要約
赦さない家来は、マタイ18章23-35節に記されたイエスのたとえ話の登場人物で、歴史上の人物ではなく教えのための人物像です。イエスは、何度赦すべきかというペテロの問いのあとにこの話をされました。王は家来の一万タラントという莫大な負債を免除しますが、その家来は百デナリを借りた仲間を牢に入れます。このたとえは、赦された者は心から赦さなければならないと教えています。
赦さない家来という名前の意味
たとえの中で、この家来に名前はありません。主人は彼を悪い家来と呼びます(マタイ18章32節)。伝統が赦さない家来と呼ぶのは、主人が自分を憐れんだのに、彼が仲間を憐れもうとしなかったからです(マタイ18章33節)。
赦さない家来の生涯
何度赦すべきか
マタイ18章21-22節ペテロはイエスに近づき、兄弟が自分に罪を犯したとき、七度まで赦すべきかと尋ねます。イエスは、七度まででなく七度を七十倍するまで、と答えられました。つまり赦しは数えるものではありません。たとえは、その理由を説明しています。
返せない負債
マタイ18章23-25節天の御国は、家来たちと清算をしようとした王に似ています。一万タラントの負債がある男が連れて来られますが、莫大な額で、返す当てがありません。主人は、返済のために彼を妻子や持ち物もろとも売るよう命じます。
完全な恵み
マタイ18章26-27節家来はひれ伏して願います。どうか待ってください。すべてお返しします。できない約束です。主人は憐れに思い、待つどころか、彼を去らせて負債を免除しました。家来は何の負債もない自由の身となって帰って行きます。
百デナリ
マタイ18章28-30節外に出るとすぐ、この家来は、自分の負債に比べればごくわずかな百デナリを借りている仲間に出会います。彼はその首を絞め、返せと迫りました。仲間は、自分がしたのとほとんど同じ言葉で願いますが、家来は聞き入れず、返すまで牢に入れました。
主人の叱責
マタイ18章31-33節他の家来たちはひどく心を痛め、起こったことを主人に報告します。主人は家来を呼んで言います。悪い家来だ、おまえが願ったから負債を全部免除してやったのだ。私がおまえを憐れんだように、おまえも仲間を憐れむべきではなかったか。
心から赦す
マタイ18章34-35節怒った主人は、負債をすべて返すまで家来を獄吏に引き渡しました。イエスは結ばれます。あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天の父もあなたがたに同じようにされます。神から受けた赦しは、他の人への赦しとなるべきです。
赦さない家来から学ぶこと
- 神に対する私たちの負債は、他の人が私たちに負うどんなものよりはるかに大きいのです。
- 神から受けた赦しは、私たちを傷つけた人々に伝えられるべきです。
- キリスト者の赦しは数えるものではなく、七度で終わりません。
- 赦すことを拒むのは、受けた恵みを理解していない心の表れです。
- 心から赦すとは、傷に対する償いを求める思いを手放すことです。
鍵となる聖句
ペテロの問いがたとえの出発点です。イエスの答え、七度を七十倍するまでは、赦しには限りがなく、帳簿のようにつけるものではないことを示しています。
たとえの核心は主人の叱責にあります。憐れみを受けた者は、今度は自分の仲間を憐れむべきだったのです。
イエスは真剣に聞き手へ当てはめられます。天の父は、一人ひとりが兄弟を心から赦す真実な赦しを求めておられます。
パウロもたとえと同じ論理に立ちます。神がキリストにあって赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。受けた赦しが、与える赦しの模範となります。
赦さない家来についての説教
- マタイ6章:日ごとの糧と日ごとの赦し説教者は主の祈りの赦しの願いをこのたとえで照らし、家来の情け知らずな心に、受けた憐れみによって一度も変えられていなかった証拠を見ています。
- 赦して自由になるこの説教はたとえを土台に、私たちがなぜこれほど赦せないのかを説明します。まず、神が免除してくださった負債の大きさを測る必要があるのです。
- ヨハネ20章:赦す力と、赦される恵みこのメッセージは、赦さない家来を、赦しを手放さない者に閉じる罠の例証として示し、マタイ6章14-15節と結びつけています。
- マタイ18章:教会における謙遜、和解、赦し説教者は、イエスが免除してくださった私たち自身の負債が、誰かが私たちに負うどんなものよりはるかに大きいことを強調します。イエスが先に赦し、私たちにもそうするよう求めておられます。
よくある質問
一万タラントは何を表していますか。
タラントは非常に大きな価値の単位で、一万タラントは家来が決して返せない負債を表します。百デナリはずっと小さな額で、一デナリは一日分の賃金に当たります(マタイ20章2節)。この対比が、私たちが受ける侮辱に比べて、神の赦しがどれほど大きいかを示しています。
赦さない家来は実在しましたか。
いいえ、たとえ話の登場人物です。イエスは、天の御国は家来たちと清算をしようとした王に似ている、と言って話を始められます(マタイ18章23節)。家来は、赦すことを拒む深刻さを示すための、教えのための人物像です。
赦さない家来のたとえは聖書のどこにありますか。
マタイの福音書だけに、18章21節から35節にあります。この章全体は兄弟どうしの生活を語ります。謙遜、小さな者への配慮、罪を犯した人へのかかわりです。神から受けた赦しを他の人への赦しに結びつけるマタイ6章12-15節も読んでください。