聖霊との交わりの習慣

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説教:ワタル・スガワラ牧師(顧問牧師)、神戸キリスト栄光教会(神戸キリスト栄光教会)、2025年11月30日。日本語原稿からの翻訳・翻案。

はじめに:聖霊を「言葉の習慣」にする

習慣とは、あなたの生活の中に入り込みすぎて、もはやほとんど意識しなくなった動作のことです。朝食を取ること、食後に歯を磨くこと、そうしたことは、あまりにもあなたの一部になっているので、もはや習慣とすら呼ばれません。スガワラ牧師は、微笑みながら、三十年ほど前にしたあるゴルフのラウンドについて語ります。とても落ち着いたある牧師が、ボールの前に立つと、一分近くも動かずにいました。何かをつぶやいていました。祈っていたのです。この小さな静かな儀式を経ずには、彼はボールを打つことができなかったのです。

この説教は、まさにこれをあなたの霊的生活に提案しています。一日を通して、とてもシンプルな一言を「言葉の習慣」として身につけることです。思い出すたびに繰り返す、たった一行の言葉。「聖霊様、私と共にいてください。」運転しながら、職場で、台所で、試験の前に、家のドアを閉めるときに。それはパフォーマンスではありません。すでにあなたの内に住んでおられる方と、あなたを再びつなげる、さりげない一つの動作なのです。

聖霊はそこにおられます。しかし目には見えません。匂いもなく、色もなく、音もありません。あなたは簡単に聖霊のことを忘れてしまいます。だからこそ、意識して、聖霊に語りかける必要があるのです。

説教の構成

1. 聖霊とは、交わりを結ぶべき人格をお持ちの方

パウロは、コリント人への第二の手紙を、多くの教会が礼拝の最後に用いるあの祝祷で締めくくっています。

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべての者と共にありますように。」(コリント人への手紙第二13:13、新改訳

この言葉をよく心に留めてください。「交わり」です。パウロは、聖霊ご自身の霊感によってこの言葉を書いています。あなたは、聖霊との本物の交わりを生きるようにと召されています。それは漠然とした概念ではありません。一つの関係なのです。

ところで、交わりを生きるためには、互いに語り合う必要があります。あなたが「イエスの御名によって」父に祈るとき、それはすばらしいことです。しかし、その間、聖霊は何をしておられるのでしょうか。聖霊はそこにおられ、あなたが今願ったことを、あなたと共に実現しようと備えておられます。ですから、それをパートナーシップとして声に出して言ってみましょう。「今お願いしたこと、聖霊様、ご一緒に実現させましょう。」もしあなたが会社を経営しているなら、こう言いましょう。「聖霊様、一緒にこの会社を経営しましょう。」もしあなたが学生なら、「聖霊様、一緒にこの試験に臨みましょう。」

2. あなたは一人ではない:あなたは「四人」

牧師は、最近、別の教会で孤独についてのメッセージをしたと語ります。彼は、思わず微笑んでしまうこの言い回しを気に入っています。あなたは「ひとりぼっち」なのではなく、「よにんぼっち」、つまり「四人でひとつ」なのだと。父、子、聖霊、三度聖なる神が、あなたと共におられます。ですから、あなたを含めると四人になります。決して一人ではないのです。

3. イエスご自身が聖霊を紹介される(ヨハネ14章から17章)

最後の食事の席で、イエスはご自分が引き渡されることを知っておられました。ヨハネの福音書の丸ごと五つの章(13章から17章)が、弟子たちへの告別の言葉を記録しています。そして、この五つの章の中心的な主題は、聖霊です。それはいわば、イエスの遺言のようなものです。

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主が、いつまでもあなたがたとともにおられるためです。その方は真理の御霊です。世はこの方を見もせず知りもしないので、受け入れることができません。しかし、あなたがたはこの方を知っています。この方があなたがたとともにおられ、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14:16、17、新改訳

同じ一つの人格を指す三つの呼び名です。助け主、真理の御霊、聖霊。イエスは、この方を「もう一人のわたし」のような方だと言われます。聖霊があなたと共におられるということは、イエスがあなたと共におられるということです。この方はあなたと共にとどまられます。しかも「いつまでも」であり、一つの季節だけでも、限られた期間だけでもありません。

4. 御霊は教え、思い起こさせてくださる

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:26、新改訳

あなたもきっとこういう経験をしたことがあるはずです。ちょうど良いときによみがえってくる記憶、探してもいないのに浮かんでくる思い、必要としていたまさにそのときに届く考え。これらは聖霊からの贈り物です。聖霊は、イエスが語られたすべてのことをあなたに思い起こさせてくださいます。実際、福音書はこのようにして書かれたのだと考えられます。イエスの地上での生涯から十年、二十年、三十年が経った後でも、弟子たちが主の言葉と行いを思い出すことができたのは、御霊が思い起こさせてくださったからなのです。

5. 御霊がもたらす平安、単なる安心ではなく

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたに、わたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がせたり、恐れたりしてはなりません。」(ヨハネ14:27、新改訳

スガワラ牧師は、日本語における「安心」と「平安」という、貴重な区別を強調します。安心とは、あなたの努力の実りです。増えていく収入、安定した結婚生活、子どもたちのための良い教育。それは有益であり、軽んじるべきものではありません。しかし、何か一つ要素が欠けると、安心はぐらつき、不安がやって来ます。

一方、平安は贈り物です。それは聖霊から来ます。あなたと神との関係がしっかりしているとき、どんな状況もそれをあなたから奪い去ることはできません。それはあなたに与えられるものであり、あなたの努力によって生み出されるものではありません。

「肉の思いは死であり、御霊の思いはいのちと平安です。」(ローマ8:6、新改訳

6. 御霊はイエスについてあかしされる

「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち、父のもとから出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについてあかしをされます。」(ヨハネ15:26、新改訳

聖霊は決して自分を前面に出されることがありません。その目的、その使命は、イエスを中心に据えることです。聖霊の栄光は、キリストの栄光なのです。

7. 「わたしが去って行くことは、あなたがたの益となる」

「しかし、わたしはあなたがたに真実を告げます。わたしが去って行くことは、あなたがたの益となります。わたしが去って行かなければ、助け主はあなたがたのところに来ません。わたしが行けば、わたしはその方をあなたがたに遣わします。」(ヨハネ16:7、新改訳

この言葉が弟子たちの中にどのような思いを引き起こしたか、想像してみてください。「わたしが去ることが、あなたがたの益になる」ですって。その五日前、エルサレムはイエスをダビデの子として歓呼して迎えていました。彼らは、ローマを追い出してくれる王を期待していたのです。それなのに、イエスは去って行くと告げられます。しかしイエスは真実を語っておられます。聖霊は五旬節に降り、そのときになって初めて弟子たちは、なぜこの旅立ちが「益」であったのかを理解することになるのです。目に見えない同伴者が、彼ら一人ひとりと、どこにいても、いつまでも共にいてくださるのですから。

8. 御霊は罪について、義について、さばきについて明らかにする

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかにされます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」(ヨハネ16:8、9、新改訳

この世は、罪を「悪いことをしたこと」として定義します。しかしイエスは、さらに先を行かれます。第一の罪とは、イエスを信じないことなのです。ギリシャ語で「罪」は「ハマルティア」と言い、文字通りには「的を外す」という意味です。人は神の栄光のために造られました。神なしに、自分だけのために生きること、それ自体がすでに的を外していることなのです。私たちが悪いことをするから罪を犯すのではなく、神が私たちを造られた目的から断ち切られているからこそ、悪いことをしてしまうのです。

では、義とは何でしょうか。あらゆる宗教は、行い、断食、ますます厳しい修行によって、義となろうとします。しかし最終的には、誰もあなたを「義である」と宣言することはできません。聖書は別のことを教えています。義は、イエス・キリストへの信仰によって受け取る賜物なのです。あなたは肉においては罪人のままですが、神は、あなたがまるで罪人であったことがないかのように扱ってくださいます。それこそが神の義です。罪人を義とすることです。

9. 御霊は自分から語るのではなく、キリストを示される

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。その方は自分から語るのではなく、聞くことを話し、また、これから起こることをあなたがたに知らせるからです。その方はわたしに栄光を帰します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」(ヨハネ16:13、14、新改訳

御霊の思いは、イエスの思いです。イエスの思いは、父の思いです。父、子、聖霊は完全に一つです。御霊があなたの内に語りかけることは、決してみことばと矛盾することがありません。御霊は常に、あなたをイエスの方向へと導いてくださいます。

10. 御霊は宣教の霊である

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そしてあなたがたは、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:8、新改訳
「こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたって平安を保ち、建て上げられて主を恐れ、聖霊に励まされて歩み、その数を増していった。」(使徒の働き9:31、新改訳
「バルナバとサウロを、わたしが召した働きのために、今、わたしのもとに聖別しなさい。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて、送り出した。こうして、二人は聖霊に送り出されてセレウキアに下って行った。(使徒の働き13:2〜4、新改訳

教会を前へと押し進めるのは、聖霊です。アンティオキアでは、ユダヤ人と異邦人が入り混じった国際的な群れが断食して祈り、御霊が二人の人を宣教のために聖別されました。この働きの流れは、決して止まったことがありません。あなたがその導きに心を開くなら、それは今もあなたの内で続いているのです。

覚えておきたいポイント

  • 聖霊は、単なる非人格的な力ではなく、あなたが本物の交わりを生きるように召されている人格をお持ちの方です。
  • 聖霊はあなたの内におられますが、目には見えません。意識して語りかけなければ、あなたは聖霊のことを忘れてしまいます。
  • 「聖霊様、私と共にいてください」:一日を通して身につける、言葉の習慣です。
  • 平安(へいあん)は、あなたの状況に左右されない、御霊からの賜物です。安心(あんしん)は、あなたの努力の実りであり、有益ではありますが、もろいものです。
  • 御霊は決して自分について語ることがありません。イエスに栄光を帰し、みことばの真理へとあなたを導かれます。
  • あなたは決して一人ではありません。父、子、聖霊があなたと共におられます。あなたを含めて、四人なのです。

自分への適用

  1. 明日から、一日のどの瞬間に「聖霊様、私と共にいてください」という言葉を取り入れることができるでしょうか。朝起きたときでしょうか。車のハンドルを握るときでしょうか。会議の前でしょうか。
  2. 仕事、家庭、あるいは難しい決断など、聖霊を招いて共に働いていただくことなく、自分自身で「安心」を作り出そうとしている領域はないでしょうか。
  3. あなたの祈りは、イエスの御名によって終わりながらも、御霊の生きた臨在を忘れてしまっていないでしょうか。今日から、父に向かってだけでなく、御霊と共に祈るには、どうすればよいでしょうか。
  4. 「ひとりぼっち」だと感じるとき、あなたが「四人」であることを思い出しているでしょうか。この考えは、孤独への向き合い方をどのように変えるでしょうか。
  5. 神から来る平安と、あなた自身が築き上げる安心。今、あなたがより強く求めているのはどちらでしょうか。このことについて、御霊はあなたに何を語ろうとしておられるでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

聖霊との交わりを「習慣化する」とはどういうことでしょうか。

たとえば「聖霊様、私と共にいてください」という短い言葉を反射的な習慣として身につけ、一日の中でそれを思い出すたびに繰り返すことです。これは魔法の呪文ではありません。すでにあなたの内に住んでおられる方の臨在を、意識的に思い起こすことなのです。

聖霊がすでに自分の内におられるのに、なぜ意識して語りかける必要があるのでしょうか。

聖霊は目に見えず、匂いもなく、音もないからです。あなたの肉は簡単に聖霊のことを忘れてしまいます。声に出して(あるいは心の中で)聖霊に語りかけることは、あなたをその臨在に再びつなげ、その導き、その平安、その思い起こしに心を開かせてくれます。

「平安」と「安心」にはどのような違いがあるのでしょうか。

安心は、あなたの努力(収入、健康、安定)の実りです。それは良いものですが、もろいものです。何か一つ要素が欠ければ、不安が戻ってきます。平安は、神との関係に根ざした、聖霊からの賜物です。それはどんな状況の中を通っても、消え去ることがありません。

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