の考えの方が、より大きな場所を占めていませんか。
- 「神様に仕えるのはプロの仕事だ」という考えについて、あなたは今どう思いますか。神様はあなたの仕事や家庭、生活の中で、どのように仕えることを求めておられるでしょうか。
- 今週、あなたの教会の中で、誰に対して友情や祈り、フィードバックを具体的にささげることができますか。
引用された聖句
- マタイ28:20・「わたしは、いつもあなたがたと共にいる」
- マタイ7:13-14・狭い道
- ペテロの手紙第一2:9・仕えるために召された民
- コリント人への手紙第二12:9・「わたしの恵みはあなたに十分である」
- テモテへの手紙第二3:16-17・聖書はすべて神様の霊感によるもの
よくある質問
ミニストリーへの召しを受けるには、クリスチャンの家庭で育つ必要がありますか。
いいえ、必要ありません。ロマンさんはクリスチャンの家庭に生まれたわけではありませんが、それでも神様は7歳の彼にご自身を現され、神様が存在し、自分を特別に愛しておられるという確信を与えられました。彼の歩みは、神様の召しが宗教的な環境によるものではなく、神様ご自身のイニシアチブによるものであることを教えてくれます。
神様に仕えることは、牧師だけに許されたことなのでしょうか。
ロマンさんははっきりとこう語ります。「信仰のプロ」というものは存在しません。すべての人が、「あなたの状況、あなたの仕事、あなたの人生がどのようなものであっても」イエス様に仕えるように召されているのです。一人ひとりの個性は、教会にとって本当の意味での豊かさとなります。
なぜロマンさんは、他の人を必要としていることをこれほど強調するのでしょうか。
それは、「何でも一人でできる、自分だけで十分だ」という牧師像を彼が退けているからです。彼は教会に対して、助けと友情、フィードバック、そして祈りを、はっきりと求めています。牧師の務めは、一人の人間の力だけで成り立つものではありません。それは神様の恵みと、仕える者を支える共同体の上に成り立っているのです。
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