はじめに
このメッセージは、クリスマスシリーズ「主は約束を守られる」の第二回です。説教者は私たちにイザヤ書9章1〜7節を開くように招き、見慣れたクリスマスツリーや飼い葉桶の飾りの奥に隠れている、あのメッセージ本来の輝きを取り戻そうとします。すなわち、ひとりのみどりごが私たちのために生まれ、この誕生がすべてを変えるという輝きです。
説教者はまず、前の週に見たあるドキュメンタリーの話から始めます。陣痛に耐え、長い時間を待ち続け、出産の激しい痛みを経験する、一人の女性の物語です。そしてついに、彼女が初めて赤ちゃんを見る瞬間が訪れます。彼女はただひと言、「なんて美しいの」と言いました。数分前まで部屋を満たしていた暗闇は、あっという間に消え去り、代わりに喜びが満ちあふれました。どんな誕生も人を無関心にはさせません。母親を、父親を、そばにいるすべての人を喜ばせるのです。
これはまさに、イザヤがイエス・キリストの誕生の700年も前に、メシアの到来を告げるために用いたイメージです。長い間待ち望まれ、約束されてきた誕生、民を覆う暗闇をひっくり返す力を持つ誕生です。あなたも、この誕生を色あせた思い出としてではなく、今日あなたに向けて語られる最高の知らせとして受け取ってみませんか。
メッセージの流れ
1. 暗闇を歩む民
- イザヤ書9章2節は、暗闇を歩んでいた民が大きな光を見る様子を描いています。ここでの暗闇とは、まず何よりも悲しい雰囲気を指すのではなく、神を知らない人類の霊的な状態を表しています。
- 説教者は、生まれながらの心について聖書が語ることを思い起こさせます。私たちは罪人として生まれ、霊的に目が見えず、自分の力では神のことを理解することができません(コリント人への手紙第一2:14)。
- 聖書の言葉遣いにおいて、暗闇を歩むということは、死と裁きに向かって歩むことでもあります。イザヤ自身、前の章で、御言葉を軽んじる者たちの上に下ろうとしている神の怒りについて語っています。
- この診断は厳しいものですが、クリスマスにはなくてはならない背景です。暗闇を見なければ、送られてきた光の偉大さを決して見ることができないからです。
2. もはや希望を持てなかった者たちの上に昇る大きな光
- 暗闇の中に座っていたこの民の上に、神は大きな光を昇らせます。それはそばに置かれた一本のろうそくではありません。暗闇を隅々まで照らし、死から連れ出す輝きです。
- この光は民に三つのものをもたらします。刈り入れや分捕り物の分配のときのように増し加わる喜び(3節)、ミディアンの日のような圧迫からの解放(4節)、そして戦争の終結、血にまみれた長靴と上着が焼かれることです(5節)。
- つまり、メシアの到来は漠然とした慰めではありません。悲しみ、圧迫、暴力という三つの具体的な奴隷状態を打ち破るものなのです。
- 説教者は、この解放が民の力によるものではないことを強調します。働かれるのはただ神おひとりです。民はこの光にふさわしいわけではありません。それはただ与えられるのです。
3. ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。それこそが救い主
- イザヤ書9章6節はこの箇所の頂点です。「ひとりのみどりごが私たちのために生まれ、ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にある。」
- 説教者は中心となる問いを投げかけます。なぜ神は、天の軍勢を率いる冠をかぶった王ではなく、ひとりのみどりごを送られたのでしょうか。なぜ両親に頼るしかない、か弱い赤ちゃんなのでしょうか。
- 答えはこうです。神は、小さく見えるものを通してご自分の力を現されるからです。飼い葉桶に生まれ、世の目には取るに足らないひとりのみどりごの中で、神はその最大の救いのわざを成し遂げられます。神の力には、どんな人間の助けも必要ないのです。
- このみどりごは、ほかのどの子どもとも違います。それは与えられたひとりの子です。御父の永遠の御子が、人間の時の中に入って来られ、私たちの救い主となられるのです。
4. 彼が本当は誰であるかを告げる四つの名
- イザヤはこのみどりごに四つの名前を与えており、それぞれがメシアのある一面を明らかにしています。
- 不思議な助言者。その知恵はほかのどんな知恵とも似ていません。彼は人の心を知り、御父の計画を知っておられます。その助言は決して人を欺くことなく、人生のすべてに十分なものです。
- 力ある神。このみどりごは神ご自身です。神に遣わされた者であるだけでなく、神であるのです。彼にとって大きすぎる問題も、重すぎる状況も、根深すぎる罪もありません。
- 永遠の父。彼は決して見捨てることのない真実な父として、ご自分の民を世話してくださいます。その支配は終わることなく、その父としての愛は時を超えて続きます。
- 平和の君。彼がもたらす平和は、単に戦争がないということではなく、神と人との間の深い和解です。
5. 永遠に続く平和の支配
- イザヤ書9章7節は、このみどりごの支配がダビデの王座の上に、公正と正義をもって、今よりとこしえまで、限りなく広がっていくと告げています。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
- この平和を、イエスは十字架の上で確かなものとしてくださいました。ローマ人への手紙5章1節「こうして、私たちは信仰によって義と認められたのですから、私たちの主イエス・キリストによって、神との間に平和を持っています。」エペソ人への手紙2章14節「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにされた方です。」
- そこで説教者は率直な問いを投げかけます。あなたは今日、この神との平和を持っていますか。漠然とした心の平安ではなく、自分の罪がキリストの血によって赦されていると知ることから来る平和です。
- もしあなたがまだこの救い主を受け入れていないなら、彼は真剣にこう警告します。処理されないままの罪は、あなたを生ける神、そして正しい裁き主でもある神との対立関係に置くのだと。しかし良い知らせは、救いは今なお差し出されているということです。悔い改め、イエスに信頼を置き、このみどりごがもたらすために来られた真実の平和を受け取ってください。
心に留めたいポイント
- 聖書は、キリストを持たないすべての人を暗闇を歩む者として描いています。これはクリスマスを理解するために欠かせない背景です。
- イザヤが告げる大きな光は、それにふさわしくない者たちの上に昇ります。それは報酬ではなく、贈り物なのです。
- 神はか弱いひとりのみどりごを通して最大の救いを成し遂げられます。それは、神の力が目に見える形で現され、誰もその手柄を自分のものにできないようにするためです。
- みどりごに与えられた四つの名(不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君)は、彼が人生のすべてに十分な方であることを示しています。
- 本当のクリスマスの平和とは雰囲気のことではありません。十字架によって得られた神との和解のことです。
あなた自身への適用
- あなたは今日、キリストがそこから引き出しに来てくださった暗闇を認めていますか。それとも、救い主を必要とする自分の姿を軽く見てしまっていますか。
- みどりごの四つの名前のうち、今あなたが経験していることに最も応えてくれるのはどれでしょうか。助言が必要ですか、力が必要ですか、父としての愛が必要ですか、それとも平和が必要ですか。
- あなたは、十字架から来るのではない平和を、どこに求めがちですか。成果を出すこと、物事をコントロールすること、気を紛らわせることでしょうか。
- あなたはすでに、個人的にイエス・キリストを自分の救い主として信じていますか。それとも、それはいつも先延ばしにしている選択でしょうか。
- このクリスマスの週、あなたの周りにいる誰に、ひとりのみどりごが生まれたこと、そしてそのみどりごが救うために来られた神であることを、ただシンプルに伝えることができるでしょうか。
引用された聖句
- イザヤ書9章1〜7節 · 暗闇を歩んでいた民が大きな光を見る
- コリント人への手紙第一2章14節 · 生まれながらの人は御霊のことを受け入れない
- イザヤ書5章24〜25節 · 御言葉を軽んじる者たちに対する神の怒り
- ルカの福音書2章14節 · いと高き所に栄光が神にあるように、地には平和
- ローマ人への手紙5章1節 · 信仰によって義と認められ、神との平和を持つ
- エペソ人への手紙2章14節 · キリストは私たちの平和であり、二つを一つにされた
よくある質問
なぜイザヤ書9章はクリスマスにとってそれほど重要なのですか。
イエスの誕生のおよそ700年前に書かれたイザヤ書9章1〜7節は、驚くほどの正確さでメシアの到来を告げています。生まれると同時に与えられるひとりのみどりご、その肩に主権を負い、四つの神聖な名を受ける方です。新約聖書は、イエスをこの預言の直接的な成就として示しています。クリスマスにイザヤ書9章を読むことは、イエスが果たしに来られた本来の約束を再び見出すことです。神は救いを思いつきで用意されたのではなく、はるか前から告げておられたのです。
イザヤ書9章6節でみどりごに与えられた四つの名は何を意味しますか。
それぞれがメシアのある側面を明らかにしています。「不思議な助言者」は、あなたの人生を導く完全な知恵を語っています。「力ある神」は、彼が神ご自身であり、どんな状況にも耐えることのできる方であることを断言しています。「永遠の父」は、決して途切れることのない父としての愛を語っています。「平和の君」は、十字架によって確かなものとされた、神と人との間の深い平和をもたらす方であることを告げています。これら四つの名は、メシアが単に従うべき師であるだけでなく、人生のすべてに十分な救い主であることを示しています。
この箇所が語る神との平和は、どうすれば受け取ることができますか。
この平和は、自分で作り出す感情でも、雰囲気でもありません。それはひとつの事実、すなわちキリストがあなたの罪のために死に、よみがえられたという事実から来るものです。赦しが必要であることを認め、罪から離れ、イエスを自分の救い主として信じることによって、これを受け取ってください。ローマ人への手紙5章1節はこう明言しています。「こうして、私たちは信仰によって義と認められたのですから、私たちの主イエス・キリストによって、神との間に平和を持っています。」この平和はもろいものではありません。それはあなたが感じることの上にではなく、キリストが成し遂げてくださったことの上に築かれているのです。
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