この地はあなたのもの:立ち上がって、それを取りに行きなさい

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新しい世代がカナンの入り口に立っています。エジプトを出てから四十年が経ちました。海が割れるのを見た者たちは、荒野で死に絶えました。残された者たちが知っているのは、砂と、マナと、一人の老人の声だけです。モーセはこの世代に向かって語ろうとしています。

申命記は、この長い告別説教です。ヘブル語では、その題名は「言葉」を意味します。ギリシア語でデウテロノミオンは「第二の律法」を意味します。これは二重の繰り返しではなく、語り直しです。神は、ついにそれを生きることになる世代に対して、ご自分の契約を語り直されるのです。イエスご自身も、この書を数多く引用されます。今日、この書はなおもあなたに語りかけています。

この書があなたに語りかけているのは、あなたもまた、何かの入り口に立っているかもしれないからです。新しい章。下すべき決断。手に入れるべき地。どうすれば挫折せずにそこへ入って行けるのでしょうか。ここに、モーセの答えがあります。

1. 与えられた地、勝ち取るべき地

申命記全体の調子を決める一節が、その冒頭に現れます。「見よ。わたしはこの地をあなたがたの前に置いた。行って、主があなたがたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地、彼らとその後の子孫に与えると誓われた地を占領せよ」(申命記1:8)。この約束は、この書の中でおよそ四十回も繰り返されます。それがこの書の中心テーマです。

そこには、二つの真理が共に成り立っています。

第一に、神が地を与えられるということです。神は無条件で、無償でそれを与えられます。誰もそれにふさわしいわけではありません。それは純粋な贈り物、恵みの賜物です。この贈り物は、神がどのような方であるかを明らかにします。求める前に与え、忠実になる前に約束してくださる神です。

第二に、「行って、占領せよ」ということです。与えてくださる同じ声が、歩むことをも求めます。地は与えられていますが、それは占領されるべきものです。前進し、戦い、代価を払う必要があります。何も労せずして手に入るものはありません。

牧師は、このような緊張関係を単純なイメージで説明します。神はあなたに無条件の権利証を与えてくださいます。その地は永遠にあなたのものです。しかし、その占有権は、あなたがどのように歩むかにかかっています。言い換えれば、恵みは限りなくあなたに与えられていますが、それを味わい、堪能し、そこに住むことは、あなたの生き方にかかっているのです。

これは、二つの行き詰まりを避けさせてくれます。

一方には、「私は救われたのだから、もう何もする必要はない」と言う者がいます。彼は霊的な戦いを忘れ、眠り込んだまま生きています。もう一方には、走り続け、疲れ果て、すべてが自分にかかっていると考える者がいます。彼は、地がすでに自分に与えられていることを忘れ、プレッシャーの中で、息も絶え絶えになって生きています。

真の信者は、この両方を保ちます。すべてが恵みであることを決して忘れません。それでいて、まっすぐに、涙や感情を伴いながらも、神がすでに約束してくださったものを占領するために、なおも戦うのです。

2. モーセの第一の呼びかけ:忘れるな

この忠実さをどう生きればよいのでしょうか。モーセは二つの助言を与えます。第一は、三つの言葉に集約されます。忘れるな、です。

「ただ、あなたはくれぐれも気をつけ、あなたのいのちを大切にしなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、それをあなたの心から消し去らないように、生涯の日々、心して守りなさい。それをあなたの子や、あなたの孫に知らせなさい」(申命記4:9)。

これは驚くべきことです。イスラエルは新しい国に入る備えをしています。それにもかかわらず、牧師は、民にまず求められていることを強調します。それは、後ろを振り返ることです。過去から逃げることでも、それを否定することでも、美化することでもありません。それを正面から見つめることです。

彼は、雄弁な数字を分かち合います。十一日対三十八年です。エジプトからカナンまでの道のりは、わずか十一日しかかかりませんでした。イスラエルはそこに四十年を費やしたのです。ある一瞬の不信仰のために、三十八年もの歳月が上乗せされました。自らの歴史を振り返る民は、まず栄光に満ちた物語を見ることにはなりません。彼らが見るのは、長く続く失敗の連続です。

しかし、見つめ続けるうちに、あることが起こります。人間の不誠実さの線の下に、もう一つの線が現れるのです。神の真実さという線です。「あなたの神、主はあなたとともにおられ、あなたには何も欠けたものがなかった」(申命記2:7)。記憶をさかのぼればさかのぼるほど、神がすべての曲がり角で共におられたことが見えてきます。

牧師は思い切って自分自身について語ります。彼は自分の人生の「ライフチャート」、つまり自分が通ってきたことを目に見える形にするために描くあの曲線を示します。それは、上るよりも下ることの方が多い曲線だと彼は言います。彼は、あるひとつの危機、どうしても赦せなかった人との難しい関係、すべてを投げ出したいという思い、主任牧師になった日の衝撃について語ります。それを思い出すと、彼は今もなお涙を流すのです。

しかし、それらすべてをまとめて見つめるとき、一つの結論に至ります。この曲線は、彼の痛みの記録ではありません。それは、神の真実さの記録なのです。神は、そのすべての谷底に、共にいてくださいました。崩れ落ちようとするものを、神が支えてくださっていたのです。

だからこそ、彼は自分の教会の四十周年を祝いたいと発表します。それは懐かしさのためではなく、神が決して手を放されなかったことを、共に思い起こすためです。

では、あなたはどうでしょうか。後ろを振り返る時間を取っていますか。思い悩むためではなく、誰があなたと共に歩んでくださったかを認めるためにです。もしあなたが明日、神に忠実でありたいと願うなら、まず昨日の神の真実さを思い起こすことから始めましょう。

3. モーセの第二の呼びかけ:偶像を造るな

第二の助言は、これに直接つながります。「あなたがたの神、主があなたがたと結ばれた契約を忘れず、あなたの神、主が禁じられたどんな形のものも、彫像も造らないように、あなたがたは注意しなさい。あなたの神、主は焼き尽くす火、ねたむ神だからである」(申命記4:23-24)。

いかなる偶像も造ってはならない。その理由は、神がねたむ方だからです。

この言葉は、時に人を戸惑わせます。それは欠点や、不健全な独占欲と結びつけられがちです。牧師は、時間をかけてこれを明確にします。人間のねたみは、自分のものではないものを欲しがることです。しかし、神のねたみは、ご自分に正当に属するものへの燃えるような愛着です。それは気まぐれではなく、聖い感情です。神は、ご自分が愛する者たちが、ご自分以外のものによって奪われ、傷つけられ、滅ぼされることに耐えられないのです。

牧師は、関係の生き方について四つの例を挙げて説明します。

第一に、あなたは決して振り向いてくれない誰かを追いかけます。あなたは与え続け、与え続け、与え続けます。相手は動きません。結果は、過度な自己犠牲、不健全な罪悪感、そして燃え尽きです。

第二に、相手があなたに命令を与えるだけの関係です。あれをしろ、これをしろと。まなざしもなく、心の交流もなく、ただリストがあるだけです。結果は、恨み、強いられた従順、そして距離感です。

第三に、相手はそこにいて、必要なことはしてくれますが、あなたへの愛情はありません。助けてはくれても、愛してはくれません。結果は、冷たさ、表面的なつながり、決して満たされない飢えです。

そして往々にして、と牧師は言います、私たちは神をこのように見てしまっているのです。決して振り向いてくれない神として。命令を下すだけの神として。助けてはくれても決して愛してはくれない神として。

第四の関係、それがねたむ神との関係です。この方は、あなただけを見ておられます。あなたが感じることに至るまで、あなたという人格全体を大切にしておられます。神は、他の何かがあなたを奪うことに耐えられません。だからこそ、「偶像を造るな」と言われるのです。これは神の気まぐれではなく、あなたが他のところで自分を見失うのを見たくないという、燃える愛なのです。

これを理解するなら、この命令の味わいが変わります。偶像を造らないことは、もはやつらい強制ではなくなります。それは、これほどまでに愛されていることを発見した者の、当然の応答となるのです。

4. 民全体のための、一人ひとりの責任

モーセは民全体に語りかけています。しかし「民」と言うことは、群衆の陰に隠れることではありません。一人ひとりが責任を負っているのです。牧師は強調します。思い起こし、偶像を拒むのは、漠然とした教会全体ではありません。それは、一人ひとりの弟子です。教会とは、そうした一人ひとりの忠実さの積み重ねなのです。

一人ひとりが奉仕者です。一人ひとりが使命です。モーセが求めていることは、あなたに求められているのです。

地はそこにあり、与えられています。ヨルダン川の門は開かれています。あとは渡るだけです。思い起こしなさい。偶像を造ってはなりません。そして、神がすでにあなたの手に置いてくださったものを取りに行きなさい。

心に留めたいポイント

  • 申命記は、ついに約束の地に入ろうとする新しい世代に与えられた、契約の書です。
  • 二つの真理が共に成り立っています。神は無償で地を与えられ、それを取りに行くよう求められます。
  • 神の真実さは、自分自身の過去、その失敗も含めて振り返るときにこそ、はっきりと見えてきます。
  • 偶像の禁止は気まぐれではありません。それは、あなたを失いたくない神の愛なのです。
  • 一人ひとりの弟子が、個人としてこの使命を担っています。一人ひとりの忠実さなしに、共同体としての忠実さはありません。

適用のための問いかけ

  1. 神が今、あなたに占領するよう召しておられる「地」とは何でしょうか。そこに入るための戦いにおいて、あなたは今どこにいますか。
  2. 今週、十分間の時間を取って、自分の人生の曲線を描き直してみましょう。あなたの人生の谷の背後に、どこで神の真実さを見ることができますか。
  3. あなたは神との関係を、「一人で走り続けている」、「義務として従っている」、それとも「神は私だけを見てくださっている」というどのあり方で生きていますか。
  4. 今日、たとえ小さなものであっても、神があなたに期待しておられるものを与えてしまっている偶像はありますか。

引用聖句

よくある質問

なぜ今、申命記を学ぶのですか。

なぜなら、この書は、ついにそれを生きることになる世代のために、神の契約を語り直しているからです。またこの書は、イエスが最も多く引用された書でもあります。この書に入ることは、聖書的信仰全体が拠って立つ土台を再発見することなのです。

恵みと従順は矛盾しないのですか。

いいえ、矛盾しません。神は無償で地を与えてくださいます。誰もそれにふさわしいわけではありません。しかし神は、それを取りに行くよう求められます。恵みとは贈り物であり、従順とはそれを味わうための手段です。この二つの側面のどちらか一方しか保たなければ、すべてを失うことになります。

「ねたむ神」とはどういう意味ですか。

人間のねたみは、自分のものではないものを欲しがることです。神のねたみは、ご自分に正当に属するもの、すなわちあなたへの、燃えるような愛着です。神は、あなたが偶像によって奪われ、傷つけられるのを見たくないのです。それは欠点ではなく、聖い感情です。

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