はじめに
人生の最期のとき、残される人たちにどんな言葉を遺したいですか。「私を忘れないでください」でしょうか。「盛大な葬儀をしてください」でしょうか。「立派なお墓を建ててください」でしょうか。それとも、子どもたちのことや、遺産の分け方についての言葉でしょうか。説教者はこの問いかけから始め、歴代誌に記されたダビデの最後の言葉に目を向けます。「あなたがたの神、主をほめたたえなさい。」
このメッセージは、大阪オンヌリキリスト教会の早天礼拝で語られたもので、歴代誌上の通読を締めくくります。水曜日には、ダビデとイスラエルの指導者たちが金、銀、宝石をささげました。木曜日には、ダビデが神をほめたたえ、ソロモンが全き心で神殿を建てるように祈りました。この日の箇所、歴代誌上29章20〜30節は、その続きを示しています。王国が次の世代に受け継がれていくのです。
説教者は、次世代と子ども伝道を担当する牧師として自己紹介し、ここから二つのことを語ります。私たちの姿が、次の世代の受け取る信仰の遺産になるということ。そして、神が私たちを招いておられる人生は、試練や失敗のない人生ではなく、神に信頼する人生だということです。
メッセージの流れ
1. ダビデの最後の言葉:「主をほめたたえなさい」
- この箇所は二つに分かれます。20〜25節は、会衆全体の礼拝、祝いの食事、そして王国が堅く立てられたソロモンの即位を描いています。26〜30節は、ダビデの治世と生涯をまとめています。
- 「ダビデは全会衆に言った、『あなたがたの神、主をほめたたえなさい』」(20節)。これが歴代誌におけるダビデの最後の言葉です。自分の記憶のことも、墓のことも、遺産のことも語っていません。
- 説教者はここに、イスラエルの民が世代から世代へと、ただひとりの真の神をほめたたえ、礼拝し続けてほしいというダビデの願いと祈りを聞き取ります。
- 会衆は主をほめたたえ、「こうべをさげて主と王とを拝し」ました。これは、民が神とダビデの両方を礼拝したという意味ではありません。ヘブライ語のシャーハーは、神にささげる礼拝を表すと同時に、人に対する敬意を表す言葉でもあります。民は神を礼拝し、王を敬ったのです。
2. 礼拝の祝宴とソロモンへの油注ぎ
- 翌日は、さらに大きな礼拝と喜びの日でした。民は全焼のいけにえとして、雄牛一千頭、雄羊一千頭、小羊一千頭をささげます(21節)。
- 歴代誌下の初めに記されたソロモンの一千頭の全焼のいけにえはよく知られています。しかし、一千頭の動物を最初にささげたのはダビデでした。ソロモンのいけにえは、父の模範に倣ったものです。
- 22節には食事の場面があります。「その日、彼らは大いに喜んで、主の前で食い飲みした。」説教者はここから、和解のいけにえもささげられたと理解します。動物の一部を神にささげ、残りを民が共同の食事として分かち合ういけにえです。
- 続いて、ソロモンは「再び」王として油を注がれます。最初の油注ぎ(列王記上1章39節)は、アドニヤが王位を奪おうとしている最中の、急を要する状況で行われました。今回は、より正式な形で即位が行われます。
3. 王国を堅く立てられるのは主である
- 23〜24節は、多くの人々がソロモンに忠実に従って仕えていたことを示します。すべての長たち、勇士たち、ダビデ王の子らがみな彼に服しました。彼らによって、ソロモンの治世は堅く立てられていきます。
- しかし、25節はもっと大切なことを語ります。「主は全イスラエルの目の前でソロモンを非常に大いなるものとされた。」この文の主語は神です。
- 歴代誌の著者は、ソロモンを偉大な王とし、その治世を確立されたのは、何よりも主ご自身であることを強調します。この箇所はイスラエルの歴史の転換点です。王国は次の世代に移り、新しい時代が始まります。
4. 私たちの姿が子どもたちへの遺産になる
- 説教者は、教会のすべてのメンバーが子ども伝道に仕えてほしいと願っています。出生数が減り、人口が高齢化する社会では、教会に子どもがとても少なくなっています。日本の多くの教会には、子どもが一人か二人しかいません。この国でイエスを信じる子どもたちに教え、寄り添うことは、尊い働きです。
- けれども、次世代に関わることは、この働きだけに限られません。鍵は、20〜22節にある民の姿勢です。彼らは礼拝し、ささげ、喜びを分かち合いました。その空気の中で、王国は次の世代に受け継がれていきます。
- 子どもたちは、私たちが教会でどのように礼拝し、賛美しているかを見ています。私たちが献金や時間や力をささげて仕えている姿も見ています。日曜日の昼食を喜んで一緒にいただく様子も見ています。そのすべてが、子どもたちにとって尊い信仰の遺産になります。
- もし礼拝や食卓に喜びも平安もなかったとしたら、どうでしょうか。それは良い遺産にはなりません。家庭でも同じです。「お父さんとお母さんは教会では笑顔なのに、家ではけんかばかりしている。」「教会では良いことばかり言うのに、家では教会や仕事の不満ばかり言っている。」子どもたちは、そのことも見ています。
5. 対立の中で和解の道を示す
- 正直に言えば、家庭がいつも平和とは限りませんし、教会も同じです。教会の中にも緊張があり、夫婦の間にも言い争いがあります。「私たちは罪人の集まり」であり、教会も家庭も天国ではありません。
- 子どもたちは、小学校、中学校、高校と成長するにつれて、教会がいつも穏やかな場所ではないこと、両親がいつも仲良しではないことに気づいていきます。
- こうした対立はある意味で避けられません。しかし、大切なのはまさにそこです。自分の過ちを認めること、互いに悔い改めること、夫婦げんかのあとに仲直りすること。子どもたちはそれを見ています。
- 教会や家庭に災いが訪れたとき、子どもたちは、「大丈夫、イエス様がいてくださるから」と言い合い、励まし合って、ただイエス様だけに頼って前を向く大人の姿も見ています。
- そして、私たちが家庭や教会で心から祈っている後ろ姿も見ています。「元気いっぱいの祈りではなく、本気で祈っている姿が、子どもたちの記憶に残るのです。」家でも学校でも、日々の一つひとつの言葉と行動が、私たちが受け渡す信仰の遺産になります。
6. 四十年の治世の総括
- ダビデが本格的に登場するのは、歴代誌上11章です。29章26〜28節は、その治世と生涯をまとめています。
- 彼は四十年間王でした(27節)。最初はエルサレムの少し南にあるヘブロンで、ユダの王として七年。サムエル記下5章5節は、七年六か月と記しています。その後、エブス人からエルサレムを奪い、そこにダビデの町を築き、全イスラエルを三十三年治めました。
- 28節は彼の死を伝えています。三十歳で王となり、四十年統治したので、七十歳で生涯を閉じたことになります。
- 歴代誌の著者は、ダビデを軍事的な征服者としてよりも、信仰の模範であり、偉大な霊的指導者として描いています。彼は神殿の資材と詳細な設計図を丹念に準備し、礼拝と奉仕を整え、金、銀、宝石を惜しみなくささげました。
- 28節の中心は、ダビデの死ではなく、ソロモンへの継承です。この箇所は、次の世代に向けた明るい展望を開いています。
- このメッセージは、バビロンから帰還した捕囚の民にも、私たちにも向けられています。ダビデを模範とし、神を中心に据え、神を中心とした礼拝を築きなさい。そうすれば、次に来る世代に明るい未来が開かれます。
7. 失敗のときにも神に信頼する人生
- 「彼は幸福な老年に達し、日は満ち、富と誉を得て死んだ」(28節)。この一節だけを読むと、ダビデは生涯幸せだったように思えるかもしれません。しかし、サムエル記と列王記は反対のことを示しています。サウルに追われ、荒野を逃げ回り、親しい友と実の息子に裏切られ、自分自身も重い罪を犯しました。
- それでも彼が模範であり続けているのは、すべてがうまくいったからではありません。失敗や試練のただ中で、主に向き直り、主に信頼し、主のもとに立ち返ったからです。
- サウルから逃げていたとき(サムエル記上24章と26章)、ダビデはサウルを殺す機会がありましたが、そうしませんでした。神の時を待ったのです。不当な扱いを受けたとき、自分のやり方や自分のスケジュールで動かず、神に委ね、神の時を待ちましょう。
- バテ・シェバとの罪と、人口調査の罪のあと、罪を示されたとき、ダビデは言い訳をしませんでした。すぐに認め、悔い改めました。「罪が明るみに出たとき、私たちの信仰が試されるのです。」
- 詩篇3篇、13篇、63篇は、ダビデがいつも強かったわけではないことを示しています。彼は自分の弱さや苦しみを正直に神に申し上げ、そのうえで神に信頼することを選びました。不安なときは、この世の解決策だけを探すのではなく、まず主の前で祈り、思いを打ち明けましょう。
- 「幸せな人生とは、試練や失敗のない人生ではなく、ダビデのように最後まで主に信頼する人生です。」失敗はあなたの人生の終わりではありません。罪を犯したなら、すぐに悔い改めて主のもとに帰りましょう。苦しんでいるなら、主の助けを求めましょう。落ち込んでいるなら、主によって力を取り戻し、再び歩み出しましょう。そして、喜びの日にも悲しみの日にも、主を礼拝し続けましょう。
ポイントのまとめ
- ダビデの最後の言葉は、自分の記憶や遺産ではなく、神についてのものでした。「あなたがたの神、主をほめたたえなさい。」
- ソロモンの王国を堅く立てられたのは主です。世代から世代への受け渡しは、まず神のみわざです。
- 私たちが礼拝し、仕え、喜んで分かち合い、本気で祈る姿が、教会でも家庭でも、子どもたちが受け取る信仰の遺産になります。
- 対立は避けられません。子どもたちの心に残るのは、大人が過ちを認め、和解し、イエスに頼る姿です。
- 幸せな人生とは、試練や失敗のない人生ではなく、最後まで主に信頼する人生です。
個人への問いかけ
- 大切な人たちに最後の言葉を遺すとしたら、何と言いますか。その答えは、あなたにとって何が大切かを何と語っていますか。
- あなたが礼拝するとき、仕えるとき、教会で食事を分かち合うとき、周りの子どもたちは何を見ているでしょうか。
- 教会での自分と家庭での自分に、ずれはありませんか。そのずれを縮めるために、何から始められるでしょうか。
- 最後にけんかをしたあと、自分の過ちを認めて和解を求めましたか。何がそれを妨げているでしょうか。
- いま通っている試練や失敗の中で、神の時を待つこと、悔い改めること、思いを正直に神に打ち明けることは、あなたにとってどんな意味を持つでしょうか。
引用した聖句
- 歴代誌上29章20〜30節
- 歴代誌上29章20〜22節
- 歴代誌上29章23〜25節
- 歴代誌上29章26〜28節
- 歴代誌下1章6節
- 列王記上1章39節
- サムエル記下5章5節
- サムエル記上24章
- サムエル記上26章
- 詩篇3篇
- 詩篇13篇
- 詩篇63篇
よくある質問
歴代誌上29章20〜30節には何が書かれていますか。
この箇所は、ダビデの治世の終わりを描いています。20〜25節では、会衆全体が主を礼拝し、いけにえをささげ、祝いの食事を共にし、ソロモンが再び王として油を注がれます。主が彼の治世を堅く立てられます。26〜30節では、ヘブロンでの七年とエルサレムでの三十三年というダビデの四十年の治世がまとめられ、続いて彼の死とソロモンへの継承が記されます。
このメッセージによれば、信仰を次の世代にどう伝えればよいですか。
子ども伝道だけではありません。説教者は20〜22節に基づいて語ります。私たちが礼拝し、賛美し、ささげ、仕え、喜んで分かち合う姿そのものが、信仰の遺産になります。子どもたちは、私たちが対立にどう向き合うか、自分の過ちを認めて和解するか、家庭でも教会でも本気で祈っているかも見ています。
ダビデは過ちがあったのに、なぜ信仰の模範なのですか。
彼の人生は平坦ではありませんでした。サウルに追われ、身近な人々に裏切られ、自分自身も重い罪を犯しました。しかし彼は、サウルを殺さずに神の時を待ち、罪を示されたときには言い訳をせずに悔い改め、詩篇の中で自分の弱さを正直に神に申し上げました。幸せな人生とは、試練や失敗のない人生ではなく、最後まで主に信頼する人生だと、説教者は結論づけています。