聖書 — 口語訳 (1955)

マタイによる福音書 20

概要

マタイの福音書20章は、ぶどう園の労働者のたとえで始まります。主人は、何時から働き始めたかにかかわらず、全員に同じ一デナリを支払います。続いてイエスは、エルサレムでの死を三度目に告げ、ゼベダイの子らの母の願いに答えて、偉大さの考え方を逆転させます。偉い者とは、仕える者です。章の終わりは、エリコで黙ることを拒んだ二人の盲人のいやしです。恵みと奉仕と、あきらめない信仰を語る章です。

この章の4つの区分

  1. 1-16節ぶどう園の労働者:主人の気前のよさ
  2. 17-19節イエスが死と復活を告げる
  3. 20-28節ゼベダイの子らの母の願い:偉い者は仕える者
  4. 29-34節エリコの二人の盲人が見えるようになる

1天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。

2彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。

3それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。

4そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。

5そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。

6五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。

7彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。

8さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。

9そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。

10ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。

11もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして

12言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。

13そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。

14自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。

15自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。

16このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。

17さて、イエスはエルサレムへ上るとき、十二弟子をひそかに呼びよせ、その途中で彼らに言われた、

18「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、

19そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は三日目によみがえるであろう」。

20そのとき、ゼベダイの子らの母が、その子らと一緒にイエスのもとにきてひざまずき、何事かをお願いした。

21そこでイエスは彼女に言われた、「何をしてほしいのか」。彼女は言った、「わたしのこのふたりのむすこが、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるように、お言葉をください」。

22イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。

23イエスは彼らに言われた、「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。しかし、わたしの右、左にすわらせることは、わたしのすることではなく、わたしの父によって備えられている人々だけに許されることである」。

24十人の者はこれを聞いて、このふたりの兄弟たちのことで憤慨した。

25そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた、「あなたがたの知っているとおり、異邦人の支配者たちはその民を治め、また偉い人たちは、その民の上に権力をふるっている。

26あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、

27あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。

28それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

29それから、彼らがエリコを出て行ったとき、大ぜいの群衆がイエスに従ってきた。

30すると、ふたりの盲人が道ばたにすわっていたが、イエスがとおって行かれると聞いて、叫んで言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。

31群衆は彼らをしかって黙らせようとしたが、彼らはますます叫びつづけて言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。

32イエスは立ちどまり、彼らを呼んで言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。

33彼らは言った、「主よ、目をあけていただくことです」。

34イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。

鍵となる聖句

15節
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。

主人は、自分の物を自分のしたいようにしてはいけないのか、と問います。これは気前のよさをめぐる問いです。先に来た労働者たちの比べる目は、読む私たち自身を映す鏡になります。

16節
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。

「あとの者は先になり、先の者はあとになる」。イエスは、功績や経験の長さによる人間の順位づけを、御国では逆転させます。

26-27節
あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、 あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない。

イエスは、民を治める異邦人の支配者たちの姿と、弟子たちの姿を対比されます。偉大さは地位ではなく、仕えることと謙遜を通して表れます。

28節
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

人の子は、仕えるために来て、多くの人のあがないとして自分の命を与えるために来ました。十字架の意味を最も明確に語る言葉の一つで、命を与えるまでに至る奉仕です。

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説教が語っていること

マタイによる福音書20章についてよくある質問

ぶどう園の労働者のたとえのメッセージは何ですか?

イエスは、天の御国が功績の計算ではなく、主人の気前のよさに基づくことを示されます。十一時に来た人も、朝一番に来た人と同じ一デナリを受け取ります。このたとえは、自分は遅すぎたと思う人には良い知らせであり、自分の働きを比べてねたむ人には警告となります。

「あとの者は先になる」とはどういう意味ですか(マタイ20章16節)?

イエスは、御国が人間の順位を逆転させると告げられます。経験の長さも、成果も、社会的な地位も、神の前では有利になりません。この言葉は、先の者には権利を主張する心を手放すよう促し、遅れたと感じる人には、主人の恵みはぶどう園にいた時間では測られないと安心を与えます。

マタイ20章26節から28節の、仕えることで偉くなるとはどういうことですか?

ゼベダイの子らの願いのあと、イエスは異邦人の支配者たちの支配と、弟子たちのあり方を対比し、偉い者は仕える人だと言われます。ご自身も、仕えるために来て、あがないとして命を与えるために来た方として模範を示されます。ですからキリスト者の権威は、押しつけるものではなく、与えるもので測られます。

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