行動する前に待つこと:あなたを証人に変える約束

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はじめに

教会がとても小さく見える瞬間があります。屋上の間に集まったわずかな弟子たち、疑いを抱く世代、自分たちの力を数えては「この使命にはとても及ばない」とつぶやく群れ。使徒の働き1章4節から15節で、ルカはあなたをまさにその場所に立たせます。イエスはよみがえられ、まだ弟子たちと共におられ、彼らに戸惑うような命令を与えられます。「今すぐ行きなさい」ではなく、「待ちなさい」です。父の約束を待ちなさい、エルサレムにとどまりなさい、まず聖霊のバプテスマを受けなさい、と。地の果てにまで及ぶ使命が始まるのは、そのあとなのです。2026年2月22日の礼拝に招かれたブラジル人説教者、デヴィッド・ペロージ氏は、この箇所をもとに、初代教会が理解していて、私たちが時に忘れてしまっていることを思い起こさせてくれます。私たちのアイデンティティと力は、人数の多さからではなく、よみがえられた方とその御霊の臨在から来るのです。

メッセージの構成

1. 他者の目に左右されない、揺るぎないアイデンティティ

  • デヴィッド・ペロージ氏は、家族の話から始めます。彼は6人の子どもの父親であり、親としてもっとも大切なことのひとつは、子どもたちに「自分の価値を強く自覚させる」ことです。それによって、たとえ心無い言葉を浴びせられても揺らがない、しっかりしたアイデンティティが築かれます。
  • 言葉は人を傷つけることがあります。しかし、自分が何者かを知っている子どもは、投げつけられた言葉に自分を定義させません。教会も同じです。世界がどう見るかにかかわらず、しっかりと立てるアイデンティティが必要なのです。
  • 説教者は今の時代の誘惑を名指しします。「自分たちの困難という視点から」教会を描写すること、人数の少なさ、勇気の欠如、使命への尻込み。そこでアイデンティティは揺らぎ始めるのです。

2. 初代教会:小さくても確信に満ちていた

  • デヴィッド・ペロージ氏は、教会が今の私たちよりも「はるかに厳しく、現実に反する状況」の中で始まったことを思い起こさせます。それでも、教会は前に進んでいきました。
  • 教会を支えていたのは数字ではなく、その根っこでした。「教会は自分たちのアイデンティティに力強く確信を持ち、自分たちの価値と力にしっかりと結びついていました。それは人間的な視点で自分たちを定義するのではなく、神的な視点でアイデンティティに結びつくことでした。」
  • これはあなたへの学びでもあります。自分をどう見るかで、すべてが変わるのです。もし世の目で教会(そしてあなた自身)を見るなら、そこにあるのは弱さだけでしょう。しかし神の目で見るなら、そこには確信を持ち、遣わされ、住まわれている家族の姿が見えるはずです。
  • 説教者は驚くべき事実を強調します。イエスが肉体をもってこの地上におられたときでさえ、教会は「メガチャーチ」にはなりませんでした。人数としては小さいままだったのです。イエスがまず与えられなかったのは群衆でした。イエスが与えられたのは、御自分の臨在への確信だったのです。

3. 大宣教命令:iPadもインターネットもGPSもなしに

  • 使徒の働き1章は、弟子たちを「世界でもっとも困難な使命」の前に立たせます。それは主イエスが天に上げられる直前に与えられた命令でした。
  • デヴィッド・ペロージ氏はユーモアを交えてこう語ります。弟子たちは「iPadもインターネットもGPSもなしに」出発したのだ、と。道具も予算も組織的なネットワークも何もありません。それでもイエスは彼らを「地の果てにまで」証しする者として遣わされました。
  • あなたへの教訓ははっきりしています。神はしばしば、人間的に見て「必要だ」と思われる手段を何一つ持たない人々に、もっとも大きな使命をゆだねられます。神があなたに求めることは、あなたの持てる資源に比例するのではなく、常にあなたの内にある神の臨在に比例しているのです。

4. 「父の約束を待ちなさい」:行動の前に力を

  • この箇所の核心は、4節にあるイエスの不思議な命令です。「彼らに、エルサレムを離れないで、あなたがたがわたしから聞いた父の約束を待つように、と命じられた。」
  • 言い換えれば、復活されたイエスがご自分の教会にまず求められたのは、行動することではなく、立ち止まって待つことでした。使命が急を要さないからではありません。聖霊なしに行動することは、空回りして力尽きるだけだからです。
  • 「あなたがたは間もなく聖霊によってバプテスマを授けられるからです」(5節)。力は組織から来るのではなく、賜物として与えられるものです。ヨハネのバプテスマは水のバプテスマでしたが、イエスが約束されるのは、内なる力によるバプテスマなのです。
  • あなたにとってこれが意味するのはこういうことです。走り出すことより、待つことこそが、もっとも良い信仰の行為である季節があります。神があなたを満たしてくださるのを待ってから、踏み出すのです。屋上の間は、いつもペンテコステより先に来るのです。

5. 時を知るのはあなたの役目ではない

  • 弟子たちは、私たちにも似た質問を投げかけます。「主よ、イスラエルのために国を再建されるのは、この時なのですか」(6節)。彼らはスケジュールを、日付を、戦略を知りたいのです。
  • イエスは視点を変えるように答えられます。「父がご自身の権威をもってお定めになった時や期日は、あなたがたの知るところではありません」(7節)。イエスは彼らの好奇心を満たされません。彼らの注意を別の方向へ向け直されるのです。
  • その代わりに、もっと大きなものを与えられます。「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、あなたがたはわたしの証人となります」(8節)。神のご計画はあなたの管轄ではありません。しかし、あなたが証人へと変えられていくことは、あなたの管轄なのです。
  • この視点の転換は、あなたを自由にしてくれます。あなたは神のスケジュールの重さを背負う必要はありません。あなたが背負うべきは、今日、あなたのいる場所で証人であることの重さです。

6. エルサレム、ユダヤ、サマリア、そして地の果てまでの証人

  • 8節は同心円状に広がる地理を描いています。エルサレム(あなたの街、あなたのすぐ身近な人々)、ユダヤ(あなたの地域)、サマリア(あなたが選ばなかったであろう人々、文化的に警戒してしまう人々)、そして地の果て(諸国民)です。
  • デヴィッド・ペロージ氏は自らのルーツを思い起こします。アメリカ大陸へ遣わされたプロテスタントの最初の宣教師たちは、コリニーがジュネーブのカルヴァンに要請したことによって送られ、リオ、グアナバラ湾の「南極フランス」の地へと向かいました。彼らは1558年4月、グアナバラの最初の信仰告白を記しますが、その後カトリック側の圧力を受けたヴィルガニョンによって、そのうち何人かは殉教させられました。
  • これらの宣教師たちは、目覚ましい実りも安全も目にすることはありませんでした。彼らはただ、使徒の働き1章8節の命令に、自分の命をもって従ったのです。説教者はここに、世紀を超えて続く従順の連鎖を見ています。それはやがて、思いもよらない場所へと福音を運んでいく。ブラジル人である彼自身が、今こうしてフランスで奉仕していることも、その一部なのです。
  • あなたにとって「地の果て」は、隣にいるのに声をかける勇気の出ない、あの人から始まります。あなたは使命をひとりで背負っているのではありません。あなたは、神が二千年の間握り続けてこられた鎖の一つの輪なのです。

7. 昇天と、いつまでも空を見上げてはいられない眼差し

  • 「こう言い終えると、彼らが見ている間に、イエスは上げられ、雲がイエスを覆って見えなくなった」(9節)。イエスは去って行かれます。弟子たちはただ天を見つめ続けます。
  • 白い衣を着たふたりの人(御使い、10節から11節)が、彼らを再び動かす問いを投げかけます。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
  • つまり、イエスは再び来られる、ということです。しかしそれまでの間、立ち尽くして上ばかり見上げていてはいけません。降りて行き、エルサレムに戻り、イエスから今ゆだねられたばかりのことに取り組みなさい、というのです。
  • この言葉はあなたにも向けられています。あなたを立ちすくませてしまう黙想と、あなたを遣わし出す黙想があります。天に上げられたキリストへの正しい黙想とは、あなたを再び地上に降ろし、あなたの街で、あなたの家族の中で、あなたの地域教会の中で、働き始めさせるものです。

8. 屋上の間に戻って:心を合わせて祈り続ける

  • 12節から15節は、昇天からペンテコステまでの間、弟子たちが何をしていたかを示しています。彼らはエルサレムに戻り、屋上の間に上がり、女性たち、イエスの母マリア、イエスの兄弟たちと共に、心を合わせてひたすら祈り続けました。そして、ペテロが約百二十人ほどの群れの中に立ち上がります。
  • 百二十人。これが、やがてローマ帝国を揺るがすことになる教会の出発点の数字です。使命に対してはあまりにも小さな数字。しかし神にとっては十分な数字なのです。
  • この待ち望みの期間に彼らがしたことは決定的でした。彼らは共に祈ったのです。散り散りにならず、新しい取り組みを次々と始めるのでもなく、一致と祈りを守り続けました。この雰囲気の中でこそ、2章で聖霊が降られるのです。
  • あなたにとっての屋上の間とは、忠実に守り続ける祈りの集まりかもしれません。何かを始める前に、他の人々と共に神を待ち望む、小さな交わりかもしれません。この段階を飛ばしてはいけません。

心に留めておきたいこと

  • あなたのアイデンティティは、他者の目によって築かれるのではありません。神があなたをどう見ておられるかによって築かれるのです。
  • 教会はほとんど何も持たない小さな群れとして始まりましたが、自らのアイデンティティに確信を持っていました。その力は人数ではなく、キリストの臨在にありました。
  • イエスは、必要だと思われる道具を持たない弟子たちを遣わされます。使命はあなたの持てる手段に比例するのではなく、神の臨在に比例するのです。
  • 復活されたイエスが教会に最初に語られた言葉は「待ちなさい」でした。行動する前に、受け取るべき力があるのです。
  • あなたは神のスケジュールを知る必要はありません。あなたは、今日、あなたのいる場所で証人になっていく必要があるのです。
  • 地の果ては、エルサレムから、あなたの街から、あなたの隣にいる人から始まります。
  • 天に上げられたイエスを見上げることは、あなたを立ちすくませるためではありません。その黙想は、あなたを遣わし出すためのものです。
  • 心を合わせてひたすら祈り続けること、百二十人であっても三人であっても、それこそがペンテコステへの本当の備えなのです。

個人への適用

  1. あなたは今、どのような「視点」の上にアイデンティティを築いていますか。あなたの弱さを見る世の目でしょうか、それともあなたの内に置かれたものを見る神の目でしょうか。
  2. あなたの地域教会(またはあなたのクリスチャン共同体)を見るとき、最初に心に浮かぶのは何ですか。人数の少なさや脆さでしょうか、それとも真ん中におられるキリストの臨在でしょうか。その眼差しの違いは、あなたをどのように違う仕方で動かしますか。
  3. あなたはまず神に満たされることを待たずに、ひとりで進めようとしている行動はありませんか。今週、あなたにとっての「屋上の間」とはどのようなものになりそうですか。
  4. あなたにとってのエルサレム、ユダヤ、サマリア、地の果ては、今日それぞれ誰であり、どこですか。具体的な人や場所を挙げてみてください。
  5. 他の人と共に祈り続けることについて、あなたは今どのような状態にありますか。何かに踏み出す前に、心を合わせて再び定期的に祈り始められる相手は誰でしょうか。

引用された聖句

よくある質問

なぜイエスは、弟子たちをすぐに遣わさず、待つように命じられたのですか。

使徒の働き1章8節の使命は、人間の力だけでは成し遂げられないからです。イエスは、満たされる前に動き出してしまう教会を望まれませんでした。「父の約束を待ちなさい」(4節)というのは、時間の無駄ではなく、力を受けるための条件なのです。屋上の間は、いつも通りに出る前に必ず来るのです。

「あなたがたは地の果てまで、わたしの証人となります」とは、今日どういう意味を持ちますか。

それは、あなたのすぐそばから始まる地理です。エルサレムはあなたの身近な人々、ユダヤはあなたの地域、サマリアは文化的に距離を感じてしまう人々、地の果ては諸国民です。フランスに遣わされたブラジル人であるデヴィッド・ペロージ氏は、この証人の鎖が世紀と大陸を超えて続いていることを思い起こさせます。あなたはその鎖全体ではなく、一つの輪なのです。

なぜ弟子たちは昇天のあと、天を見上げたまま立っていたのですか。

彼らは今しがた、自分たちの主を見失ったばかりだったからです。もう見えなくなったものを見つめ続けようとするのは、人間としてごく自然な反応です。御使いたちは二つのことを思い起こさせることで、彼らを再び動かします。イエスは同じ有様で再び来られること、そしてそれまでの間には、街があり、屋上の間があり、祈りがあり、待っている使命があるということです。あなたはイエスを見つめることと歩み出すことのどちらかを選ぶ必要はありません。本当の黙想は、あなたを歩み出させるものなのです。

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