はじめに
あなたはおそらく、ルカ12章の金持ちのたとえ話をすでに聞いたことがあるでしょう。もしかしたら千回も。しかしゆっくりと読み直すと、それが第一にお金についての話ではないことに気づかされます。それはあなたの心について、あなたが握りしめているものについて、そしてあなたの人生でイエスに残している場所についての話なのです。
ルカ12:13-21から語られるこのメッセージの中で、パトリス・マルトラーノはこの箇所を一つひとつ開き、あなたがいつも気づいているとは限らない一点を指し示します。それは、貪欲とは単にお金を愛することではなく、神があなたに委ねられたものを握りしめておくことだ、ということです。それはあなたの財布だけでなく、あなたの時間、あなたの傾聴、あなたの赦し、あなたの信仰にも関わることなのです。
記事の構成
1. あなたはイエスにどんな役割を与えていますか
群衆の中から一人の男が進み出て、イエスにこう頼みます。「先生、私の兄に、遺産を私と分けるように言ってください」。当時、父親が亡くなると、長男に三分の二、年下の子に三分の一が渡されるのが慣習でした。分配を担うのは長男であり、弟はその善意に頼るしかありませんでした。長男が分け前を与えようと思えば与える、そうでなければ、弟は何も手にできないままでした。
この男の求めは、正当なものです。問題は遺産そのものではありません。問題は、彼がイエスに与えている役割です。彼はイエスに、裁判官として、分配者として振る舞ってもらうことを期待しています。しかし、この種の争いは本来、律法の教師の前ではなく、裁判官の前で解決されるべきものでした。
あなたも同じ期待を抱いて、何度イエスのもとに行ったことがあるでしょうか。「主よ、私を苛立たせるあの兄弟に一言言ってやってください」。「主よ、上司とのあの問題を解決してください」。「私が正当な扱いを受けられるようにしてください」。問題はあなたが求めている内容ではありません。問題は、あなたがイエスに与えている役割です。イエスは、まず第一にあなたの裁判官や仲裁者でありたいのではありません。あなたの心の主でありたいのです。
2. イエスの答え:あなた自身へと投げ返す問い
イエスは直接には答えません。逆に問いを投げかけます。「あなたがた、誰がわたしを、あなたがたの裁判官や分配者に任命したのですか」。イエスはこの人自身を拒んでいるのではなく、自分に押しつけられた役割を拒んでいるのです。
ここでイエスがしていることは、しばしば見られるパターンです。イエスは、あなたに考えさせるために問いを投げかけます。出来合いの答えを差し出すことはしません。あなた自身が立場を決めなければならないのです。そしてその問いの背後には、もっと深いもう一つの問いがあります。あなたは、目に見える問題だけを解決してほしいのですか。それとも、私があなたの心に入ることを受け入れる備えがありますか。
イエスは第一に、あなたの問題を解決するために来られたのではありません。もちろん問題を解決してくださることもあります。しかしイエスの第一の目的は、あなたの心を変えることなのです。
3. イエスが中心に置く真理:あらゆる貪欲に気をつけなさい
逆の問いを投げかけた後、イエスははっきりとした真理を語られます。「気をつけて、あらゆる貪欲から自分を守りなさい。たとえ有り余るほど持っていても、人のいのちは財産にはよらないからです」。
貪欲とは、いったい何でしょうか。ここに、あなたを少し落ち着かなくさせるかもしれない定義があります。貪欲であるとは、神があなたに委ねられたものを握りしめておくことです。それは、単にお金だけの問題ではありません。
次のようなとき、あなたは貪欲になっているかもしれません。
- 大切な人への傾聴や忍耐を出し惜しむとき。
- 他者の成功を喜ぶ代わりに、自分の領域を守ろうとするとき。
- 赦すことよりも、自分が正しいと証明することを優先するとき。
- 残り物を神に献げ、最良のものを自分のためにとっておくとき。
- 必要を目にしながらも、自分の快適さを守ろうとするとき。
この世はあなたにこう繰り返し語ります。「持てば持つほど、あなたの価値は上がる。蓄えれば蓄えるほど、あなたは安全になる」。イエスはその逆を語られます。いのちは、あなたが何を所有しているかで測られるのではありません。誰があなたの心を所有しているかで測られるのです。
4. たとえ話:自分中心の男
この真理を具体的に示すために、イエスは一つの話を語られます。ある金持ちの畑が、豊かな実りをもたらしました。彼は悪人ではありません。むしろ神からの恵みを受けている人です。聖書は、彼の畑が豊かに実ったと記しています。問題は彼の富ではありません。問題は、彼の考え方なのです。
彼の独り言に耳を傾けてみましょう。「どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。……よし、こうしよう。私の倉を取り壊し、もっと大きいのを建てて、そこに私の穀物や財産をみな収めよう。そして、自分のたましいに言おう。たましいよ、おまえには何年分もの蓄えができた。安心して、食べて、飲んで、楽しめ」。
私の、私の、私の、私の。神の入る余地はありません。他者の入る余地もありません。永遠の入る余地もありません。自分自身とだけ閉じた対話です。
神からの答えが下ります。「愚か者よ。今夜、おまえのいのちが取り去られる。おまえが用意したものは、いったい誰のものになるのか」。
5. 神の前に富む者となる
イエスはこう結論づけられます。「自分のために宝を蓄えても、神の前に富まない者は、このとおりです」。この言葉をひっくり返してみましょう。神の前に富む者とは、自分のために宝を蓄えない者のことなのです。
神の前に富むとは、次のようなことです。
- あなたの周りにあるすべてが、贈り物であると認めること。あなたの穀物は、あなたのものではありません。それを育てたのは神なのです。
- まるで自分がその所有者であるかのように、それにしがみつかないこと。
- 自分の財産、能力、時間、資源を、神の国のために用いること。
神は、あなたに持ち物を減らすようにと求めておられるのではありません。もっと大きな目的のために生きるようにと求めておられるのです。本当の豊かさとは、あなたが自分のために蓄えるものではなく、神がその国のために用いてくださるようにと、神に委ねるものなのです。
覚えておきたいポイント
- 貪欲とは、まずお金を愛することではありません。神があなたに委ねられたものを握りしめておくことです。
- イエスは、あなたの裁判官や仲裁者でありたいのではありません。あなたの心の主でありたいのです。
- あなたのいのちは、何を所有しているかによってではなく、誰があなたの心を所有しているかによって決まります。
- あなたは神から祝福を受けていながら、なお完全に自分中心に生きることがあり得ます。外側の豊かさは、内側のいのちについて何も証明しません。
- 神の前に富むとは、自分の持っているものを自分のためにとっておくのではなく、神が自由に用いられるようにすることです。
自分自身への適用
今週、このたとえ話をあなたの心の中に深く届かせるための、いくつかの問いかけです。
- 今日、あなたはイエスにどんな役割を与えていますか。裁判官、仲裁者、トラブル処理係……それとも主でしょうか。
- どの領域で、あなたは神が委ねられたものを握りしめていますか。お金、時間、傾聴、赦し、愛情、信頼、励ましのことば、もてなし、感謝、信仰でしょうか。
- 明日に先延ばしにしている赦し、あるいは相手が先に動くことを条件にしている赦しはありませんか。
- 今週、流れに逆らって寛容へと向かうために、どんな小さな具体的な一歩を踏み出せるでしょうか。
- あなたは自分の資源を、循環させるべき神からの贈り物として見ていますか。それとも、守るべき資本として見ていますか。
引用された聖句
- ルカ12:13-21 · 遺産をめぐる求め、貪欲への警告、そして愚かな金持ちのたとえ話。
FAQ
聖書における貪欲とは、お金だけに関わることですか。
いいえ。ルカ12章に基づくなら、貪欲はもっと広く、神があなたに委ねられたものを握りしめておくこととして定義されます。お金はその表れの一つにすぎません。あなたは、時間、傾聴、赦し、励ましのことば、もてなしなども握りしめてしまうことがあります。
イエスは、富や繁栄そのものに反対しておられるのですか。
いいえ。たとえ話の中の男は、神から祝福を受け、畑が豊かに実る人物として描かれています。イエスが指摘しておられるのは繁栄そのものではなく、それにしがみつき、まるで神も他者も存在しないかのように生きる心なのです。
自分が「神の前に」富んでいるかどうか、どう分かりますか。
一つのシンプルな手がかりがあります。あなたが神と他者のために自由に差し出そうとしているものに目を向けてみてください。ルカ12章によれば、本当の豊かさとは、あなたがうまく蓄えられたものではなく、あなたが自由に開き、分かち合い、与えられるものなのです。
メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。