聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第一の手紙 9
概要
コリント人への第一の手紙9章で、パウロは使徒としての権威を疑う人々に対して自分を弁護します。彼には教会から経済的な支えを受ける権利がありましたが、福音の妨げにならないよう、あえてそれを用いませんでした。そこから一つの原則が生まれます。自由であるとは、メッセージを変えることなく、何人かでも得るためにすべての人の僕となれることでもあります。章の終わりは競技場の姿です。キリスト者の歩みは、賞を目指す競技者のように、訓練と忍耐を必要とします。
この章の4つの区分
1わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主にあるわたしの働きの実ではないか。
2わたしは、ほかの人に対しては使徒でないとしても、あなたがたには使徒である。あなたがたが主にあることは、わたしの使徒職の印なのである。
3わたしの批判者たちに対する弁明は、これである。
4わたしたちには、飲み食いをする権利がないのか。
5わたしたちには、ほかの使徒たちや主の兄弟たちやケパのように、信者である妻を連れて歩く権利がないのか。
6それとも、わたしとバルナバとだけには、労働をせずにいる権利がないのか。
7いったい、自分で費用を出して軍隊に加わる者があろうか。ぶどう畑を作っていて、その実を食べない者があろうか。また、羊を飼っていて、その乳を飲まない者があろうか。
8わたしは、人間の考えでこう言うのではない。律法もまた、そのように言っているではないか。
9すなわち、モーセの律法に、「穀物をこなしている牛に、くつこをかけてはならない」と書いてある。神は、牛のことを心にかけておられるのだろうか。
10それとも、もっぱら、わたしたちのために言っておられるのか。もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。すなわち、耕す者は望みをもって耕し、穀物をこなす者は、その分け前をもらう望みをもってこなすのである。
11もしわたしたちが、あなたがたのために霊のものをまいたのなら、肉のものをあなたがたから刈りとるのは、行き過ぎだろうか。
12もしほかの人々が、あなたがたに対するこの権利にあずかっているとすれば、わたしたちはなおさらのことではないか。しかしわたしたちは、この権利を利用せず、かえってキリストの福音の妨げにならないようにと、すべてのことを忍んでいる。
13あなたがたは、宮仕えをしている人たちは宮から下がる物を食べ、祭壇に奉仕している人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかることを、知らないのか。
14それと同様に、主は、福音を宣べ伝えている者たちが福音によって生活すべきことを、定められたのである。
15しかしわたしは、これらの権利を一つも利用しなかった。また、自分がそうしてもらいたいから、このように書くのではない。そうされるよりは、死ぬ方がましである。わたしのこの誇は、何者にも奪い去られてはならないのだ。
16わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。
17進んでそれをすれば、報酬を受けるであろう。しかし、進んでしないとしても、それは、わたしにゆだねられた務なのである。
18それでは、その報酬はなんであるか。福音を宣べ伝えるのにそれを無代価で提供し、わたしが宣教者として持つ権利を利用しないことである。
19わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
20ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
21律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。
22弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。
23福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
24あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。
25しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
26そこで、わたしは目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない。
27すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。
鍵となる聖句
わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
パウロはこの章の逆説を示します。すべての人に対して自由でありながら、自ら進んですべての人の奴隷になります。キリスト者の自由とは、したいことをする権利ではなく、他の人がキリストを得るために自分を差し出せる力です。
弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。
パウロは自分の宣教の方法を要約します。弱い人にも強い人にも、損得ではなく愛によって、その人のいるところまで近づくことです。変わるのは人への近づき方であり、福音そのものは変わりません。
あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。 しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
パウロはキリスト者の歩みを競技場の競走にたとえます。競技者は朽ちる冠のために節制しますが、信仰者は朽ちない冠を目指します。目的と方法を持って、本気で走るようにという招きです。
すなわち、自分のからだを打ちたたいて服従させるのである。そうしないと、ほかの人に宣べ伝えておきながら、自分は失格者になるかも知れない。
パウロは、他の人に宣べ伝えておきながら自分が失格者にならないよう、自分のからだを打ちたたいて服従させると語ります。目を覚ましていることと、語ることと生き方が一致することへの呼びかけです。
説教が語っていること
コリント人への第一の手紙9章についてよくある質問
コリント人への第一の手紙9章の「すべての人のようになった」とはどういう意味ですか
パウロは、ユダヤ人に対しても律法を持たない人に対しても、福音が聞かれるのを妨げるものを取り除くために、それぞれの文化、言葉、確信に合わせると説明しています。メッセージも本質的な確信も変えません。変えるのは人への近づき方であり、それは愛から出たもので、何人かでも救うためです。
なぜパウロはコリント人への第一の手紙9章で自分の権利を手放すのですか
パウロはまず、福音を伝えた人々から支えを受ける権利が自分にあることを確認します。それを用いないのは、だれもそこに妨げや非難の口実を見いださないようにするためです。権利そのものを否定せず、キリスト者の自由は愛によって自らを制限することを選べると示しています。
コリント人への第一の手紙9章24節から27節の競走のメッセージは何ですか
パウロはキリスト者の歩みを競技場の競走にたとえます。目的を持って走り、自分を訓練し、気を緩めないようにという招きです。違いは賞にあり、信仰者にとってそれは朽ちない冠です。賞の理解や、27節でパウロが何を失うことを恐れているかについては、キリスト者の間でも見方が分かれます。この箇所はとりわけ目を覚ましていることを促しています。
コリント人への第一の手紙 9を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。