受胎告知:神の恵みが人を戸惑わせるとき

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はじめに

神があなたを煩わせに来られる朝があります。荒々しくでも、大きな音を立ててでもありません。ただ、神は一人の使者を送り、あなたの予定を、婚約を、評判を、そして人生全体を覆してしまわれるのです。今からおよそ2000年前、ナザレに住む一人の少女に起こったのが、まさにこのことでした。彼女の名前はマリアです。一人の御使いが彼女の前に立ち、彼女が世界の救い主を宿すことになると告げます。

ルカ1:26〜38の記事を読むと、マリアは計り知れない恵みを受けたのだと考えるかもしれません。それは事実です。けれども、少しの間だけ彼女の立場に身を置いてみると、この瞬間、この知らせは何よりもまず一つの問題のように見えたはずだと分かります。マリアはヨセフと婚約していました。彼女が生きていた社会では、結婚前に身ごもった女性は石打ちの刑に処される危険がありました。彼女はまだ十五歳ほどでした。ガブリエルの訪問は、簡単に開けられるような贈り物では決してなかったのです。

それでも、待降節のこの箇所は、今日のあなたに多くのことを語りかけています。なぜなら、神がマリアに近づかれた仕方は、今もなお神があなたに近づかれる仕方だからです。この箇所には三つの真理が貫かれていて、それらは、神があなたの人生に置かれるものをどう受け止めるか、そのあり方を変えることができます。

記事の構成

1. 神の恵みは、初めは煩わしさのように見えることがある

2. 神は聖霊を豊かに与えてくださる

3. 祝福された人生の秘訣は、マリアの応答の中にある

1. 神の恵みは、初めは煩わしさのように見えることがある

ガブリエルはマリアのもとに入り、こう挨拶します。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」(ルカ1:28)。聖書は、マリアが「戸惑い」、この挨拶が何を意味するのかを考え込んだと記しています。分かりやすく言えば、彼女は動揺していたのです。

続けて御使いはこう言います。「ご覧なさい。あなたは身ごもって男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい」(ルカ1:31)。外から見れば、これは歴史上最も驚くべき知らせです。しかし、マリアの部屋から見れば、それは社会的な大惨事です。これをどうヨセフに説明すればよいのでしょうか。どうすれば、拒絶されず、訴えられず、あるいは殺されずに済むのでしょうか。

ここで心に留めたい第一のことがあります。神の恵みは、その瞬間にあなたが感じる感情によって測られるものではありません。今日、煩わしさ、いらだち、あまりに重すぎる負担のように思えることが、実はあなたがまだ想像もしていない祝福への扉であるかもしれないのです。それは、あなたの人生だけでなく、あなたの子どもたち、孫たち、そしてあなたが決して目にすることのない世代にまで及ぶかもしれません。

預言者イザヤはこう表現しています。「天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも高く、わたしの思いはあなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:9)。さらにこう続きます。「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしくは、わたしのところに戻らない。かえって、わたしの望むことを成し遂げ、わたしがそれを遣わした目的を成就する」(イザヤ55:11)。

神の恵みを、今すぐの感情から判断しないでください。今あなたが経験していることが、たとえ今は損失にしか見えなくても、後になって感謝の材料となることがあるのです。

二つの教会の物語を思い出します。2019年、沼津インマヌエル教会と沼津シオン教会は合併しました。インマヌエルの兄弟姉妹にとって、2018年、それまでの会堂で祝う最後のクリスマスは、変化の重さ、別れのつらさ、「どうして今なのか」という問いを抱えたものでした。決して簡単なことではありませんでした。それでも今、七年が経った今日、彼らは共に祝っています。あの苦しい移行は、感謝へと変わりました。始まりの煩わしさは、分かち合う祝福へと変わったのです。

このことを心に留めてください。神の祝福は、しばしば混乱、動揺、そしてこの重荷を取り除いてくださいと神に願いたくなる思いから始まります。神は、この道のりにもかかわらずではなく、この道のりを通して、あなたがひとりでは決して思い描けなかったような喜びと平安へと導いてくださるのです。

2. 神は聖霊を豊かに与えてくださる

そこでマリアは、唯一考えられる問いを投げかけます。「どうしてそのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに」(ルカ1:34)。ガブリエルの答えは、決定的に重要です。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」(ルカ1:35)。

この聖句は、一つの磁石のようなものです。使徒の働きにある、もう一つの有名な聖句とつながっています。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)。弟子たちは、ペンテコステの十日前にこの約束を聞きます。彼らは弱く、しばしば臆病で、失敗にまみれていました。それでも、復活から五十日後、彼らは聖霊を受け、もはや何も恐れない証人となるのです。

この二つの聖句の下には、もう一つ、あまり目立たない第三の聖句が流れています。イザヤは、何世紀も前にこう書いています。「ついには、上から霊が私たちの上に注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになる」(イザヤ32:15)。その後には、平和な住まい、安全な住まい、静かな安らぎの場所について語られています。

三つの聖句、しかし約束は一つです。御霊が来られるところで、渇いた地は再び果樹園となります。マリアは御霊に住まわれ、その内にイエス様を宿します。弟子たちは御霊を受け、福音を地の果てにまで運びます。あなたもまた、キリストに心を開くとき、御霊があなたの内に住まわれ、あなたの内側を変えてくださいます。

具体的には、これはどういうことでしょうか。それは、自分のためだけに生き、いつも「まず自分」を優先してきた人が、少しずつ変えられていくということです。すべてを否定的に見ていた人が、困難な出来事の中にさえ、光を、召しを、仕える機会を見出すことを学んでいくということです。それは、あなたの功績や力によるのではありません。あなたが御霊にどれだけの場所を明け渡すか、そこにかかっているのです。

これは教会の意味でもあります。教会とは、何よりもまず立派な建物や見栄えの良いプログラムのことではありません。それは、御霊が一人ひとりの心の中で働かれる場所であり、イエス様の御名によって集まった二人か三人でさえも、御臨在を経験する場所です(マタイ18:20参照)。信仰について何も知らず、メッセージの内容さえ理解しないまま教会に来ることもあります。それでも、心が静められ、温められ、慰められて帰っていくことがあります。それは、御霊が働いておられるからです。

この第二の真理を心に留めてください。今日まであなたを愛し、あなたを守ってこられた主は、明日もまた同じように、あなたを愛し、あなたを守り続けてくださいます。不安、健康、経済、難しい人間関係、それがどんなものであっても関係ありません。御霊は、あなたが恐れているときに離れて行かれることはありません。まさにその場所で、あなたに寄り添ってくださるのです。

3. 祝福された人生の秘訣は、マリアの応答の中にある

この戸惑わせる恵みと、この御霊の臨在を、具体的にどう受け取ればよいのでしょうか。答えは一つの言葉に込められています。38節のマリアのことばです。「ご覧ください。私は主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように。こうして御使いは彼女から去って行った」(ルカ1:38)。

この短い一言の中には、あなたにとっての三つの鍵となり得る、三つの信仰の姿勢が含まれています。

第一の鍵:「ご覧ください」

マリアは身を隠しません。神の前に自分を差し出します。祈りの中で、私たちは多くの場合、神を見つめますが、時に、ただ「私を見てください」と伝えることを忘れてしまいます。思い切って神にこう言ってみてください。「主よ、私に目を留めてください。」これは失礼なことではありません。信仰の行為です。あなたは、父を呼ぶ子どもです。神は、あなたに温かく、注意深く、愛に満ちたまなざしを注ぐことを喜んでくださいます。

第二の鍵:「私は主のはしためです」

マリアは「私はメシアの母です」とは言いません。まさにそのことを告げられたばかりだというのにです。彼女は、より低い場所に自分を置きます。はしため、はしため、はしため。すべての訳がこの同じ言葉を繰り返しています。これは、自分をわざと卑下したり、自分の価値を貶めたりすることではありません。それは、神の前では自分は何者でもないことを認め、まさにそこにこそ神の力が届くのだと知る、へりくだった心のことです。

詩篇51篇は、これを別の言葉で語っています。「神へのいけにえは、砕かれた霊です。神よ。砕かれた、悔いた心を、あなたは蔑まれません」(詩篇51:19)。神が最も嫌われるのは高慢です。神が最も喜んで受け入れられるのは、へりくだった心です。あなたはただのしもべ、はしためにすぎないことを、神の前で認めてください。これは敗北ではありません。それは、本当の自由の始まりです。

第三の鍵:「おことばどおり、この身になりますように」

これが頂点です。マリアは自分自身を明け渡します。自分にはどうすることもできないものを、愛の神の御手に委ねるのです。

英語訳聖書の一つ、ニュー・キング・ジェームス・バージョンでは、この聖句はこう訳されています。「Let it be to me according to your word.」ポール・マッカートニーは、母親の名前がメアリーでしたが、ビートルズが分裂しかけていたときに、ある有名な曲を書きました。タイトルは『Let It Be』です。多くの人は、この言葉が単に「なるようになれ」という意味だと考えています。けれども、マッカートニー自身の心の中では、この言葉はマリアのこの応答と結びついていました。もはや自分ではどうにもならない状況に直面したとき、彼は、母がこの言葉とともに自分のもとにやって来る姿を思い浮かべていたのです。「あなたのことばのとおりになりますように」と。

これは、「なるようになれ」というような消極的な放棄ではありません。あきらめでもありません。それは、もはや自分では何も制御できないことを認め、すべてを生ける神の御手に委ねる、積極的な信頼なのです。

パウロは自分の手紙の中でこう書いています。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。すべてのことです。あなたにとって、まったく否定的にしか見えないことも含めてです。神はそれらを取り上げ、練り上げ、方向を変えさせ、益としてくださるのです。

証しはそこから生まれます。海が二つに分かれるとか、死人がよみがえるといった華々しい奇跡の中だけではありません。むしろ、はるかに目立たないこの経験の中にです。試練の真っただ中で、あなたが自分の人生を主の御手に委ねたとき、主は、あなたには見えなかった脱出の道を開いてくださったのです。

覚えておきたいポイント

  • 神の恵みは、いくつもの世代にわたる祝福となる前に、まず煩わしさのように見えることがあります。
  • 恵みの価値を、今すぐの感情で測らないでください。神の思いは、あなたの思いよりもはるかに高いのです。
  • 御霊が来られるところでは、内なる荒野が果樹園に変えられます。それはあなたの努力の結果ではなく、御霊の御業です。
  • マリアの応答は、三つの姿勢からなります。「ご覧ください」(神の前に自分を差し出すこと)、「主のはしためです」(へりくだり)、「おことばどおりになりますように」(信頼に満ちた明け渡し)です。
  • 「神を愛する人たちのためには、すべてのことが働いて益となる」のです。今日、あなたにとってまったく否定的に見えることも含めてです。

自分への適用

  1. あなたの人生の中で、今、まだ意味の分からない煩わしさのように見える状況は何でしょうか。
  2. あなたは、父を呼ぶ子どものように、思い切って神に「私を見てください」と言えるでしょうか。
  3. あなたの人生のどの領域を、あなたはまだ本当に神に委ねておらず、むしろ自分でコントロールし続けようとしているでしょうか。
  4. あなたの周りの誰に、祝福へと変わった試練について証しすることができるでしょうか。
  5. 今週、「おことばどおり、この身になりますように」と言うための、あなたなりの具体的な方法は何でしょうか。

引用された聖句

よくある質問

なぜマリアは、祝福を受けているのに「戸惑った」のですか。

彼女の目には、その瞬間、この知らせが自分の婚約を、評判を、さらには命さえも脅かすものに見えたからです。当時、結婚前の妊娠は死刑に処される可能性があるものでした。神の祝福は、最初、解決不可能な問題という形で現れました。これは一つの教訓です。恵みは、最初に感じる感情によって判断されるべきものではないということです。

「おことばどおり、この身になりますように」とは、すべてを消極的に受け入れるという意味ですか。

いいえ、そうではありません。これはあきらめではありません。積極的な信頼です。あなたは、ある状況が自分の手には負えないことを認め、それを生きておられ、善良で、今も働いておられる神の御手に委ねることを選び取るのです。あなたは行動し、祈り、仕え続けます。けれども、自分の手に負えないものを、ひとりで背負い続けることはやめるのです。

聖霊が本当に自分の人生の中で働いておられるかどうか、どうすれば分かりますか。

実を見てください。あなたは少しずつ、より謙虚に、より忍耐強くなっているでしょうか。以前は否定的にしか見えなかったところに、前向きなものを見出せるようになっているでしょうか。以前よりも他の人に心を配れるようになっているでしょうか。これらは、目立たないけれども確かな、御霊の働きのしるしです。御霊は、あなたの心を変えるために、派手な奇跡を必要とはされないのです。

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