聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 84
概要
詩篇84篇は、神の家を慕う巡礼者、コラの子たちの歌です。詩人は主の大庭を慕い、そこではすずめやつばめでさえ巣を得ています。主の家に住む人、主に信頼する人はさいわいです。彼らは涙の谷であるバカの谷を通り、そこを泉のある所とします。神の大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさります。主は日であり、盾だからです。主に信頼する人はさいわいです。
この章の4つの区分
1万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。
2わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
3すずめがすみかを得、つばめがそのひなをいれる巣を得るように、万軍の主、わが王、わが神よ、あなたの祭壇のかたわらに わがすまいを得させてください。
4あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。
5その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです。
6彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。
7彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。
8万軍の神、主よ、わが祈をおききください。ヤコブの神よ、耳を傾けてください。
9神よ、われらの盾をみそなわし、あなたの油そそがれた者の顔をかえりみてください。
10あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。
11主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。
12万軍の主よ、あなたに信頼する人はさいわいです。
鍵となる聖句
わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。
慕う思いは全身に及びます。たましいも心も身も、生ける神にむかって叫びます。詩人は懐かしむだけでなく、神の臨在に飢え渇いているのです。
彼らはバカの谷を通っても、そこを泉のある所とします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。 彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。
バカはおそらく涙の谷を意味します。巡礼者たちがそこを通ると、泉のある所になります。神は試練を備えに変えてくださり、道を進むほどに力は増していきます。
あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にもまさるのです。わたしは悪の天幕にいるよりは、むしろ、わが神の家の門守となることを願います。
詩人は、神のもとにいる一日の価値をよそにいる千日と比べます。悪の天幕にいるよりは、神の家の門守となることを選びます。
主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。
主は日であり、盾です。照らし、守ってくださいます。恵みと誉を与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。
この章に登場する人物
説教が語っていること
詩篇84篇についてよくある質問
詩篇84篇はどんな意味ですか
詩篇84篇は、神の家で神の近くにいたいという深い願いを表しています。巡礼者たちが涙の谷を泉のある所に変え、道の途中でさらに力を受けるようすを描きます。神のもとにいる一日はよそにいる千日にまさると語り、信頼で結ばれます。
詩篇84篇は誰が書きましたか
表題はコラの子たちの作としています。聖所で歌や奉仕を担ったレビ人の家系です。42篇、44篇、49篇、85篇など、彼らの名がつく詩篇は複数あり、礼拝やエルサレムへの巡礼にかかわる歌です。
「バカの谷」とは何ですか
バカは「涙」、あるいは乾いた谷と理解でき、詩篇は巡礼の険しい道のりとして名を挙げています。神とともに通る人は、そこを泉に満ちた所にすると本文は語ります。神と歩みながら経験する試練の姿です。
詩篇84篇でどう祈ればよいですか
1節と2節をゆっくり読み、神の臨在を慕う思いを新しくしてくださるよう願います。次に、いま通っている谷を思い、6節と7節に照らして神にゆだねます。最後に12節で、自分と教会のために神への信頼を言い表して結びます。
詩篇 84を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。