はじめに
日本では、9月の第3月曜日は敬老の日です。この礼拝では、米沢興譲教会が髙木裕樹牧師に説教を託しました。髙木牧師はユーモアを交えて語り始めます。最近、ある人から「若い高齢者ですね」と声をかけられ、「元気な高齢者」と聞こえたそうです。そこで「はい、元気です!」と答えたといいます。
聖書の箇所は2コリント4章16〜18節です。「だから、わたしたちは落胆しない。たとい、わたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新たにされていく。」パウロはさらに、わたしたちは見えるものにではなく見えないものに目を注ぐと語ります。「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」
メッセージの題は一言で言えます。視点が変われば、世界が変わる。そして髙木牧師は要点をこうまとめます。見えないものに目を注ぎなさい。さらにきっぱりと言います。「あなたの人生は変わります。人生が変わらない人はいません。」
メッセージの流れ
1. 違う目で見ることを学ぶ
- 説教者は、アニメ化・舞台化もされた山口つばささんの漫画『ブルーピリオド』から語り始めます。主人公は、タバコも吸い、お酒も飲むけれど、学校の成績は抜群という高校生です。友だちと遊び歩きながら、自分の生活をつまらなく感じています。
- ある日、美術室にあった一枚の絵に足を止められます。彼は美術部に入り、東京藝術大学を目指すようになります。
- 絵を描くうちに、彼の見方が変わります。通りがかりの人が着ているもの、看板の根元のさびにも気づくようになります。醜いと思っていたものが美しく見えてきます。世界の見え方がすっかり変わるのです。
- 髙木牧師はこれを信仰に当てはめます。神は天と地を造られ、造られたものは良いものでした。その目で見るなら、無駄なものは何ひとつありません。
- 主人公は、題材をどの角度から見ても美しく描こうとし、存在していても目に見えないものを見えるようにし、内側で起きていること、つまり人間関係の「化学反応」や、言葉では言い表しにくい心の葛藤を表現しようとします。
- 教会のロビーでは、ある兄弟が、朝は白く夕方にはピンクに変わる花を育てています。「手品ではありませんよ」と牧師は笑います。夕方まで待てば、その変化を見ることができるのです。
2. 視点が変われば、心の姿勢が変わる
- 説教者は、3つの「C」について語ります。チェンジ(変化)、チャンス、チャレンジです。視点が変われば姿勢が変わり、姿勢が変われば考え方が変わり、考え方が変われば行動が変わり、行動が変われば人生が変わります。
- 時代も状況も移り変わります。しかし神の言葉は変わらず、あなたが立つことのできる平安を与えてくれます。
- 「落胆しない」と訳された言葉は、「くじけない」とも訳せます。記憶力や体力、知力は衰えることがあっても、霊的な力は失われません。ガラテヤ2章20節のように生きています。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストがわたしのうちに生きておられるのである。」
- ローマ社会は、目に見える成果ですべてを判断し、現代と同じように完全さを追い求めていました。しかし人間は、やがて自分の限界にぶつかります。神はその限界を用いて、私たちの目を御自身に向けさせ、失われた関係を回復してくださいます。
- 内なる人は、私たちの努力で新しくされるのではありません。心の目を開き、新しくしてくださるのは神の御霊です。
3. パウロの弱さ、恵みの場所
- パウロはきわめて厳しい現実の中からこれらの言葉を書いています。投獄され、何度も打たれ、死の危険にさらされ、体は限界でした。批判され、話し方がまずいとまで言われます。権威はずたずたにされ、深い心の苦しみと孤独を通ります。それでも福音を宣べ伝え続けます。
- 彼は「肉体のとげ」も負っていました。説教者は、身体の障害、おそらく目の病気、あるいは一説にはてんかんだったかもしれないと触れます。そんな彼の姿を見てつまずいた人たちもいました。
- パウロは、それが取り去られるように三度祈りました。神は答えられました。「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれるのだ。」
- だから彼は落胆しません。そのとげを通して受けた恵みは、とげそのものよりも大きいのです。彼の言葉は、理論ではなく、その人生から出てきたものです。
4. 考え方が変われば、解釈が変わる
- 髙木牧師自身も、セミナーや研修を行っています。ある講師が、自分の師匠の何がすごいのかを一言で言ってほしいと尋ねられた話を紹介します。「優秀な講師です」と答えることもできたはずです。ところが彼の答えは違いました。その師匠は、クライアントから「この研修の価値を確信しました」という評価をいただいている、というのです。
- パナソニック(旧ナショナル)の創業者、松下幸之助さんの話も紹介されます。松下さんには優秀な社員が二人いました。お客さんは一人目に「あなたは素晴らしい」と言いました。二人目には「松下さんの会社にはあなたのような人がたくさんいる。松下電器は素晴らしい」と言いました。大きく出世したのは二人目でした。一人目は自分の自我を前面に出していたのです。
- 牧師は、自分も説教をほめられるとうれしいと打ち明けます。しかし神は、あなたには価値があると言ってくださいます。そして、あなたがた一人ひとりを通して、ほかの人々が神のすばらしさを知ることができるのです。
- 考え方が変われば、解釈が変わります。過去は変えられませんが、失敗も含めて、過去があなたを形づくりました。神にとって、失われたものは何ひとつありません。「こうすればよかった」と言う代わりに、あのときの出来事を通して何を受け取ったのかを自分に問いかけてみてください。
- 未来はまだ来ていませんが、そこには宝が隠されています。あなたの考え方が、あなたの未来の向きを決めます。
5. 美容院から信仰の行動へ
- ある講演会で、大企業の社長が、60代から80代の経営者がそろった会場にこう呼びかけます。「人生を変えたいなら、頭を変えなさい。」牧師は、考え方を変えなさいという意味だと受け取ります。続けて講師は、床屋で散髪している人はいますかと尋ねます。ほとんどの人が手を挙げます。
- 講師のアドバイスはこうです。これからは評判のよい美容院に行き、店長か一番腕のよいスタイリストを指名して、たった一言だけ伝えなさい。「あなたにお任せします。」それが言えるなら、会社の業績は伸びていきます。
- 牧師はこの話を何度もしてきました。電気工事会社を経営する教会のある兄弟は、すぐに美容院に行きました。戻ってきたときには金髪になっていました。後ろから見ると、どこの外国の方が礼拝に来られたのだろうと思うほどでした。
- 牧師がほめると、その兄弟はこう答えました。「神様が後ろにいてくださるから大丈夫です。私は神様の作品として生きています。」彼は考えるだけでなく、実際に行動しました。試練があり、足が弱くなっても、彼の内なる人は生き生きとしています。
6. 祈りを変える信仰
- ヘブル11章1節は信仰を定義しています。「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」あなたが望んでいるものは、信仰によってすでにあなたの内にあり、日々の生活がそれを確かめる場所になります。
- 教会のある姉妹は、104歳でお母さんを主のもとへ見送ったばかりで、長年腰痛に悩んでいました。「私の腰を癒やしてください、痛みを取り除いてください」と祈っていました。何も変わらず、なぜ神は聞いてくださらないのだろうと思っていました。神は答えておられたのですが、それは沈黙という形でした。
- 彼女は、御霊が自分の内で働いておられるのを感じ、祈りが変わりました。「主よ、あなたはすべてをご存じです。私の腰の痛みもご存じです。あなたがすでに私を癒やし、回復してくださったと信じ、感謝します。」彼女の腰は癒やされ、喜んでそのことを証ししました。
- よい思考の習慣を身につけましょう。続けていくうちに、よい言葉が自然に口から出てくるようになります。私たちは人や環境から影響を受けますが、最も影響を受けるべきものは、神からのラブレターである聖書です。すべてが分からなくても、聖書との接点を持ち続けてください。それは神との接点を持ち続けることなのです。
- クリスチャンの中には、「WWJD」のブレスレットをつけている人もいます。「イエスならどうされるだろう」という意味です。聖書は、一人で祈られるイエス、大胆に祈られるイエス、少年のパンと二匹の魚で五千人を養われるイエスなど、さまざまな場面のイエスを見せてくれます。パンだけでなく、いのちの言葉によって人々の心が満たされたのです。
7. 永遠から人生を見つめる
- 髙木牧師は、二つの見方を区別します。生から死を見るのか、死から生を見るのかです。大の昆虫好きで知られる養老孟司さんの話を紹介します。養老さんは肺がんで、厳しい見通しを告げられました。病気になるのは当たり前のことだと受けとめ、今も標本づくりを続けています。まだ発見されていない昆虫がたくさんいて、それを世に知らせることが自分の使命だからです。
- 「もしそうなったらどうしよう」と思い悩む代わりに、できることをしましょう。永遠から今を見つめ、今与えられているいのちを精いっぱい生きてください。
- 肉体の死はすべての人に訪れますが、それは終わりでも滅びでもありません。地上で、私たちは旅人であり寄留者です。死は、たましいの故郷への帰還であり、そこから神とともに生きる永遠のいのちが始まります。
- 「うれしくありませんか。」天国では、信仰の先輩たちに再会します。生前に会ったことのない人たちとも会えます。牧師は、天国の入り口に旗が立っている光景まで思い描きます。「米沢興譲教会の皆さんは、こちらです!」そして、あなたを待っている言葉はこうです。「おかえりなさい、待っていたよ。」
- 少し前に、牧師はお孫さんの学校で行われた祖父母参観日に参加しました。子どもたちは自分の絵を発表し、クラスメイトがその良いところを伝えていました。クラスの自閉症のある子が、輝くような笑顔で、おばあさんの席に戻りながら、その子なりの言い方で「ただいま!」と声をあげました。会場中が笑いに包まれ、牧師は温かさに包まれる思いがしました。神が御自分の民のために用意しておられるのは、この迎えの言葉です。
- 伝道者の書3章11節はこう語っています。神はすべてのことを、その時にかなうように良く造り、人の心に永遠への思いを与えられました。信じる人々が世を去るとき、たとえ苦しみの中にあっても、その顔は神の平安に包まれています。
ポイント
- 視点が変われば、姿勢、考え方、行動、そして最後には人生が変わります。
- 外なる人は衰えますが、神の御霊は、何歳になっても日ごとに内なる人を新しくしてくださいます。
- 弱さは神にとって妨げではありません。神の恵みはあなたに十分であり、神の力は弱さの中で完全にあらわれます。
- 失敗も含めたあなたの過去は、神にとって失われたものではありません。「何をすべきだったか」ではなく、「そこで何を受け取ったか」を探してください。
- 信じる人にとって、死は終わりではありません。神が「おかえりなさい」と言ってくださる、故郷への帰還です。
個人への適用
- 今、あなたが最も目を向けているのは、目に見える成果ですか。それとも、神があなたの内で見えないところにしておられることですか。
- 過去のどの失敗を、「それを通して神は私に何を与えてくださったのか」と問いながら読み直せるでしょうか。
- 長い間繰り返してきた祈りの中に、信頼と感謝の祈りに変えられるものはありませんか。
- 今週、たとえ一日数分でも、たとえすべてが分からなくても、どうすれば聖書との接点を持ち続けられるでしょうか。
- 永遠から自分の人生を見つめるなら、今日、あなたは今ある力で何をしますか。
引用された聖句
よくある質問
「内なる人は日ごとに新たにされていく」とはどういう意味ですか。
2コリント4章16節で、パウロは自分の体が衰えていくことを認めています。投獄、打たれること、病気、批判があったからです。しかし内側では、何かが成長しています。髙木牧師によれば、この新しくされることは私たちの努力の実ではありません。体力や知力が衰えるときでも、内なる人を新しくしてくださるのは神の御霊です。
見えないものに目を注ぐには、どうすればよいですか。
説教者は、すべてが分からなくても、神からのラブレターである聖書との接点を持ち続けることを勧めます。御言葉との接点を持ち続けることは、神との接点を持ち続けることです。少しずつ考え方が変わり、やがて言葉、行動、そして人生全体が変わっていきます。
なぜクリスチャンにとって死は終わりではないのですか。
髙木牧師によれば、肉体の死はすべての人に訪れますが、それは終わりでも滅びでもなく、たましいの故郷への帰還です。永遠から自分の人生を見つめる人は、今の時を精いっぱい生き、神が「おかえりなさい」と言ってくださる日を待ち望むことができます。
メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。