聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 95

概要

詩篇95篇は二つの流れで読めます。はじめは、主にむかって歌い、ひれ伏すようにという喜びの招きです。主は大いなる神、地と海の造り主、そしてご自分の民の牧者です。後半は警告です。きょう、そのみ声を聞くなら、荒野のメリバやマッサで先祖たちがしたように心をかたくなにしてはなりません。彼らは神を試み、神の安息に入ることができませんでした。この詩篇はヘブル人への手紙にも引用されています。

この章の4つの区分

  1. 1-2節喜びの声をあげて歌おうという招き
  2. 3-5節大いなる神、地と海の主
  3. 6-7節造り主であり牧者である方の前にひれ伏す
  4. 7-11節きょう、メリバのように心をかたくなにしてはならない

1さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。

2われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。

3主は大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。

4地の深い所は主のみ手にあり、山々の頂もまた主のものである。

5海は主のもの、主はこれを造られた。またそのみ手はかわいた地を造られた。

6さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。

7主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。

8あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。

9あの時、あなたがたの先祖たちは わたしのわざを見たにもかかわらず、わたしを試み、わたしをためした。

10わたしは四十年の間、その代をきらって言った、「彼らは心の誤っている民であって、わたしの道を知らない」と。

11それゆえ、わたしは憤って、彼らはわが安息に入ることができないと誓った。

鍵となる聖句

1-2節
さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。 われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。

賛美は神に近づく道として示されています。確かな岩に向かうように、喜びの声をあげ、ともに神のみ前に出ます。

6節
さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。

歌のあとに、体が低くなります。この詩篇の賛美は、喜びと、造り主の前での謙遜とが一つになっています。

7節
主はわれらの神であり、われらはその牧の民、そのみ手の羊である。どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。

神は造り主であり、また牧者です。民は神のみ手に導かれる羊の群れです。「どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。」という言葉が、警告の始まりです。

8節
あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない。

メリバとマッサは出エジプト記17章を指します。民は神がおられることを疑い、水を求めて不平を言いました。かたくなな心とは、見てきたことがあってもなお疑い続ける心です。

説教が語っていること

詩篇95篇についてよくある質問

詩篇95篇はどんな意味ですか

詩篇95篇は、まず歌い、ひれ伏し、神を造り主また牧者として認めるよう招きます。そして、み声を聞くときにメリバやマッサの先祖のように心をかたくなにしてはならないと警告します。賛美の喜びと、み言葉に聞く真剣さを一つに結んでいます。

詩篇95篇の「心をかたくなにする」とはどういう意味ですか

神がすでに示してくださった真実にもかかわらず、そのみ声に耳を傾けず、逆らうことです。イスラエルの先祖たちは神のみわざを見ながら、荒野で神を疑いました。詩篇は、先延ばしにせず「きょう」応えるよう招いています。ヘブル人への手紙もこの警告を取り上げています。

詩篇95篇でどう祈ればよいですか

三つの動作で祈ってみましょう。まず賛美を歌うか口にします(1節と2節)。次に、造り主の前で静かにひざまずきます(6節)。最後に、耳を傾ける時間をとり、きょう聞くべき言葉は何か、自分の心をかたくなにしているものは何かを神に尋ねます。

詩篇 95を引用している記事

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