聖書 — 口語訳 (1955)

コリント人への第一の手紙 10

概要

コリント人への第一の手紙10章で、パウロはイスラエルの荒野での歴史を引いて、コリントの教会に警告します。ヘブルの民はみな雲、海、マナ、岩を経験しましたが、大半の者が倒れました。これらの出来事は信者への教訓です。立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。パウロは、誘惑のとき神は真実な方であることを思い起こさせ、偶像礼拝から逃げるよう求めます。そして自由のための原則を示します。人を育てるものを求め、他の人の良心を尊重し、すべてを神の栄光のために行うことです。

この章の5つの区分

  1. 1-5節荒野のヘブルの民すべてに与えられた同じ特権
  2. 6-12節従ってはならない実例と戒め
  3. 13節誘惑のとき、神は真実な方
  4. 14-22節偶像礼拝から逃げる:主の食卓と悪霊の食卓
  5. 23-33節自由、他の人の良心、そして神の栄光

1兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、

2みな雲の中、海の中で、モーセにつくバプテスマを受けた。

3また、みな同じ霊の食物を食べ、

4みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。

5しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。

6これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

7だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。

8また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。

9また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。

10また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。

11これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。

12だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。

13あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

14それだから、愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。

15賢明なあなたがたに訴える。わたしの言うことを、自ら判断してみるがよい。

16わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。

17パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。

18肉によるイスラエルを見るがよい。供え物を食べる人たちは、祭壇にあずかるのではないか。

19すると、なんと言ったらよいか。偶像にささげる供え物は、何か意味があるのか。また、偶像は何かほんとうにあるものか。

20そうではない。人々が供える物は、悪霊ども、すなわち、神ならぬ者に供えるのである。わたしは、あなたがたが悪霊の仲間になることを望まない。

21主の杯と悪霊どもの杯とを、同時に飲むことはできない。主の食卓と悪霊どもの食卓とに、同時にあずかることはできない。

22それとも、わたしたちは主のねたみを起そうとするのか。わたしたちは、主よりも強いのだろうか。

23すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。

24だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである。

25すべて市場で売られている物は、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。

26地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。

27もしあなたがたが、不信者のだれかに招かれて、そこに行こうと思う場合、自分の前に出される物はなんでも、いちいち良心に問うことをしないで、食べるがよい。

28しかし、だれかがあなたがたに、これはささげ物の肉だと言ったなら、それを知らせてくれた人のために、また良心のために、食べないがよい。

29良心と言ったのは、自分の良心ではなく、他人の良心のことである。なぜなら、わたしの自由が、どうして他人の良心によって左右されることがあろうか。

30もしわたしが感謝して食べる場合、その感謝する物について、どうして人のそしりを受けるわけがあろうか。

31だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。

32ユダヤ人にもギリシヤ人にも神の教会にも、つまずきになってはいけない。

33わたしもまた、何事にもすべての人に喜ばれるように努め、多くの人が救われるために、自分の益ではなく彼らの益を求めている。

鍵となる聖句

6節
これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。

パウロは箇所全体を読み解く鍵を示します。イスラエルの試練は単なる逸話ではなく、信者が同じ悪い欲望を抱かないための実例として与えられています。

12節
だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。

この戒めは、自分は堅固だと思う人に向けられています。自分への自信は危うさとして、警戒は知恵のしるしとして示されています。

13節
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。

この節は、試練がないとは約束せずに安心を与えます。神は真実な方で、誘惑を受ける者の限界を知っておられ、耐えられるように逃れる道も備えてくださいます。

23節
すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。

パウロはコリントの人々の「すべてのことは許されている」という標語を取り上げ、それを正します。許されていることが、役に立つことや人を建てることとは限りません。自由は、その結果によっても測られます。

31節
だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。

最後の原則は、生活全体を包みます。食べるにも飲むにも、そのほかの何をするにも、神の栄光のために行えます。基準は、禁止事項の一覧ではなく、積極的なものです。

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説教が語っていること

コリント人への第一の手紙10章についてよくある質問

コリント第一10章13節は誘惑について何と言っていますか

この節は、信者が経験する誘惑は人に共通のものであり、神は真実な方で、耐えられないほどの誘惑に遭わせることはないと述べています。また、耐えられるように、逃れる道も備えてくださいます。試練のない人生を約束するのではなく、試練の中でも神が真実であり続けることを約束しています。

なぜパウロはこの章で荒野とモーセについて語るのですか

パウロは、エジプトを出たあとのイスラエルを例に取ります。大きな恵みを受けながらも倒れた民です。それを、自分は安全だと思っていたコリントの教会への警告としています。これらのことは実例として起こったのだと、パウロは書いています。

「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない」とはどういう意味ですか

パウロは信者の自由を認めますが、決めるにはそれだけでは足りないと付け加えます。その選択が役に立つか、他の人を建てるか、神をあがめるかを問う必要があります。クリスチャンの自由は、隣人への愛と結びついています。

クリスチャンは偶像に供えられた肉を食べてもよいのですか

パウロは細やかに答えます。偶像はそれ自体では何ものでもなく、市場で売られている肉は、平安な良心をもって食べることができます。ただし、誰かがそれは供え物だと知らせたなら、その人の良心を思いやって控えるように言い、偶像礼拝との交わりにつながるものからは逃げるように求めます。

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