要約
悪霊につかれた子の父は、福音書が名を記していない男性です。ひとり子は幼い時から、火の中や水の中に投げ入れる霊に苦しめられていました。弟子たちにはいやせなかったため、彼はイエスにあわれみを求めます。信ずる者にはどんな事でもできると言われた父は、信じますと叫び、不信仰を助けてほしいと願いました。イエスは子を解放されました。
悪霊につかれた子の父という名前の意味
福音書は父の名も子の名も記していません。てんかんの子という呼び方は、マタイによる福音書17章15節の症状を、翻訳によってこのように訳すことに由来します。マルコは、口をきけなくする霊につかれた子と述べ(マルコによる福音書9章17節)、イエスは悪霊を追い出されます。
悪霊につかれた子の父の生涯
山のふもとで
マルコによる福音書9章14-16節変貌の後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヨハネと共に山を下られました。ほかの弟子たちを大ぜいの群衆が取り囲み、律法学者たちが彼らと論じ合っているのを見られます。イエスが何を論じているのかと尋ねられると、群衆のひとりが答えました。息子のために助けを求めて来た父親でした。
苦しむ息子
マルコによる福音書9章17-18節、ルカによる福音書9章38-39節父は、口をきけなくする霊につかれたむすこ、ルカによればひとり子を連れて来たと言います。霊は彼を引き倒し、あわを吹かせ、歯をくいしばらせ、からだをこわばらせます。弟子たちに追い出しを願いましたが、できませんでした。ルカは、霊が子をひどく苦しめると記します。
もしできれば
マルコによる福音書9章19-22節イエスは、不信仰な時代を嘆き、その子を連れてくるよう言われます。すると霊はすぐ子をひきつけさせました。いつからかと問われた父は、幼い時から、霊が何度も火の中、水の中に投げ入れたと答え、「しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください」と願います。
信じます、お助けください
マルコによる福音書9章23-24節イエスは、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」と言われました。父親はすぐ叫びます。「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。彼は信仰と疑いが混じる状態を正直に認め、自分の不信仰さえイエスの手にゆだねました。
子の解放
マルコによる福音書9章25-27節、ルカによる福音書9章42-43節群衆が駆け寄るのを見られたイエスは、言うことも聞くこともさせない霊に、出て行って二度と入るなと命じられました。霊は叫び声をあげて出て行き、子は死人のようになります。しかしイエスが手を取って起すと、立ち上がりました。ルカは、イエスが子を父に返され、人々が神の偉大さに驚いたと記します。
弟子たちへの教え
マルコによる福音書9章28-29節、マタイによる福音書17章19-20節家で弟子たちだけになると、なぜ霊を追い出せなかったのかと尋ねました。イエスは、このたぐいは祈によらなければ追い出せないと答えられます。マタイは、イエスが彼らの不信仰と、からし種ほどの信仰があれば不可能なことは何もないとも語られたと記します。
悪霊につかれた子の父から学ぶこと
- 不完全な信仰のままでイエスのもとへ行き、疑いを正直に打ち明けることができます。
- 信仰は自分の力ではなく神の力に支えられるので、信じる者にはどんな事でもできます。
- ほかの人の失敗があっても、イエスのもとへまっすぐ行くことをやめてはなりません。
- 霊的な戦いの中には、祈りによって新たに神に頼ることが求められるものがあります。
鍵となる聖句
「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」。きわめて正直な祈りを、イエスは退けず、子を解放することで答えられました。
イエスは、もしできれば、という父の言葉を取り上げ、それを返されました。信ずる者にはどんな事でもできます。問題はイエスの力ではなく、イエスに寄せる信頼です。
イエスは弟子たちに、からし種ほどの信仰があれば山さえ動かせると教えられます。大切なのは信仰の大きさではなく、信じる相手である神の大きさです。
悪霊につかれた子の父についての説教
- マルコ9章:不信仰な世代にならないで説教者は父とその子をこの物語の真の主人公とし、信ずる者にはどんな事でもできるというイエスの答えに目を留めます。今日のてんかんは悪霊につかれることではない、とも明確に述べています。
- 小さな信仰と偉大な神このメッセージは、弟子たちの失敗と、自分の信仰と不信仰を冷静に告白した父の見事な答えを対比させ、わたしたちは信仰の必要を卒業することがないと語ります。
- 疑いに関する聖書の言葉20選このページは、父の答えを正直な信仰の模範として取り上げます。信じながら疑うことがあってもよく、その疑いを神にゆだねることができるのです。
- すべてが変わるときのために備えよう:神があなたの枠組みを打ち破る説教者は、不信仰の助けを求める父の祈りをへりくだって繰り返し、神が教会を信じる者とし、神が備えておられることに入らせてくださるよう願います。
よくある質問
「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」という父の祈りは、どういう意味ですか。
父は、イエスを信じていると言いながら、自分の信仰がもろく、疑いが混じっていることを認めています。弱さを隠さずイエスにゆだね、助けを求めました。イエスは彼を退けず、息子を解放されました。この祈りは、不完全な信仰でも主に向かえることを示しています。
その子はてんかんだったのですか、悪霊につかれていたのですか。
マタイは、翻訳によってはてんかんと訳される症状を記しています。しかし三つの福音書は、いずれもイエスが追い出されたけがれた霊の働きとして描きます(マルコによる福音書9章25節)。この記事から、すべてのてんかんが悪霊のしわざだと結論づけることはできません。ある具体的な解放の出来事が伝えられているのです。
悪霊につかれた子の父の記事は聖書のどこにありますか。
マタイによる福音書17章14-21節、マルコによる福音書9章14-29節、ルカによる福音書9章37-43節にあり、変貌の直後に置かれています。マルコがいちばん詳しく、イエスと父の対話と「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」という祈りを記すのはマルコだけです。