はじめに
イエスの死と復活の間、いったい何が起こっていたのでしょうか。この問いは技術的で、あまり重要でないように思えるかもしれません。しかし実はとても大切な問いなのです。このイースターの日曜日、Huguesマタイ12章40節とマタイ28章1〜12節から、あなたが知っているつもりだった「墓の中の三日間」を改めて見つめ直すよう招きます。ユダヤの祭り、安息日の構造、そしてフランシス・シェーファーが大切にしていたイメージを手がかりに、キリストが闇に決して敗れることがなかったことをお伝えします。キリストは受け身ではありませんでした。ただ耐え忍んだのではなく、自ら行動し、勝利をおさめ、すべてを成し遂げられたのです。
メッセージの流れ
1. まず事実、そこから解釈へ
- Huguesはスイスの共同体「ラブリ」で、牧師フランシス・シェーファーのもとで信仰に導かれ、シェーファーが彼の結婚式を司式してくれたことを話します。
- シェーファーはキリスト教信仰を二階建ての家にたとえていました。一階には歴史的な事実があり、二階にはその解釈と結果があるのです。
- 例えば、キリストが神の義を成し遂げるために死なれたことは事実です。この事実があるからこそ、罪の赦しという結果が可能になります。事実がなければ、結果もありません。
- 聖書を読むときは、まず本文が「何が起こったと言っているか」を見極めてから、適用に進むようにしましょう。事実はとても大切なのです。
2. 三日三晩:計算が合わない
- マタイ12章40節でイエスはこう予告されます。「ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいることになる」。
- もしキリストが金曜日に十字架にかけられ、日曜日に復活したのなら、少なくとも一晩足りません。Huguesと一緒に数えてみると、計算が合わないことに気づきます。
- この答えはユダヤの安息日の中にあります。ユダヤの暦には週に一度の安息日だけでなく、大きな祭り(過越、種なしパン、初穂、五旬節、ラッパ、贖罪日、仮庵)に結びついた聖なる安息日もあるのです。
- マタイ28章1節のギリシア語原文は「安息日の後」を複数形で記しています。これは手がかりです。祭りの安息日と週の安息日という、二つの安息日が続いていたのです。
- つまりキリストはおそらく木曜日に十字架にかけられ(水曜日に準備が行われ)、初穂の祭りにあたる週の初めの日に復活されました。三日三晩は確かにそこにあるのです。
3. 初穂であるキリスト、祭りの成就であるキリスト
- レビ記の初穂の祭りは、来るべき収穫の約束として、収穫の最初の実りを主の前に献げる時でした。
- 聖書は、キリストが「眠った者たちの初穂」であると言います。キリストの復活は、私たちの復活の保証なのです。
- ユダヤの五旬節は聖なる安息日で、律法が与えられたことと地の初物を祝うものでした。キリスト教の五旬節の日、キリストはご自分の御業の実りである聖霊を送り、私たちを変えてくださいます。
- 何一つ偶然ではありません。キリストはすべての祭りを成就されます。その死と復活は、神がご自分の民に与えられた暦に、正確に組み込まれているのです。
4. 墓の中の三日間:キリストは能動的で、決して受け身ではなかった
- Huguesは、ある日曜日に賛美歌『En Jésus seul』の3節「墓の中で彼は横たわり、闇に敗れた光」という歌詞に異を唱えたことを語ります。神学的に正確ではない、と彼は言います。
- 闇がキリストを覆ったのは十字架の上であって、墓の中ではありません。そこでキリストは、父の助けも御使いの助けもなく、ただひとりサタンの猛攻の中で神の怒りを担われました。
- 十字架の上でキリストは叫ばれます。「すべてが成し遂げられた」と。勝利はすでに得られていました。キリストの民すべての、過去、現在、未来の罪が消し去られたのです。
- キリストは御霊を父にゆだねられます。体は墓に納められましたが、栄光を受けた御魂は、変貌山でのように光り輝いていました。
- キリストは死者の国に下り、アブラハムのもとで待っていた正しい捕らわれ人たちを解放されます。詩篇24篇はこの栄光の入城をこう歌います。「門よ、かしらを上げよ。栄光の王が入って来られる。」
- キリストは決して受け身ではありませんでした。墓の中でも、そして今も。キリストは父の右で、あなたのために執り成し、小羊の婚宴を待っておられます。
5. すべては成し遂げられた:付け加えるものは何もない
- 復活されたキリストは40日間、地上にとどまられました。聖書において40は試練の数です。荒野での40年、子どもが生まれた後の母の40日間の隔離、サタンに試みられたイエスの40日間の断食などです。
- 40日間とどまることで、キリストはこの呪いを一掃されます。もう耐えるべき分離はなく、キリストがすでになさったことに、付け加えるものは何もありません。
- キリストは栄光を受けた体のまま天に上られました。同じ姿で再び来られ、あなたにも栄光の体を与えてくださいます。
- 五旬節の日、キリストは御霊を送られます。この御霊は、あなたが恵みに逆らったり、自分を義とみなそうとしたりするとき、あなたに語りかけてくれます。
- すべては成し遂げられました。今日、あなたが付け加えるものは何もありません。あなたの立場は、山上の説教にあるように、両手を空にしたへりくだった感謝の姿勢なのです。
覚えておきたいポイント
- 歴史的な事実は大切です。それがなければ、確かな解釈も、確かな信仰もありません。
- マタイ12章40節の三日三晩は比喩表現ではなく、ユダヤの安息日の二重構造とぴったり合っています。
- キリストはユダヤのすべての祭りを成就されます。初穂の祭りもその一つで、キリストご自身が復活の初穂です。
- キリストは墓の中で闇に敗れたのではなく、むしろ闇に勝利し、能動的に働き、捕らわれ人たちを解放されました。
- 十字架の上で、キリストはすべてを成し遂げられました。あなたは何かを付け加える必要はなく、ただ喜んで受け取ればよいのです。
自分への適用
- 聖書の箇所を読むとき、適用に飛びつく前に、まず事実をしっかりと見極める時間を取っているでしょうか。
- 長い間歌ってきた賛美歌やクリスチャンのスローガン、繰り返し口にしてきた言葉の中に、神学的な正しさを確かめずに歌っているものはないでしょうか。
- あなたはキリストを、ただ耐え忍ぶだけの敗北者として見ていますか、それとも、あなたの人生の中で働いておられるのが見えないときでも、能動的に働かれる勝利者として見ていますか。
- キリストがすでに成し遂げられた御業に、あなたはまだ何か(宗教的な努力、功績、自己弁護)を付け加えようとしていないでしょうか。
- 攻撃を受けたり、落胆したりするとき、荒野でのキリストの模範「『こう書いてある』…下がれ」にならって、今週どのように応答しますか。
引用聖句
- ピリピ 2:6-11、キリストの謙卑と高挙
- マタイ 12:40、ヨナのしるし
- マタイ 28:1-12、イエスの復活
- レビ記 23、主の例祭
- 詩篇 24、「門よ、かしらを上げよ」
- コリント人への第一の手紙 15:57、私たちの主イエス・キリストによる勝利
よくある質問
イエスはなぜ「三日三晩」、墓の中にいなければならなかったのですか。
マタイ12章40節で、ヨナのしるしを引き合いに出しながらご自身がそう予告されていたからです。Huguesによれば、この日数の計算の難しさは、マタイ28章1節が「安息日」を複数形で語っていることに気づくと解消します。受難週には、種なしパンの祭りの安息日と週ごとの安息日が続けて重なっていたのです。キリストはおそらく木曜日に十字架にかけられ、初穂の祭りの日である週の初めの日に復活されました。
キリストは墓の中の三日間、何をしていたのですか。
Huguesによれば、キリストは受け身ではありませんでした。体は墓に横たえられていましたが、栄光を受けた御魂は死者の国に下り、アブラハムのもとで待っていた正しい捕らわれ人たちを解放し、父の御前へと導かれました。詩篇24篇が歌っているのは、まさにこの栄光の入城です。
本当に闇がキリストを覆ったのはいつですか。
それは墓の中ではなく、十字架の上でした。十字架の上でこそ、キリストは父の助けも御使いの助けもなく、サタンの猛攻の中で神の怒りを担われました。「すべてが成し遂げられた」と叫ばれたとき、勝利はすでに得られていたのです。「闇に敗れた」とキリストを墓の中で描く賛美歌の一節は、意図は良くても、神学的には正確ではありません。
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