はじめに
ただの賛美歌ではない賛美歌があります。真っ暗な夜の只中で、イエスがあなたの手を握ってくださる、その御手そのものとなる歌があるのです。2025年11月2日のこの礼拝で語る説教者は、幼い頃、救い主との最初の個人的な出会いを果たしたのが、本の中でも、教えの中でもなく、寒い中を一人で歩きながら小さな声で歌っていた一つの賛美歌の中だったことを語ります。彼は、賛美が心の中に生み出すもの、愛されているという確信、主の生きた臨在、この世からは来ない力を、あなたに再発見してほしいと願っています。
メッセージの構成
1. 一人の子ども、一つの夜、一つの賛美歌
説教者は、ある具体的な思い出を振り返ります。彼は当時八歳ほどで、神奈川県の茅ヶ崎に住んでいました。冬のことで、五十年以上前の第一次オイルショックの時代でした。彼の両親のもとで働く職人たちが遅くまで仕事をしており、母は彼に、遅くまで働く彼らのために温かい麺、ラーメンやそばを届けるよう頼みます。道は砂利道で、まだまともな街灯もなく、木の電柱に取り付けられた裸電球がいくつかあるだけでした。小さな男の子は、大きすぎる鍋を抱えて一人で歩きます。彼は怖くて、寒くて、自分がとても小さく感じられました。
すると、考えることさえなく、彼の口は歌い始めます。彼は日曜学校で習った賛美歌、暗記している言葉を歌います。「イエスに代わるものは何もない」、「若者よ、強くあれ」……そして歌っている間、彼の心は温まっていきます。彼は説明できないまま感じるのです。「イエスが私と共におられる。イエスが私を守ってくださっている。」
その夜、その暗い道で、彼は二つのことを理解します。それは彼から二度と離れることのないものとなりました。
- イエスなしでは、彼は何もできない。
- イエスと共にあるなら、彼のような小さな子どもでさえ役に立つことができる。
それは耳で学んだ教理ではありませんでした。それは、心の中で出会ったイエスでした。主との、彼にとって初めての生きた体験だったのです。そしてこの出会いは、賛美によってもたらされたものでした。
2. 賛美することは、あなたが主に愛されているしるし
説教者は、あなたに第一の真理を心に留めてほしいと願っています。賛美とは、まず何よりも、音楽的なパフォーマンスや歌唱力、会衆の成功などではないということです。賛美とは、神に愛されている者のあかしなのです。
あなたが「主よ、ありがとうございます」と歌うとき、星空を見上げて「あなたは素晴らしい方です」と言うとき、造られた自然を眺めて心が謙虚になるとき、それはあなたが霊的な何かを作り出しているのではありません。それは、あなたの内におられる主の霊が、主がまず先に与えてくださった愛に応答しておられるのです。賛美とは、自分が愛されていることを知っている心から、自然にあふれ出るものなのです。
そして主ご自身は、子どもたちが主を賛美するとき、深く喜んでくださいます。それは主がおだてを必要としているからではありません。主は何も必要とされません。それは、主があなたとの交わりを愛しておられるからです。あなたの賛美は、主にこう伝えているのです。「私はあなたを知っています。あなたに信頼しています。私はあなたのものです。」
3. 賛美の源、それは十字架
説教者があなたの心に刻み込みたい第二の真理は、キリスト者の賛美は、私たちの感情や、良い一日、あるいは成功にその源を持たないということです。その源は別のところにあります。それは、イエスの十字架に植えられています。
「彼らは大声で叫んで言った。『救いは、御座に着いておられるわれらの神と、小羊とにある。』」
ヨハネの黙示録7:10・ルイ・スゴン訳
旧約の契約のもとでは、民の罪を覆うために子羊や雄牛、鳩がささげられていました。しかし今日、と説教者は言います、もはや子羊も牛も必要ありません。神の子羊とは、イエスご自身です。イエスは、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかられました。私たちに代わって献げられたそのいのち、それこそが私たちの歌の源なのです。
賛美するために口を開くたびに、思い起こしましょう。この歌が可能なのは、一匹の子羊があなたのために屠られたからです。十字架があったからこそ、あなたの唇は今日、感謝を口にすることができるのです。十字架なくして救いはなく、救いなくして真の賛美もありません。
4. 試練の中での賛美:この世のものではない力
第三の真理、そしておそらく最も決定的な真理です。主は、ご自分を賛美する者たちに、状況に左右されない喜びと希望を与えてくださいます。
説教者は率直な問いを投げかけます。もしクリスチャンの喜びが、この世の喜びと同じもの、つまり物事がうまくいっているときに喜び、うまくいかないときに崩れ落ちる心にすぎないとしたら、信仰にどんな意味があるでしょうか。もし祈りと賛美が、良い時を飾るためだけのものなら、なくても構わないことになってしまいます。
しかし、神が与えてくださる喜びは、そのようなものではありません。それはもっと深いものです。それは、この世が何も差し出せない場所にまで届きます。夜の中の小さな男の子の例に戻りましょう。彼の周りは何も変わっていませんでした。道は相変わらず暗く、鍋は相変わらず重く、寒さは相変わらず身を切るようでした。しかし、彼の内側では何かが変わっていました。彼は知っていました、感じていました、生きていました。イエスがここにおられる、と。
説教者は、これをあなたに味わってほしいのです。あなたが荒野にいるとき、孤独を感じるとき、なぜこの試練なのかと自問するとき、まさにそのときに賛美の歌を高く上げるなら、現れるのはあなたの力ではありません。それは、あなたの内なる地に働きかける神の力です。それはもはやこの世のものではありません。それは、地に触れる天なのです。
心に留めたいポイント
- 賛美とは、まず何よりも歌ではなく、神に愛されていることを知る心の応答です。
- 賛美することは、主があなたを捉えてくださったことの、静かなあかしです。
- すべての真の賛美の源は十字架です。屠られた子羊が、あなたの感謝を可能にしてくださいました。
- 主は、子どもたちが主を賛美するとき、深く喜んでくださいます。
- 試練の中で、賛美はあなたの内に、この世からではなく、主ご自身から来る喜びを開きます。
適用のための問いかけ
- あなたがイエスと最初に「出会った瞬間」はいつでしたか。どこで、どのようにして、初めてイエスがあなたの心の中で本物だと感じましたか。
- 今日、あなたの賛美は状況に左右されるものですか、それともイエスが十字架で成し遂げてくださったことに根ざしていますか。
- 今、あなたの人生に「暗い道」、光のない場所を一人で歩いているような状況はありますか。今夜、進みながら小さな声で歌える賛美歌は何でしょうか。
- 最近、何か美しい出来事を経験したとき、あなたは賛美することを思いましたか、それともそれをただ自分の中にしまい込みましたか。
- あなたの賛美は、神に「あなたに信頼します」と伝えていますか、それとも「うまくいっているから感謝します」というだけのものですか。
引用聖句
- ヨハネの黙示録7:10(LSG):「救いは、御座に着いておられるわれらの神と、小羊とにある。」
- ヨハネの黙示録7:17(LSG):「御座の間におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導き、神は彼らの目からすべての涙をぬぐい取ってくださる。」
- ヨハネの福音書7:37-39(LSG):「だれでも渇いているなら、わたしのところに来て飲みなさい……その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
よくある質問
神を賛美するには、正しく歌えなければならないのですか。
いいえ、必要ありません。説教者が思い起こさせているように、七、八歳の小さな男の子が、暗い道で一人、日曜学校で習った賛美歌を小さな声で歌いながら、心の中でイエスと出会いました。主はあなたの声の正確さを裁くのではなく、あなたの心の誠実さを見ておられます。
状況が厳しいときに、なぜ賛美するのですか。
なぜなら、まさに困難の中でこそ、賛美はその真の本質を明らかにするからです。すべてがうまくいっているときに賛美することは、ごく普通の人間的な反応に似ているかもしれません。すべてがうまくいかないときに賛美することは、主が今もなお価値ある方であり、共におられ、力ある方であると告白することです。そして、そこにこそ主の力があなたの内に入ってくるのです。
賛美は祈りに取って代わるものですか。
いいえ、両者は一つに結びついています。説教者は、賛美そのものがすでに祈りであり、主がどのような方であるか、そして子羊が成し遂げてくださったことに対する「ありがとう」であると語ります。祈ることと賛美することは、神へと向かう心の、同じ一つの動きなのです。
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