はじめに
イエスがエルサレムの神殿から出て来られると、弟子たちはその建物の壮大さに感嘆します。石も大きさも永続性も、すべてが永遠に思えました。しかしイエスは、そのすべてが崩れ去ると告げられます。マルコ13章でイエスは、二つの異なるが結びついた裁きを告げます。西暦70年に起こった神殿の裁きと、いまだ来ていない世界の裁きです。メッセージはシンプルです。イエスは裁くために再び来られます。それがいつかは分かりません。そして、それに向かって生き、備える以上に大切なことはありません。
メッセージの構成
1. 終わりの前の生き方(5-13節)
- タイミングについての質問に答える前に、イエスは終わりが来るまでの間に何が起こるかについて、あなたに正しい期待を持ってほしいと願っておられます。
- ニュースに怯えてはいけません。戦争、地震、飢饉は起こりますが、それはまだ終わりではなく、出産の陣痛のように「産みの苦しみの始まり」にすぎません。
- 自称預言者に惑わされてはいけません。多くの者がイエスの名を名乗って現れ、キリストを名乗ったり、彼の名において語ると主張したりします。イエスを代表すると主張する者を、そのまま鵜呑みにしてはいけません。
- 敵意に驚いてはいけません。イエスのために生きる場所ではどこでも迫害が存在し、時には自分の家族の中にさえ及びます。イエスは、マラソンの初めに励ますコーチのように、私たちが最後まで耐え抜けるよう、愛をもって警告してくださっています。
2. 神殿の終わりはすでに過去のこと(14-23節)
- イエスが「荒らす忌むべきもの」について語り、山へ逃げる緊急性について語るとき、それは世界の終わりを描写しているのではなく、特定の歴史的出来事を指しています。
- この出来事はエルサレム周辺のユダヤという地域に限定されており、イエスご自身も、その後「歴史は続く」と語っておられます。
- これは西暦70年に起きた神殿の破壊のことです。ローマ軍がエルサレムを包囲し、住民を殺し、神殿を焼き払いました。
- 神と イスラエルとの特別な関係を象徴していた神殿は、イスラエルとその指導者たちの大部分が神の子を拒んだために裁かれたのです。
3. 神殿の終わりは世界の終わりが近いことを告げる(24-31節)
- この苦難の時の後、イエスは旧約聖書のイメージを用いて、宇宙規模の裁きを描写されます。太陽は暗くなり、月はその光を失い、星は落ちます。
- 人の子は力と栄光をもって雲に乗って来られます。これはダニエル書の幻への言及であり、ご自身が選ばれた者たちを集められます。
- いちじくの木のたとえは、これらのことが起こるとき、人の子が「戸口まで来ている」ことを教えています。神殿の終わりは、世界の終わりが近いことの証拠なのです。
- 「近い」とは「すぐに」という意味ではありません。神の予定表の中で、イエスの再臨の前にもう他に待つべき出来事がないという意味です。
4. 終わりの時は誰も知らない(32-37節)
- その日、その時は誰も知りません。天使たちも、御子でさえも知りません。ただ父だけがご存じです。
- イエスの再臨の日付を特定できると主張する者は、イエスご自身よりも多くを知っていると主張していることになります。
- イエスはご自身の再臨を、旅に出る人にたとえられます。その人は自分の家をしもべたちに任せ、各自にその仕事を指示し、門番には目を覚ましているよう命じます。
- 目を覚ましていなさい。夕方であれ、真夜中であれ、鶏の鳴くころであれ、朝であれ、主が帰って来られるときに眠っていてはいけません。
心に留めておきたいポイント
- イエスは必ず世界を裁くために再び来られます。いつかは分かりませんが、それが起こることは分かっています。
- 戦争や災害、迫害は、今日が終わりの日であることを意味するのではなく、終わりが必ず来ることを私たちに思い起こさせるものです。
- 西暦70年の神殿の破壊は、世界の終わりが近いことを示す先触れです。それより前に待つべきものは、もう何もありません。
- 避けるべき二つの極端があります。終末についての絶え間ない不安(ニュースを注視し、兆候を解読すること)と、イエスが再び来られることを完全に忘れてしまうことです。
- もしイエスが、ゆがんだこの世界を正すために再び来られるのなら、本当に問うべきことは「私は備えができているか」ということです。イエスが死なれたのは、まさにそのため、私たちを備えさせるためなのです。
個人的な適用
- ニュースを見たり、終末を予言する動画に出くわしたりするとき、あなたはどう反応しますか。終末についての不安の中に生きていますか、それともイエスが再び来られることを忘れて生きていますか。
- あなたの周りやインターネット上で、イエスの名において語ると主張しながら、御言葉に忠実でない声はどれですか。それをどのように見分けていますか。
- イエスへの信仰ゆえに、どこで敵意に、たとえそれがひそやかなものであっても、出会っていますか。動揺せずにそれを乗り越える備えはできていますか。
- もし今日の午後イエスが戻って来られたら、あなたは備えができていますか。イエスの赦しに信頼を置くことを、まだ何があなたを妨げていますか。
- ジェイソンの招きを真剣に受け止めますか。「イエスは今日戻って来られるかもしれない」と毎日思い起こさせてくれる、定期的な予定をカレンダーに作ることです。
引用された聖句
- マルコ13章1-37節(語られた箇所)
- マルコ11章(神殿とその宗教は裁かれるべきであった)
- マルコ12章(なぜ神殿は裁かれる必要があったのか)
- ダニエル書7章(雲に乗って来られる人の子)
- マラキ書3章(裁きは神殿から始まる)
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よくある質問
イエスは「この時代は決して過ぎ去らない、これらのことがみな起こるまでは」と言われたことで間違っていたのでしょうか。
いいえ。この箇所全体を通して、「これらのこと」や「これら」という表現は神殿の破壊を指しています。弟子たちは箇所の初めに神殿について質問しており、イエスはこの時代がまさにこの出来事、すなわち西暦70年に起こった出来事を見ることになると答えておられます。この時点では、ご自身の再臨について語っていたのではありません。
誰もその日、その時を知らないのなら、なぜイエスはご自身の再臨が「近い」と言われるのでしょうか。
「近い」とは「すぐに」という意味ではありません。神の予定表の中で、それより前に起こるべき他の出来事がもうないという意味です。西暦70年の神殿の破壊以来、イエスの再臨が予定表の次の日程です。ずっと先に戻って来られるかもしれませんし、今日の午後かもしれません。他に待つべき兆候はありません。
その日に備えができているかどうか、どうすれば分かりますか。
良い知らせは、イエスがこれらの言葉を語られたとき、まさにご自身が私たちを備えさせ、赦し、この裁きを恐れる必要がないようにするために、死のうとしておられたということです。ですから問いはこうです。あなたはこの赦しを受け入れましたか。神がすべてを正してくださる、より良い世界という夢は幻想ではなく、イエスの約束です。そして最後には、イエスが勝利されるのです。
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