聖書 — 口語訳 (1955)

マラキ書 1

概要

マラキ書1章は、旧約聖書の最後の書を、対話で始めます。神は民を愛していると言われ、民は、どのように愛されたのかと問い返します。神はヤコブとエサウに触れて答え、盲目の、足のなえた、病気の動物をささげて御名を軽んじる祭司たちを責められます。子はその父を敬うものであること、そして神ご自身が、国々の中で御名が恐れられる大いなる王であることを思い起こさせます。この章は、宗教の残りかすではなく、真実な礼拝を求めています。

この章の3つの区分

  1. 1-5節わたしはあなたがたを愛した:ヤコブへの神の愛
  2. 6-9節子は父を敬う:祭司たちへの叱責
  3. 10-14節軽んじられたささげ物と、国々の中で恐れられる御名

1マラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉の託宣。

2主は言われる、「わたしはあなたがたを愛した」と。ところがあなたがたは言う、「あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか」。主は言われる、「エサウはヤコブの兄ではないか。しかしわたしはヤコブを愛し、

3エサウを憎んだ。かつ、わたしは彼の山地を荒し、その嗣業を荒野の山犬に与えた」。

4もしエドムが「われわれは滅ぼされたけれども、荒れた所を再び建てる」と言うならば、万軍の主は「彼らは建てるかもしれない。しかしわたしはそれを倒す。人々は、彼らを悪しき国ととなえ、とこしえに主の怒りをうける民ととなえる」と言われる。

5あなたがたの目はこれを見て、「主はイスラエルの境を越えて大いなる神である」と言うであろう。

6「子はその父を敬い、しもべはその主人を敬う。それでわたしがもし父であるならば、あなたがたのわたしを敬う事実が、どこにあるか。わたしがもし主人であるならば、わたしを恐れる事実が、どこにあるか。わたしの名を侮る祭司たちよ、と万軍の主はあなたがたに言われる。ところがあなたがたは『われわれはどんなふうにあなたの名を侮ったか』と言い、

7汚れた食物をわたしの祭壇の上にささげる。またあなたがたは、主の台は卑しむべき物であると考えて、『われわれはどんなふうに、それを汚したか』と言う。

8あなたがたが盲目の獣を、犠牲にささげるのは悪い事ではないか。また足のなえたもの、病めるものをささげるのは悪い事ではないか。今これをあなたのつかさにささげてみよ。彼はあなたを喜び、あなたを受けいれるであろうかと、万軍の主は言われる。

9あなたがたは、神がわれわれをあわれまれるように、神の恵みを求めてみよ。このようなあなたがたの手のささげ物をもって、彼はあなたがたを受けいれられるであろうかと、万軍の主は言われる。

10あなたがたがわが祭壇の上にいたずらに、火をたくことのないように戸を閉じる者があなたがたのうちに、ひとりあったらいいのだが。わたしはあなたがたを喜ばない、またあなたがたの手からささげ物を受けないと、万軍の主は言われる。

11日の出る所から没する所まで、国々のうちにわが名はあがめられている。また、どこでも香と清いささげ物が、わが名のためにささげられる。これはわが名が国々のうちにあがめられているからであると、万軍の主は言われる。

12ところがあなたがたは、主の台は汚れている、またこの食物は卑しむべき物であると言って、これを汚した。

13あなたがたはまた『これはなんと煩わしい事か』と言って、わたしを鼻であしらうと、万軍の主は言われる。あなたがたはまた奪った物、足なえのもの、病めるものを、ささげ物として携えて来る。わたしはそれを、あなたがたの手から、受けるであろうかと主は言われる。

14群れのうちに雄の獣があり、それをささげると誓いを立てているのに、傷のあるものを、主にささげる偽り者はのろわれる。わたしは大いなる王で、わが名は国々のうちに恐れられるべきであると、万軍の主は言われる。

鍵となる聖句

2節
主は言われる、「わたしはあなたがたを愛した」と。ところがあなたがたは言う、「あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか」。主は言われる、「エサウはヤコブの兄ではないか。しかしわたしはヤコブを愛し、

神はまずご自分の愛を宣言されますが、民はその証拠を求めます。この章は、民が神を敬わなくなったと責められる前に、神の愛を疑っている姿を示しています。

6節
「子はその父を敬い、しもべはその主人を敬う。それでわたしがもし父であるならば、あなたがたのわたしを敬う事実が、どこにあるか。わたしがもし主人であるならば、わたしを恐れる事実が、どこにあるか。わたしの名を侮る祭司たちよ、と万軍の主はあなたがたに言われる。ところがあなたがたは『われわれはどんなふうにあなたの名を侮ったか』と言い、

神はご自分を父として、また主人として示し、受けるべき敬いはどこにあるかと問われます。この叱責は、御名を軽んじながら、神に仕えているつもりでいる人々に向けられています。

8節
あなたがたが盲目の獣を、犠牲にささげるのは悪い事ではないか。また足のなえたもの、病めるものをささげるのは悪い事ではないか。今これをあなたのつかさにささげてみよ。彼はあなたを喜び、あなたを受けいれるであろうかと、万軍の主は言われる。

盲目の、足のなえた、病気の動物を神にささげることは、総督にはあえてささげないようなものであり、口先だけの礼拝を表しています。神は最良のものを受けるにふさわしい方です。

14節
群れのうちに雄の獣があり、それをささげると誓いを立てているのに、傷のあるものを、主にささげる偽り者はのろわれる。わたしは大いなる王で、わが名は国々のうちに恐れられるべきであると、万軍の主は言われる。

この章は神の偉大さで終わります。神は国々の中で御名が恐れられる大いなる王です。半分だけのささげ物は、神について口にしていることと矛盾します。

この章に登場する人物

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説教が語っていること

マラキ書1章についてよくある質問

マラキ書1章2節と3節の、ヤコブを愛しエサウを憎んだとはどういう意味ですか

本文は、神のヤコブへの選びと、エサウの子孫であるエドムへのさばきを対比させています。多くの注解者は、これを人間的な憎しみの感情ではなく、優先と契約の表現と理解します。選びの範囲についてはキリスト教の伝統によって見解が分かれますが、神がご自分の民に忠実であることでは一致しています。

マラキ書1章の主なメッセージは何ですか

神は民への愛を宣言し、欠陥のある動物をささげて神を軽んじた祭司たちを責められます。子は父を敬うものであること、そしてご自分が大いなる王であることを思い起こさせます。中心となるメッセージは、礼拝は真実でなければならず、総督にならささげないようなものを神にささげてはならないということです。

マラキ書1章で、なぜ足のなえた動物のささげ物は神に喜ばれないのですか

祭司たちは盲目の、足のなえた、病気の動物をささげていましたが、律法は欠陥のない動物を求めていました。それは神への敬意の欠如を示し、神が後回しにされていたのです。この叱責は心の態度に向けられています。最良のものではなく、習慣や疲れから残り物を与えることです。

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