要約
ディディモと呼ばれるトマスは十二弟子の一人です。ヨハネによる福音書は、彼がイエスと共に死ぬ覚悟を示し、また、わたしは道であり、真理であり、命であるという言葉を引き出す問いを発する姿を描きます。復活の後、弟子たちにイエスが現れたときその場におらず、見るまでは信じないと言います。八日後、イエスは彼に現れ、トマスは、わが主、わが神と告白しました。イエスは誠実な疑いを受け入れ、見ないで信じる者を祝福されます。
トマスという名前の意味
トマスという名は、双子を意味するアラム語に結びつけられるのが一般的です。ヨハネによる福音書は彼を、ディディモと呼ばれるトマスと記し、ディディモは同じく双子を意味するギリシヤ語です(ヨハネによる福音書11章16節、20章24節)。
トマスの生涯
イエスと共に死ぬ覚悟
ヨハネによる福音書11章7-16節ラザロの死後、イエスはユダヤに戻ろうとされますが、最近ユダヤ人が石で打とうとしたため、弟子たちはためらいます。トマスは仲間に、私たちも行って、主と一緒に死のうではないかと言います。イエスの成そうとすることは理解していなくても、彼の勇気と愛着が表れています。
道についての問い
ヨハネによる福音書14章1-6節イエスは父のもとへ行くことと、その道を弟子たちが知っていることを告げます。トマスは率直に、どこへ行かれるのか分からないのに、どうしてその道が分かるでしょうかと尋ねます。この誠実な問いから、イエスは、わたしは道であり、真理であり、命であると答えられました。
復活の夕べに不在だった
ヨハネによる福音書20章19-25節復活の日の夕方、恐れて戸を閉じていた弟子たちの中にイエスが現れ、平安があるようにと言われます。トマスはその場にいませんでした。ほかの弟子たちが主を見たと告げると、彼は、釘のあとを見て脇腹に手を入れるまでは信じないと答えます。
イエスはトマスのために来られた
ヨハネによる福音書20章26-28節八日後、弟子たちが再び家の中にいて、トマスも共にいました。戸は閉じられていましたが、イエスが来て、平安があるようにと言われます。イエスはトマスに指を伸ばして手を見るよう招き、信じない者にならず信じる者になりなさいと言います。トマスは、わが主、わが神と答えました。
見ないで信じる人は幸い
ヨハネによる福音書20章29-31節イエスはトマスに、わたしを見たから信じたのか、見ずに信じる者は幸いであると言われます。福音書記者はなぜこれらが書かれたのかを説明します。イエスが神の子キリストであると信じるため、そして信じて、その名によって命を得るためです。
トマスから学ぶこと
- 誠実な疑いはイエスから人を遠ざけません。トマスは思ったことを語り、イエスは彼に会いに来られました。
- トマスはヨハネ11章で本物の勇気を見せ、命の危険があってもイエスに従う覚悟でした。
- 道についてのトマスのように、率直な問いをイエスに向けることは、キリスト教信仰の全体を養う答えにつながります。
- ほかの信者と共にいることは大切です。トマスは最初の現れに居合わせませんでしたが、八日後に仲間のもとに戻っていました。
- 私たちは釘のあとを見ていませんが、イエスは、見た人たちの言葉によって信じる者を幸いだと宣言されます。
鍵となる聖句
トマスは、イエスがどこへ行かれるのか、その道も分からないと言います。イエスは、わたしは道であり、真理であり、命である、わたしを通らなければ、だれも父のもとに行けないと答えます。誠実な問いが大きな啓示のきっかけになりました。
トマスの、わが主、わが神という告白は、ヨハネによる福音書で最も力強いものの一つです。イエスを主であり神であると認めているからです。
イエスは、見ずに信じる者は幸いであると、トマスに、そして復活のキリストを目で見ていないすべての信者に語られます。
トマスについての説教
よくある質問
なぜトマスは復活を疑ったのですか。
復活の夕べにイエスが弟子たちに現れたとき、トマスはその場にいませんでした。彼は他の人の言葉だけでは信じず、釘のあとを見て脇腹に触れることを求めます(ヨハネによる福音書20章24-25節)。八日後、イエスはまさにその求めに答えられました。
トマスという名前の意味は何ですか。
トマスという名は、双子を意味するアラム語に結びつけられるのが一般的です。ヨハネによる福音書は、ディディモと呼ばれるトマスと記し、ディディモは双子を意味するギリシヤ語です(11章16節、20章24節)。聖書は双子の相手が誰かを語っていません。
トマスの物語は聖書のどこにありますか。
トマスは主にヨハネによる福音書に登場します。11章はユダヤに戻る場面での勇気、14章は道についての問い、20章は疑い、復活のイエスとの出会い、わが主、わが神という告白を伝えています。