聖書 — 口語訳 (1955)

ルカによる福音書 11

概要

ルカ福音書11章は、イエスが祈っておられるのを見た弟子の一人が、祈ることを教えてほしいと願う場面で始まります。イエスは主の祈りを教え、真夜中に友人を訪ねる譬を語り、求め、捜し、たたくよう招かれます。天の父は、求める者に聖霊を下さるのです。続いて、イエスがベルゼブルによって悪霊を追い出しているという非難、しるしの要求とヨナのしるし、あかりと目のたとえが語られ、章はパリサイ人と律法学者たちへの厳しい非難で終わります。

この章の5つの区分

  1. 1-4節「祈ることを教えてください」:主の祈り
  2. 5-13節真夜中の友人、求め、捜し、たたく、聖霊の賜物
  3. 14-28節イエスが悪霊を追い出す、ベルゼブルの非難、神の国は来ている
  4. 29-36節ヨナのしるし、暗やみになってはならない光
  5. 37-54節パリサイ人と律法学者たちへのイエスの非難

1また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。

2そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。

3わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。

4わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。

5そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。

6友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、

7彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。

8しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。

9そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

10すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

11あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。

12卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。

13このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。

14さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、物を言えなくする霊であった。悪霊が出て行くと、口のきけない人が物を言うようになったので、群衆は不思議に思った。

15その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、

16またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求めた。

17しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ国が内部で分裂すれば自滅してしまい、また家が分れ争えば倒れてしまう。

18そこでサタンも内部で分裂すれば、その国はどうして立ち行けよう。あなたがたはわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出していると言うが、

19もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。

20しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。

21強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。

22しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。

23わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。

24汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、

25帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。

26そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。

27イエスがこう話しておられるとき、群衆の中からひとりの女が声を張りあげて言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう」。

28しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。

29さて群衆が群がり集まったので、イエスは語り出された、「この時代は邪悪な時代である。それはしるしを求めるが、ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。

30というのは、ニネベの人々に対してヨナがしるしとなったように、人の子もこの時代に対してしるしとなるであろう。

31南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために、地の果からはるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がここにいる。

32ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。

33だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。

34あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。

35だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。

36もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう」。

37イエスが語っておられた時、あるパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたいと申し出たので、はいって食卓につかれた。

38ところが、食前にまず洗うことをなさらなかったのを見て、そのパリサイ人が不思議に思った。

39そこで主は彼に言われた、「いったい、あなたがたパリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが、あなたがたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている。

40愚かな者たちよ、外側を造ったかたは、また内側も造られたではないか。

41ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。

42しかし、あなた方パリサイ人は、わざわいである。はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、義と神に対する愛とをなおざりにしている。それもなおざりにはできないが、これは行わねばならない。

43あなたがたパリサイ人は、わざわいである。会堂の上席や広場での敬礼を好んでいる。

44あなたがたは、わざわいである。人目につかない墓のようなものである。その上を歩いても人々は気づかないでいる」。

45ひとりの律法学者がイエスに答えて言った、「先生、そんなことを言われるのは、わたしたちまでも侮辱することです」。

46そこで言われた、「あなたがた律法学者も、わざわいである。負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。

47あなたがたは、わざわいである。預言者たちの碑を建てるが、しかし彼らを殺したのは、あなたがたの先祖であったのだ。

48だから、あなたがたは、自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し、あなたがたがその碑を建てるのだから。

49それゆえに、『神の知恵』も言っている、『わたしは預言者と使徒とを彼らにつかわすが、彼らはそのうちのある者を殺したり、迫害したりするであろう』。

50それで、アベルの血から祭壇と神殿との間で殺されたザカリヤの血に至るまで、世の初めから流されてきたすべての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。

51そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう。

52あなたがた律法学者は、わざわいである。知識のかぎを取りあげて、自分がはいらないばかりか、はいろうとする人たちを妨げてきた」。

53イエスがそこを出て行かれると、律法学者やパリサイ人は、激しく詰め寄り、いろいろな事を問いかけて、

54イエスの口から何か言いがかりを得ようと、ねらいはじめた。

鍵となる聖句

1節
また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。

弟子たちは、説教や奇跡を教えてほしいと頼むこともできたはずです。しかし祈りを求めました。イエスのすべてが、父との関係から流れ出ていることを見ていたからです。

2-4節
そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。 わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。 わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。

ルカによる主の祈りは、マタイ6章より短い形です。「父よ」で始まり、御名があがめられること、御国がくること、日ごとの食物、罪のゆるし、試みからの守りを求めます。

8節
しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。

真夜中の友人の譬で「しきりに願う」と訳された言葉は、粘り強い求めを表します。教えは、神が渋る友人のような方だということではなく、粘り強い祈りには意味があるということです。

9-10節
そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

求めよ、捜せ、たたけという動詞は、継続を表す時制です。求め、求め続けることです。イエスは、信頼をもって粘り強く祈るよう招かれます。

13節
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。

天の父は、求める者に聖霊を下さいます。イエスは、子に石やへびを与えない父にたとえて、神を語られます。約束された賜物は、聖霊ご自身です。

このテーマで祈る

説教が語っていること

イエスのように祈る。主の祈りを再発見するロイック・リシャールとダヴィッド・ポティエは、祈りの生活の骨組みとして主の祈りに立ち返ります。弟子たちが祈ることを教えてほしいと願ったこと、神を父として示すことが革命的であったことを思い起こします。また、この言葉は誰にとっても容易ではないとも述べます。要約を読む →求めなさい、探しなさい、門をたたきなさい:世界の中で働くあなたの祈りこのメッセージは、ルカ11章5節から8節の真夜中の友人にとどまります。祈りの粘り強さが、祈る人を形づくります。説教者は、三つの動詞が継続を表す現在命令形であることを強調します。要約を読む →聖霊に満たされる:ペンテコステとエペソ5:18への7つの歩みJM・ボトロンは、ペンテコステに向けてルカ11章9節から13節から語ります。父は、求める者に聖霊を下さいます。求める前に父として神に近づくこと、そして神の心に沿ったものを求めるよう招きます。要約を読む →聖霊によってキリストの姿に至る牧師は、イエスが、父が与えるものを語るために、パンや魚という身近な良いものを選ばれたことに注目します。ルカ11章13節では、その良いものとは聖霊ご自身です。要約を読む →「あなたはわたしの愛する子」:あなたに語られる父の声説教者はルカ11章9節から13節から、聖霊を受けるのに、ふさわしくないと感じなくてよいと語ります。神は良い父であるから与えてくださるのであって、その人が強いからではありません。要約を読む →

ルカによる福音書11章についてよくある質問

ルカ11章とマタイ6章の主の祈りの違いは何ですか

ルカの本文は短く、マタイはより詳しくなっています。イエスは、祈りを何度かの機会に教えられたのかもしれません。いずれの場合も、機械的にくり返す文句ではなく、祈るためのお手本として与えておられます。

ルカ11章9節の「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」とはどういう意味ですか

イエスは、信頼と粘り強さをもって祈るよう招かれます。求めよ、捜せ、たたけという動詞は、継続を表す時制です。文脈では、神は、子に石やへびを与えない良い父にたとえられています。これは、神が求めるものをすべて与えるという意味ではなく、神は聞いてくださり、良いものを与えてくださるということです。

しつこい友人の譬は何を意味していますか

ある人が、旅人をもてなすために、真夜中に友人を起こして三つのパンを求めます。友人は、しきりに願うので、ついに起き上がります。イエスは神をこの渋る友人にたとえているのではありません。人間同士でもそうなのだから、良い父への粘り強い祈りには、さらに大きな意味があると示しておられます。

ルカ11章29節から32節のヨナのしるしとは何ですか

群衆が奇跡を求めたとき、イエスは、ヨナのしるしのほかには何のしるしも与えられないと答えられます。ヨナが悔い改めたニネベの人々へのしるしとなったように、人の子もこの時代に対するしるしとなります。イエスは、ここにヨナにまさる者、ソロモンにまさる者がいると付け加えます。キリスト者は、これをイエスの死と復活に結びつけます。

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