聖書 — 口語訳 (1955)

ヨハネによる福音書 20

概要

ヨハネによる福音書20章は、復活の朝を語ります。マグダラのマリヤは墓が開いているのを見つけ、ペテロともう一人の弟子が走って行き、一人は見て信じます。マリヤは、イエスに名を呼ばれて、イエスだとわかります。夕方、イエスは恐れて戸を閉ざした弟子たちの中に立ち、平安を与え、彼らを遣わされます。トマスは見なければ信じないと言いますが、やがて「わが主よ、わが神よ」と告白します。ヨハネは、この書の目的を記します。イエスが神の子キリストであると信じ、その名によっていのちを得るためです。

この章の5つの区分

  1. 1-10節空の墓:ペテロともう一人の弟子
  2. 11-18節マグダラのマリヤがイエスに気づく
  3. 19-23節弟子たちの中のイエス:平安と派遣
  4. 24-29節トマス:不信から告白へ
  5. 30-31節ヨハネがこの福音書を書いた理由

1さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

2そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

3そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。

4ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、

5そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。

6シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、

7イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

8すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。

9しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。

10それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。

11しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

12白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

13すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。

14そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。

15イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

16イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

17イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

18マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

19その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。

20そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。

21イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。

22そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。

23あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

24十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。

25ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

26八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。

27それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。

28トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。

29イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

30イエスは、この書に書かれていないしるしを、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。

31しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

鍵となる聖句

8節
すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。

弟子は墓に入り、見て、信じました。彼が見たのは、空の墓と亜麻布という、ささやかなものでしたが、それで信仰が開かれるには十分でした。次の節は、彼らがまだ聖書を理解していなかったことを記しています。

16節
イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

イエスが名前を呼ばれるだけで、マリヤはイエスだとわかります。この場面は、復活の主が、ご自分を求める人に個人的にご自身を現されることを示しています。

21-22節
イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。

平安は、使命のために与えられます。イエスは、父がご自分を遣わされたように弟子たちを遣わし、聖霊を伝えられます。この息を、ペンテコステとの関係の有無も含めて、キリスト教の伝統は少しずつ異なって理解しています。

28-29節
トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

トマスは、福音書で最も力強い告白に至ります。わが主よ、わが神よ。その後イエスは、見ないで信じる者は幸いだと宣言されます。それは、証人たちのあとに来たすべての読者に関わることです。

31節
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。

ヨハネ自身が、この書の鍵を示します。イエスが神の子キリストであると信じ、その名によっていのちを得ることです。物語のすべては、信仰に導くための証しです。

この章に登場する人物

このテーマで祈る

説教が語っていること

なぜ今もイエス様について語るのか:画像の時代に生きるあなたへ説教者は、見ているものを信じる、という言葉から始め、ヨハネ20章が、見ないで信じるよう招いていることを示します。章を三つの段階で追います。見ないでイエスを信じること、遣わされること、そして信じることを可能にするみことばを伝えることです。要約を読む →疑うのではなく信じなさい ― トマスの信仰に学ぶこの説教は、ヨハネ20章19節から31節に立ち止まります。イエスは戸を閉ざした部屋に来られ、二度、平安を与え、弟子たちを遣わし、そしてトマスの条件をあざけることなく答えられます。要約を読む →見ないで信じる:トマスとカペナウムの役人ジェームズ・ユティネは、ヨハネ4章の役人がイエスのことばだけを頼りに帰って行ったことと、ヨハネ20章29節の、見ないで信じる者は幸いだ、ということばを結びつけます。どちらも、信仰はイエスのことばに支えられています。要約を読む →教会はあなたの家族です:根を張り、そこにいて、つながっていようガエタナ・ル・ヴェオは、トマスが最初の現れのときには不在で、二度目には居合わせていたことに注目します。神は、その場にいる人々とともに働かれるので、教会につながり続けるようにと、彼女は語ります。要約を読む →ヨハネ1:1-18 言が肉体となった、あなたへの希望フランツ・ガランドは、ヨハネがこの書を信仰告白を軸に構成し、トマスの告白をその頂点としたことを示します。読者自身が、イエスこそ自分に必要な救い主だと告白するようになるためです(ヨハネ20章31節)。要約を読む →ヨハネによる福音書6章:水の上を歩かれるイエス様 嵐の中で信仰の一歩を踏み出そうヨハネ6章16節から21節を読みながら、説教者はヨハネ20章31節を引き、ヨハネが読者の目をイエスという人格に集中させようとしていることを思い起こさせます。イエスはだれか、何を現されるのか、何を信じるよう求めておられるのかです。要約を読む →

ヨハネによる福音書20章についてよくある質問

ヨハネによる福音書20章には何が書かれていますか

この章は、イエスに出会った人々が見たイエスの復活を語ります。マグダラのマリヤ、ペテロともう一人の弟子、夕方に集まった弟子たち、そして八日後のトマスです。ヨハネの福音書の存在理由、すなわちイエスが神の子キリストであると信じ、その名によっていのちを得ることで結ばれています。

見ないで信じる者は、幸いであるとはどういう意味ですか

イエスは、トマスの告白のあとにこう言われます。最初の証人たちは復活の主を見ましたが、大多数の信者は、自分では見ずに、その証言によって信仰に至ります。彼らは幸いだと宣言され、見ることではなく、みことばに支えられた信仰が尊ばれています。

なぜトマスは疑い深い人と呼ばれるのですか

最初の現れのときにいなかったトマスは、釘のあとを見て、イエスのわき腹に手を入れなければ信じないと言います。イエスは彼に現れ、触れるよう招かれます。トマスは、わが主よ、わが神よ、と答えます。その疑いは、この書で最も力強い告白の機会となりました。

ヨハネによる福音書20章22節の聖霊を受けなさいとはどういう意味ですか

イエスは、弟子たちに息を吹きかけ、託された使命のために聖霊を与えられます。クリスチャンの間でこのしぐさの理解は同じではなく、復活の日にすでに与えられた賜物と見る人も、ペンテコステの先取りと見る人もいますが、聖霊と派遣の結びつきをここに見ることでは一致しています。

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