聖書は終末について何と言っていますか?

終末についての重要な聖句と聖書の答え。

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聖書は、イエスが天に上られたのと同じ有様で、ご自身で目に見える形で再び来られると告げています(使徒行伝1章11節)。しかし聖書は具体的な日付を示しません。「その日、その時は、だれも知らない…ただ父だけが知っておられる」からです(マタイによる福音書24章36節)。これは情報不足ではなく、計算ではなく目を覚ましているようにという招きです。「だから、あなたがたも用意していなさい」(マタイによる福音書24章44節)。

この再臨によって、聖書が「終わりの時」と呼ぶ出来事が始まります。キリストにある死者はよみがえり、生きている者は「またたく間に」変えられ、すべての者が主のもとに集められます(テサロニケ人への第一の手紙4章16節、コリント人への第一の手紙15章52節)。悪は最終的にさばかれ、神は新しい天と新しい地を打ち立てられます。そこで神はすべての涙をぬぐい去り、死も、悲しみも、叫びも、苦しみもなくなります(ヨハネの黙示録21章4節)。

この将来を前にして、聖書は恐れや日程の推測ではなく、積極的な希望を求めます。イエスは「また来て、あなたがたをわたしの所に迎える」と約束されました(ヨハネによる福音書14章3節)。主の日は「夜、盗人がくるように」訪れるので(ペテロの第二の手紙3章10節)、信じる者は不安にならず、いつでも備えつつ、聖さと使命と信頼のうちに生きるよう召されています。

終末に関する聖書の言葉

  • « その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 »

    マタイによる福音書 24章36節

  • « だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 »

    マタイによる福音書 24章44節

  • « 言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。 »

    使徒行伝 1章11節

  • « すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 »

    テサロニケ人への第一の手紙 4章16節

  • « というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。 »

    コリント人への第一の手紙 15章52節

  • « しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 »

    ペテロの第二の手紙 3章10節

  • « 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 »

    ヨハネの黙示録 21章4節

  • « そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。 »

    ヨハネによる福音書 14章3節

終末についての説教

終末に関するよくある質問

イエスはいつ再び来られるのですか?

だれも知りません。イエスご自身も、人としてはその日を知らないと言われました(マタイによる福音書24章36節)。日付を特定しようとする試みはこれまで常に外れており、聖書の教えにも反します。大切な問いは「いつ」ではなく「自分は備えているか」です。

聖書が言う「千年王国」とは何ですか?

ヨハネの黙示録20章はキリストの千年の統治を描いています。福音派の中でも、これを文字通り読む立場(千年王国説)と、すでに始まっている霊的な統治として象徴的に読む立場に分かれています。しかしこの違いは、キリストが今治め、栄光のうちに再び来られるという核心には触れません。

教会の「携挙」とは何ですか?

この語はテサロニケ人への第一の手紙4章17節に由来し、信じる者たちが「主を迎える」ために「引き上げられる」と記されています。福音派はその時期(患難期の前か、最中か、後か)について意見が分かれますが、生死を問わず信じる者がキリストのもとに集められるという核心では一致しています。

終わりの時を恐れるべきですか?

いいえ。聖書はこれをキリストにある者にとっての良い知らせとして語ります。すべての苦しみが終わり、神の約束が成就するのです(ヨハネの黙示録21章4節)。目指されているのは恐れではなく、希望と目を覚ましていることです。

終わりの時のしるしをどう見分ければよいですか?

イエスは戦争やききん、偽預言者について語られましたが(マタイによる福音書24章)、それらは「産みの苦しみの始まり」にすぎず、解読すべき暦ではないと言われます。しるしを追い求めるより、聖書は日々備えて誠実に生きるよう招いています。

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