毎年、年の初めにあなたは決意を立てます。体重を減らす、時間をもっとうまく管理する、新しい言語を学ぶ。どれも良いことです。しかし、もしただ一つの決断、ただ一つの情熱だけを持ち続けるとしたら、それは何でしょうか。
2024年1月最初の日曜日、ICCモントリオールで語られたこのメッセージの中で、セレスタン・ヤオ牧師は、これから始まる一年の土台を据えます。タイトルはストレートです。「2024年、キリストに似る者となることを決意しよう」。これはただの一つの説教ではなく、要となる礎石です。なぜなら、この決断を見逃すなら、あなたは自分が創造された理由そのものを見逃してしまうことになるからです。
この記事は、あなたがこのメッセージを黙想し、実践し、分かち合えるように、その要点をまとめたものです。
1. あなたはキリストに似る者となるようあらかじめ定められていた
土台となる聖句はローマの信徒への手紙8章29節です。「神は、あらかじめ知っておられた者たちを、御子の姿にかたどるようにあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためでした。」
あなたの両親が出会うずっと前から、世界の基が置かれるよりもずっと前から、神はあなたを選んでおられました。あなたが良い家庭の出身だからではありません。誰かがあなたのために取り計らったからでもありません。ただ神の良しとされるところによってです。パウロはエフェソの信徒への手紙1章4〜5節で明確にこう述べています。神はあなたを、御前で聖なる、傷のない者となるようにとキリストにあって選び、愛のうちに、御自分の子とするようにあらかじめ定めてくださったのです。
その目的をよく見てください。長子である御子に似る者となることです。パウロが用いたギリシャ語の言葉(スュムモルフォス)は、形を共有すること、深い意味での似姿を語っています。神は、すべての子どもが兄であるイエス・キリストの特徴を身にまとう、大きな家族を望んでおられます。これはすべての贖われた者に共通する召命です。一部のエリートのためだけに用意された上級の霊的オプションではありません。あなたの人生のための神のご計画そのものなのです。
2. 神は外側の器ではなく、内なる人を見ておられる
問題は、敵の最大の誘惑が、あなたにひたすら外側だけを追いかけさせることにあるということです。外見、地位、他人の目に映るものです。私たちは年々、外側の器の世話をしながら、自分の内なる人がどうなっているかを問うことを忘れてしまいます。
パウロはコリントの信徒への手紙二4章6〜7節で、神が私たちの心の中にその光を輝かせてくださったこと、そして私たちがこの宝を「土の器」の中に持っていることを記しています。あなたの体は、その宝を運ぶ器です。それは有用であり、大切に扱うべきものですが、最優先事項ではありません。
その証拠に、人が死ぬとき、体はそこに残りますが、その人をその人たらしめていたもの(その霊)は去ってしまいます。あなたは霊であり、体の中に住まい、魂を持っている存在です。そして神は、いつも内側にあるものをご覧になっているのです。
だからこそパウロはコリントの信徒への手紙二4章16〜18節でこう続けます。「たとえわたしたちの外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なる人は日々新たにされていきます。」目に見えるものすべてが年月とともに衰えていく中でも、もしあなたが神に対して真剣であるなら、内側では栄光が育ち続けています。あなたの内なる人を大切にしてください。そこに永遠がかかっているのです。
3. 隠された奥義。あなたの内におられるキリスト
ここに、すべてを変える啓示があります。神はいつの時代も、ご自分が住まわれる家を建てたいと願っておられました。神はサムエル記下7章でダビデにこう説明されました。「わたしのために家を建てるのはあなたではなく、あなたの息子だ」。ソロモンが最初の神殿を建てました。それは破壊されました。第二の神殿は汚されました。なぜなら、神が語っておられたのは石でできた建物のことではなかったからです。
ついにパウロに啓示されたこの隠された奥義を、あなたはコロサイの信徒への手紙1章26〜27節に見いだします。「それは、代々にわたり、また、時代を貫いて隠されてきた秘められた計画でしたが、今や神の聖なる者たちに明らかにされたのです……。それは、あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望です。」
神がいつも建てたいと願っておられた神殿とは、あなた自身のことです。パウロは率直にこう書いています。「あなたがたは聖霊の神殿であることを知らないのですか」(コリントの信徒への手紙一6章19節)。聖霊は神です。聖霊があなたの内に住まわれるなら、天と地を創造された偉大な神が、あなたの霊の中にご自分の住まいを構えてくださったということなのです。
聖霊よりもあなたの人生に親密な存在は誰もいません。聖霊はあなたの隠れた場所を知っておられます。あなたが契約書を作成するときも、勉強しているときも、何と言えばよいか分からずにため息をつくときも、聖霊はあなたに寄り添っておられます。神ご自身があなたの内に幕屋を張ってくださっているのに、外側に味方を探し求めるのはもうやめなさい。
4. どのようにキリストに似る者となるか。御言葉と御霊による観想
キリストに似る者となることは、あなたの人間的な努力によって実現するものではありません。それは聖霊の御業です。そして聖霊は常に御言葉とともに働かれます。創世記のときから、御霊が水の上を動いていたとき、いのちが現れるためには神が「光あれ」と言われる必要がありました。あなたの回心も同じように起こりました。あなたが聞いた御言葉と、あなたの心に触れた聖霊によってです。
このプロセスは、コリントの信徒への手紙二3章18節にあるように、日々続いていきます。「わたしたちは皆、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていきます。それは霊なる主の働きによるのです。」
パウロが語っている鏡は、あなたの洗面所にある鏡とは違います。この鏡をのぞき込むとき、あなたは自分自身の顔を見るのではありません。あなたはキリストを見るのです。そして語られた御言葉によって、あなたはもっとキリストに似る者となるよう、自分の生き方を調整していくのです。
具体的には、こういうことです。毎週日曜日、毎週、あなたが御言葉を聞くとき、それを軽んじないでください。その週が過ぎ去るまで、それに立ち返らずにいることのないようにしてください。御言葉という鏡の前に自分を映しに行きなさい。自分に問いかけなさい。私の人生のどの部分がキリストに似てきているだろうか。どこを整える必要があるだろうか。
そしてパウロとともに、ガラテヤの信徒への手紙2章20節の言葉を宣言してください。「わたしはキリストとともに十字架につけられました。もはやわたしが生きているのではなく、キリストがわたしの内に生きておられるのです。」これが、この一年のスローガンです。これが、あなたの情熱、あなたの焦点となるべきものです。
覚えておきたいポイント
- キリストに似る者となることは選択肢の一つではなく、神に贖われたすべての者に共通する召命です。
- 神は、あなたの外側の器よりもずっと先に、あなたの内なる人をご覧になります。神が働かれるのはそこであり、あなたが力を注ぐべきなのもそこです。
- 福音の栄光に満ちた奥義とは、あなたの内におられるキリスト、栄光の希望のことです。あなたは聖霊の神殿なのです。
- キリストの姿への変容は聖霊の御業であり、決してあなたの努力によるものではありません。それは常に、黙想され、生きられた御言葉を通して起こります。
- この変容は少しずつ進んでいきます。源とのつながりを保ち続けるなら、あなたは栄光から栄光へと進んでいきます。
個人への適用
- 昨年、あなたのエネルギーを最も多く費やしたのは何でしたか。外側の器でしたか、それとも内なる人でしたか。
- 誰もあなたを見ていないときでも、あなたは毎日、自分の内におられる聖霊の臨在を意識していますか。
- 最近聞いた説教のうち、生活を調整するためにその週のうちに立ち返ることなく、軽んじてしまったものはありますか。
- あなたの人生の具体的などの領域(言葉、反応、人間関係、お金の管理、神との時間)で、今年もっとキリストに似る者となりたいですか。
- 今日、あなたはパウロとともに「もはやわたしが生きているのではなく、キリストがわたしの内に生きておられる」と宣言できますか。それが真実となるために、何を手放す必要がありますか。
引用された聖句
- ローマの信徒への手紙8章29節 · 御子の姿にかたどるようにあらかじめ定められた
- エフェソの信徒への手紙1章4〜5節 · 世界の基が置かれる前に選ばれた
- コリントの信徒への手紙二4章6〜7節 · 土の器の中にあるこの宝
- コリントの信徒への手紙二4章16〜18節 · 内なる人は日々新たにされる
- コリントの信徒への手紙二3章18節 · 栄光から栄光へと変えられる
- コロサイの信徒への手紙1章26〜27節 · あなたがたの内におられるキリスト、栄光の希望
- コロサイの信徒への手紙1章28〜29節 · すべての人をキリストにあって成熟した者として立たせる
- ガラテヤの信徒への手紙2章20節 · もはやわたしが生きているのではなく、キリストがわたしの内に生きておられる
- コリントの信徒への手紙一6章19節 · あなたがたは聖霊の神殿である
- サムエル記下7章 · 神が建てたいと願われる家
よくある質問
キリストに似る者となるとは、「欠点のない」という意味で完璧になることですか。
いいえ、違います。コロサイの信徒への手紙1章28節で「完全な」と訳されているギリシャ語は、「成熟した」あるいは「成し遂げられた」と訳すほうが適切です。これは、神があなたを起こされた目的に到達すること、キリストにあって成熟した子どもとして神が委ねられた使命を果たすことを意味します。二度と失敗しなくなることではなく、栄光から栄光へと成熟していくことなのです。
なぜセレスタン牧師はこれほどまでに内なる人を強調するのですか。
それは、神がご覧になっているのがそこであり、キリストの姿への変容が始まるのもそこだからです。外見や地位、目に見える実績だけを大切にすることは、神が本当になさりたいと願っておられる御業を見逃してしまうことになります。外側の器は年月とともに衰えていきますが、内なる人は、永遠に至るまで新たにされ続けることができるのです。
具体的に、今年、キリストがもっと私の内に生きてくださるために、何から始めればよいのでしょうか。
三つのシンプルな実践から始めてください。御言葉に注意深く耳を傾け、それを軽んじることなく、その週のうちに立ち返って生活を調整すること。隠れた場所にいるときでさえ、自分の内におられる聖霊の臨在を絶えず意識すること。そして毎日、パウロとともに「もはやわたしが生きているのではなく、キリストがわたしの内に生きておられる」と宣言し、その言葉と矛盾するものを手放すことです。
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