インマヌエル:主はご自分の約束を守られる

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はじめに

「約束」ということばを聞いて、あなたが最初に思い浮かべるのは何でしょうか。私たちの日常は約束であふれています。子どもたちは小指を絡めて約束を交わし、大人たちは毎年1月1日に「今年こそ運動を始めよう」「今年こそ痩せよう」と自分に言い聞かせます。友人同士の個人的な約束、仕事上の取り決め、社会生活の暗黙のルールに至るまで、さまざまな約束があります。しかし、あなたも私と同じくらいよく分かっているはずです。それらの約束のすべてが守られるわけではないということを。あなたも、信頼を寄せていた誰かに、いつか傷つけられたことがあるでしょう。そして、あなた自身が約束を破ってしまったことも、きっとあるはずです。

そして、私たちの人間的な約束があまりにもろいために、その脆さを神の約束にまで重ねてしまうことがあります。「神は耐えられないほどの試練に遭わせないと言われたけれど、この苦しみはいつまで続くのか」「神はすべての必要を満たすと言われたけれど、今日、私の家族には必要なものが足りていない」。思いがけない出来事に直面すると、まるで神のことばも人間のことばのように揺らぐかのように、疑いが生まれてしまうことがあります。だからこそ、このクリスマスシリーズは、この主題から始まります。「主はご自分の約束を守られる」。私たちがこれから見つめる最初のしるしは、イザヤ7:1~17にあるインマヌエルの約束です。この箇所を三つの角度から見ていきましょう。その背景、それを与える方の御性質、そしてその祝福に満ちた内容です。

メッセージの流れ

1. 約束が与えられた背景(1~2節)

この箇所は、人を戸惑わせるほどたくさんの固有名詞から始まります。少し立ち止まって状況を整理してみましょう。ソロモンの後、統一されていたイスラエル王国は二つに分裂しました。北には十部族から成るイスラエル王国(その主要な部族と首都の名から、エフライムやサマリアとも呼ばれます)があり、南には二部族から成るユダ王国があり、エルサレムを首都としていました。この約束が与えられるのは、アハズが王として治めていたユダの地です。

アハズとはどのような人物だったのでしょうか。歴代誌第二28:1~3ははっきりと語ります。彼は20歳のとき、主の目にかなうことを行いませんでした。バアルの神々のために鋳物の像を造り、ベン・ヒノムの谷で香をたき、自分の息子たちに火の中を通らせました。つまり、彼は偶像礼拝を行い、自分の子どもたちを犠牲としてささげていたのです。腐敗し、堕落した王であり、その行いによって神を怒らせる者でした。

そして、まさに彼の治世に、ユダを巨大な危機が襲います。二つの王国が連合してエルサレムに攻め上ってきたのです。レツィンが率いるアラム(現在のシリア)と、レマルヤの子ペカが率いる北王国です。彼らはエルサレムを陥落させることこそできませんでしたが、甚大な被害を与えました。歴代誌第二28:5~8はこう記します。ペカはユダの勇士たち12万人を一日のうちに討ち取り、王子と宮内卿、そして王の次に位の高い者も殺され、20万人の女性と子どもたちが捕虜として連れ去られました。

アハズと民の心中を想像してみてください。2節にはこうあります。アラムがエフライムに陣を敷いたという知らせが届くと、「王の心も民の心も、林の木々が風に揺れ動くように揺れ動いた」と。これは葉をそよがせるような穏やかなそよ風ではありません。木の幹をも曲げてしまうほどの嵐です。彼らは恐怖に震えていました。この状況の中で、すなわち不敬虔な王、ひざを屈する民、目前に迫る敵という状況の中で、神が語られるのです。

2. 約束を与えられる方の御性質(3~9節)

a) 神は罪人をも慰められる

3節を見てください。「主はイザヤに仰せられた。『あなたは今、あなたの子シェアル・ヤシュブとともに出て行き、上の池の水道の端、洗い場への大路のかたわらでアハズを出迎え』」。このときアハズはどこにいたのでしょうか。聖所で祈っていたのではありません。彼は町の水路を視察していたのです。なぜなら、迫りくる包囲戦に備えていたからです。彼は神を求めていません。自分自身の資源、自分の知恵、自分の城壁に頼っていました。

それでもなお、神のほうから彼のもとに近づいてこられます。主がイザヤを通して彼に語らせたことばを聞いてください(4節)。「気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはならない。気力を失ってはならない。」ヘブル語の「静かにしていなさい」ということばは、落ち着き、安らぎ、ようやく安心して眠りにつくことができる人の平静さを思わせることばです。「気力を失ってはならない」とは、言い換えれば「うろたえるな、パニックに支配されるな」ということです。

アハズは二人の強大な王を、迫りくる巨大な炎のように見ています。神はまったく違う描写をされます(4節)。「これらの二つの、くすぶる木切れの燃えさし」。あなたは燃え尽きようとする焚き火を見たことがありますか。黒く焦げた炭が二つ残り、わずかに白い煙が立ち、まもなく消えていくばかりです。あなたを震え上がらせる力とは、天の主権者にとってはこのように見えているのです。あなたにとって乗り越えられそうにないと思えるものは、神から見ればすでに消えかかっているのです。

しかし、何よりも心に留めておくべきは、神がこの慰めのことばを誰に語られたか、ということです。それはアハズでした。偶像に香をたき、自分の子どもたちを犠牲にささげた王です。彼の生き方の中には、このことばに値するものは何もありませんでした。正義に従うなら、イザヤは厳しい裁きの宣告を語りに来たはずです。「あなたはあなたがまいたものを刈り取る」と。それにもかかわらず、神は平和のことばを送られます。これこそが神のあわれみです。それは、それを受けるにふさわしくない者にこそ注がれるのです。このことを、あなた自身のためにも心に留めてください。イエスの十字架を通して、神はあなたにもまったく同じ恵みを施してくださいました。あなたが受けるべきであった裁きの代わりに、救いを差し出してくださったのです。

b) 神は語ったことを成し遂げられる

7節を続けて読みましょう。「これは起こらない。実現しない。」二人の王はすべてを計画していました。ユダに攻め上り、これを打ち破り、傀儡の王を据えること。紙の上ではその戦略は成立していました。実際の戦場でも、彼らの軍勢は進軍していました。人間の目には、それは決まったことのように見えました。しかし神の目には、そうではありませんでした。

神はさらに続けられます(8節)。「六十五年のうちに、エフライムは民として立ち行かなくなる。」この預言は紀元前734年ごろに語られました。その12年後、紀元前722年に、アッシリアが北王国を捕囚として連れ去りました。そして紀元前669年、まさに六十五年後に、あるアッシリアの王がその移住を完了させ、他民族をその地に住まわせ、エフライムを民として消し去りました。定められた日に、定められた時に、そのことばは成就したのです。

ここから学べることは、単純明快です。主権者である神が何かを約束されるとき、そのことばは必ず成就します。あなたが望むときに、ではありません。あなたが期待していた形で、でもありません。しかし、神が定められた時に、神が選ばれた形で、必ず成就するのです。民数記23:19はこう語ります。「神は人間ではないので、偽ることをせず、人の子ではないので、悔いることをしない。神が言われて、それをなさらないだろうか。語られて、それを実行されないだろうか。」そしてイザヤ55:11にはこうあります。「わたしの口から出るわたしのことばも、むなしくわたしのところに帰って来ることはない。かえって、わたしの喜ぶことを成し遂げ、わたしがそれを遣わした目的を成就させる。」

だからこそ、ローマ8:1を読むとき、「こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません」と、あなたはそこに安心して身を委ねることができます。コリント第一10:13を読むとき、神があなたの耐えられないほどの試練に遭わせることはないと知り、あなたはそこに安心して身を委ねることができます。あなたの周りの状況が、あなたの信頼を揺るがすかもしれません。試練は、あなたを疑いへと押しやるかもしれません。しかし、たとえすべてが崩れ落ちても、語ったことをすべて成し遂げられる神のことばは、決して揺らぐことがありません。

3. 約束の祝福に満ちた内容(10~17節)

そのとき神は、アハズに驚くべきことを提案されます(10~11節)。「あなたの神、主に、しるしを求めよ。よみのように深く、あるいは上のように高く、しるしを求めよ。」神のことばそれ自体で十分なはずなのに、神はその恵みのゆえに、さらにひとつの証拠を差し出してくださるのです。

アハズはどう答えたでしょうか(12節)。「私は求めません。主を試みません。」これを謙遜と受け取ることもできるかもしれません。しかし実際はそうではありません。列王記第二16:7~8は、アハズが裏で何をしていたかを語ります。彼はアッシリアの王ティグラト・ピレセルのもとに使者を送り、宮にあった金と銀を添えて、こう告げさせました。「私はあなたのしもべ、あなたの子です。上って来て、私を救い出してください。」つまり彼は、生ける神のことばよりも、当時最強の軍事力に頼ることを選んだのです。表向きの敬虔さの陰で、神を退けていたのです。これはあなた自身も陥りかねない罠です。表向きは「神に信頼しています」と丁重に言いながら、心の中では別のものに密かに賭けている、ということです。

それでも神はご自身でそのしるしを与えられます(14節)。「見よ、処女が身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」処女(単なる若い女性ではなく)が男の子を産み、その名は「神は私たちとともにおられる」を意味するのです。この約束には二つの側面があります。

ひとつは、厳しい裁きです。15~17節では、インマヌエルが凝乳と蜂蜜を食べると語られています。それは飢饉の時代の食べ物、すべてが荒れ果て、自然そのものが与えるものしか残っていないときの食べ物です。そして、アハズがまさに信頼を置いたアッシリアの王が、ユダに攻め上ってくることになります。アハズが神の代わりに選んだ者が、自分の民を滅ぼす道具となるのです。あなたが生ける神を退けて別の支えに頼るたびに、あなたは自らの荒廃を用意することになるのです。

しかし、もうひとつの側面では、この約束は史上最大の救いを告げるものでした。それからおよそ700年後、マタイ1:18~25はこう記します。「マリアは、ヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならない前に、聖霊によって身ごもっていることが分かった。……すべてこのことが起こったのは、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。『見よ、処女が身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』。これは、訳すと『神は私たちとともにおられる』という意味である。」不敬虔な王に約束されたしるしは、それから七世紀の時を経て、文字どおり成就したのです。イエス・キリストは処女から生まれ、まことの人であり、まことの神として、ご自分の民の真ん中に住まわれるためにお生まれになりました。

そして神はさらにこの約束を加えてくださいました(ヨハネ3:16)。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」このことばを前にして、あなたには二つの道しかありません。アハズのようにそれを拒んで滅びへと向かうか、それとも、へりくだってそれを受け入れ、悔い改めて、あなたの救い主とともに歩み出すかです。

要点まとめ

  • 人間の約束は揺らぎます。しかし神の約束は、どれほど暗い状況であっても決して揺らぎません。
  • 神は、ご自分を求めていない罪人をも慰められます。神の恵みは、それに値しない者にこそ向けられます。
  • 神が告げられたことは、必ず成就します。エフライムについては六十五年後に、インマヌエルについては七世紀後に。
  • 密かに別のものに頼りながら神のことばを退けることは、自ら自分の破滅を用意することです。
  • インマヌエルの約束はイエス・キリストにおいて成就しました。神はご自分の民の真ん中に、ご自身で住まわれるために来てくださったのです。

あなた自身への問いかけ

  • 今のあなたの状況のせいで、「もろい」と信じそうになっている神の約束は何ですか。
  • 今この瞬間、あなたは主のことばよりも、自分自身の資源のほうを頼りにしていませんか。
  • アハズのように、あなたが本当に信頼を置いている「アッシリアの王」(ある人物、ある金額、ある人間的な戦略)がありませんか。
  • 神が語ったことを必ず成し遂げられるという確信は、これから始まる一週間の向き合い方をどのように変えるでしょうか。
  • インマヌエル、すなわち「神があなたと共におられる」ことは、日曜日だけでなく、日々あなたに寄り添っていますか。この臨在は、あなたの祈り、あなたの仕事、あなたの人間関係をどのように変えることができるでしょうか。

引用聖句

よくある質問

なぜ神は、アハズのように不敬虔な王をも慰められるのですか。

神のあわれみは、私たちの功績にではなく、神ご自身の御性質に基づいているからです。アハズは偶像礼拝を行い、自分の子どもたちを犠牲にしていました。それでも神はイザヤを通して平和のことばを送られました。これは福音の恵みの先取りです。神は罪人に、その罪人がまったく値しないものを与えてくださいます。それはイエス・キリストの十字架において極まります。

インマヌエルの約束が本当に成就したと、どうして分かるのですか。

イザヤ7:14の預言は紀元前734年ごろに語られました。それからおよそ700年後、マタイ1:18~25は、処女マリアからのイエスの誕生を記し、この箇所を明確に引用しています。「その名はインマヌエルと呼ばれる。これは、訳すと『神は私たちとともにおられる』という意味である。」アハズに与えられたことばは文字どおり成就しました。エフライムの六十五年についての預言が、すでに定められた日に成就していたのと同じようにです。

この約束は、今日の私にどう関係しているのですか。

それはあなたにひとつの決断を迫るものです。アハズのように、表向きは「神に信頼しています」と言いながら、実際には別のものに頼り、自分自身の破滅を用意することもできます。あるいは、インマヌエル(あなたの罪を十字架で負ってくださったイエス・キリスト)を受け入れ、悔い改めて、かつて約束を守られた方が今日もまた約束を守ってくださると確信して、共に歩み出すこともできるのです。

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