要約
エパフロディトは、一世紀のピリピの教会の信徒です。ピリピの人々は、囚われの身にあるパウロに物質的な援助を届け、彼を支えるために、エパフロディトをローマへ遣わしました。彼は死ぬばかりの重い病にかかりましたが、神は彼をあわれまれました。パウロは彼をピリピへ送り返し、ピリピ人への手紙を託して、このような人々を尊びなさいと勧めています。キリストの働きのためにささげられた、忠実で謙遜な、命がけの奉仕が心に残ります。
エパフロディトという名前の意味
エパフロディトは、一般に魅力や好ましさを連想させる語に結びつけられるギリシア語の名前です。聖書はこの名の意味を説明していません。コロサイ人への手紙とピレモンへの手紙に出てくるパウロの別の同労者エパフラスと混同しないようにしましょう。
エパフロディトの時代背景
エパフロディトは、使徒パウロの最初期の同労者たちと同じ世代の人で、一世紀の半ばに生きていました。ピリピはマケドニア地方の町で、現在のギリシャにあたります。使徒の働きによれば、パウロは第二次伝道旅行でここに教会を建てました。この教会はパウロを深く慕い、テサロニケにいたころからたびたび支援を送っています。ピリピ人への手紙4章15〜16節がそのことを伝えています。手紙が書かれたとき、パウロは囚われの身でした。最も広く受け入れられている伝承では、紀元60年から62年ごろにローマにいたとされますが、手紙は獄中の場所を明記していないので、慎重に考える必要があります。ピリピの人々はパウロの必要を満たす援助を届けようとして、仲間の一人を遣わし、使徒のそばで仕えさせました。道のりは長く、旅立つ人は教会全体を代表していました。その旅の途中でエパフロディトは病に倒れ、やがて手紙を携えてピリピへ戻ります。この物語を理解するには、惜しみなく与える教会、囚われの使徒、そして一方の愛をもう一方へ運ぶ使者という三つを心に留めておけば十分です。
エパフロディトの生涯
支援を惜しまなかった教会
ピリピ人への手紙4章15〜16節エパフロディトが遣わされるずっと前から、ピリピの教会はパウロに惜しみなく与え続けてきました。パウロは、福音を伝え始めたころ、マケドニアを出発したときに、与えることと受けることについて自分と関わりを持った教会は、ピリピの教会のほかになかったと思い起こしています。彼らはテサロニケにいたパウロにも、一度ならず二度までも、必要なものを送ってくれました。エパフロディトを送り出したことは、この古くからの友情の延長にあります。
贈り物を託された人
ピリピ人への手紙4章10節、18節パウロは、ピリピの人々が再び自分への思いを表してくれたことを、主にあって大いに喜んでいます。彼らはずっと心にかけてくれていたのに、それを示す機会がなかったのです。その機会となったのがエパフロディトでした。パウロは彼を通して教会からの贈り物を受け取り、すべてを受けて満ち足りていると書いています。その贈り物は、かぐわしい香りであり、神が喜んで受け入れてくださるいけにえだと表現されています。
兄弟、同労者、戦友
ピリピ人への手紙2章25節パウロは、兄弟エパフロディトをピリピへ送り返す必要があると考えました。そして彼を、兄弟、同労者、戦友という三つの言葉で紹介しています。同労者は共に果たした働きを、戦友は福音のための戦いを指しており、それが口先だけの務めではなかったことを示します。パウロはさらに、エパフロディトがピリピの人々から自分の必要を満たすために遣わされた人だと説明します。教会の使者が、こうして使徒の協力者となったのです。
病気で死にかけた
ピリピ人への手紙2章26〜27節エパフロディトは病気になり、死ぬほどの状態になりました。パウロは心に残る一つの事実を伝えています。エパフロディトはピリピの人々みんなを慕っており、自分が病気になったことを彼らが聞いたと知って、ひどく心を痛めていたのです。彼は自分のことよりも、人々の心配を気にかけていました。パウロは、神が彼をあわれんでくださり、自分にも悲しみの上に悲しみが重ならないようにしてくださったと述べます。回復は、神のあわれみの業として語られています。
急いで送り返す
ピリピ人への手紙2章28節パウロは、いっそう急いでエパフロディトをピリピに送り返すことにしました。理由は二つあります。ピリピの人々が彼に再会して喜ぶこと、そしてパウロ自身の悲しみが和らぐことです。エパフロディトは貴重な存在でしたが、パウロは自分の都合のために友を引き止めませんでした。おそらく、この手紙を携えて彼は帰路についたのでしょう。ただし、帰りの旅について、本文はそれ以上の詳しいことを記していません。
このような人々を尊びなさい
ピリピ人への手紙2章29〜30節パウロは、教会が主にある者として喜んでエパフロディトを迎え、このような人々を尊ぶようにと求めます。その理由は、はっきりと書かれています。彼はキリストの働きのために死ぬほどの目に遭い、いのちの危険を冒して、ピリピの人々が直接果たせなかったパウロへの奉仕の不足を補ってくれたからです。目立たない奉仕者に対する公の評価が、神のみことばの中に記されているのです。
エパフロディトから学ぶこと
- 忠実で目立たない奉仕は神の前で尊いものです。パウロは、そのように身をささげる人を教会が尊ぶことを重んじています。
- 奉仕には疲れや病気に至るほどの犠牲が伴うことがありますが、神はキリストの働きのためのすべての労苦をご覧になっています。
- 他の人に心を配る人は、自分が与えた心配を気にかけます。エパフロディトも、自分の病気がピリピの人々に伝わったことで心を痛めました。
- 福音の働き人への物質的な支援は、神に喜ばれるいけにえにたとえられています。
- 神は病のうちにある人をあわれまれ、死ぬばかりだった人をいやして立ち上がらせることもおできになります。
鍵となる聖句
パウロはエパフロディトを、兄弟、同労者、戦友と紹介します。この一文から、彼が宣教のうえで対等の仲間であり、パウロの必要に応えるためにピリピの教会から遣わされた人だとわかります。
使徒は、エパフロディトを主にあって大きな喜びで迎え、このような人々を尊ぶよう求めます。彼がキリストの働きのためにいのちを危険にさらしたからです。教会は、人知れず仕える人を認めるべきだと教えています。
パウロは、エパフロディトを通して受け取った贈り物に感謝し、それを神が受け入れてくださるかぐわしい香りのいけにえにたとえます。贈り物とそれを運ぶ人が、礼拝としての意味を帯びています。
エパフロディトについての説教
よくある質問
聖書のエパフロディトとは誰ですか?
エパフロディトは、囚われのパウロのもとへ教会から遣わされたピリピの信徒です。物質的な援助を届けて仕えましたが、重い病にかかりました。パウロは彼を兄弟、同労者、戦友と呼び、手紙を持たせてピリピへ送り返しました。
エパフロディトという名前にはどんな意味がありますか?
魅力や好ましさを連想させる語に結びつけられるギリシア語の名前です。聖書はその意味を説明していません。コロサイ人への手紙やピレモンへの手紙に出てくる、パウロの別の協力者エパフラスと混同しないよう注意が必要です。
エパフロディトの話は聖書のどこにありますか?
パウロのピリピ人への手紙に二度、その名が出てきます。病気と帰還の記事はピリピ人への手紙2章25-30節にあります。4章18節には、ピリピの人々が彼を通してパウロに送った贈り物のことが記されています。
エパフロディトとエパフラスは同じ人物ですか。
聖書には、二人を同じ人物と見なすよう促す箇所はありません。エパフロディトはピリピの信者で、名前が出てくるのはピリピ人への手紙の2章25節と4章18節だけです。エパフラスはパウロの別の同労者で、コロサイ人への手紙ではキリスト・イエスのしもべ、コロサイの人々と同郷の者として紹介され(コロサイ人への手紙4章12節)、ピレモンへの手紙1章23節では、獄中の仲間として挨拶を送っています。名前は似ていますが、場所も手紙も記述も異なります。ですから、混同しないほうがよいでしょう。
ピリピの人々は、なぜエパフロディトをパウロのもとへ送ったのですか。
ピリピ人への手紙2章25節によれば、ピリピの人々は彼を通して、パウロの必要を満たすものを届けました。2章30節は、さらに彼がパウロへの奉仕の不足を補うはずだったと付け加えています。つまり、彼は贈り物を運んだだけでなく、囚われの身となったパウロの前で教会を代表し、自分の力を使徒への奉仕に差し出したのです。本文は、彼に託された任務をこれ以上詳しくは述べていません。この旅は、友情と忠実さ、そして福音のために果たされた奉仕の表れです。
エパフロディトは、なぜ自分の病気がピリピに伝わったことをそれほど気にしたのですか。
本文は詳しく説明していませんが、大切な点は書いてあります。エパフロディトはピリピの人々みんなを慕っており、自分が病気になったと彼らが聞いたことで、ひどく心を痛めていました(ピリピ人への手紙2章26節)。ここには、自分の健康を案じる前に、他の人々の悲しみを思いやる人の姿があります。知らせがどのようにピリピへ届いたのかは、聖書に書かれておらず、何も断定しないほうがよいでしょう。この心の細やかさは、彼の人柄を表す際立った特徴です。
パウロはエパフロディトを癒やさなかったのですか。
聖書はこの問いに答えていません。書かれているのは、神がエパフロディトをあわれみ、パウロもあわれんでくださったということです(ピリピ人への手紙2章27節)。ですから回復は、神のあわれみから来たものとして示されています。パウロは、癒やしを自分の思いどおりにできる人として振る舞ってはいません。この箇所は、神が自由に、そして情け深く働かれることを認めるよう私たちを招いています。なぜある癒やしが起こり、別の時には起こらないのかを、説明しようとする必要はありません。ここでも聖書は控えめで、神の自由を尊んでいます。
エパフロディトは、ピリピ人への手紙の中でどんな役割を果たしていますか。
彼の名は、2章と4章の二か所に出てきます。パウロはまず、彼を温かく迎えるように求め、次に彼を通して受け取った贈り物についてピリピの人々に感謝しています。一般的な読み方では、エパフロディトは帰路でこの手紙を運んだ人とされますが、本文がそのようにはっきり述べているわけではありません。確かなのは、パウロが、教会が彼を喜んで迎え、その奉仕の価値を認めるようにと書いていることです。彼の名が挙げられることで、手紙の中に一人の顔が現れます。