はじめに
「誰に遣わされているのか」。この問いはまっすぐで、マレシャル牧師は2020年5月のある金曜日の夜、ナントのアッセンブリー・オブ・ゴッド教会から、その問いを率直に投げかけます。ペンテコステ祭の前夜、そしてロックダウンが明けたばかりのその日、彼はユダの手紙11節を開き、ひとつの居心地の悪い現実に指を差します。すべての人が同じ源から遣わされているわけではない、ということです。自分自身によって自分を遣わす者たちがいます。人々によって立てられる者たちがいます。サタンに押し出される者たちがいます。そして、神が形づくり、召される者たちがいます。このメッセージは、他者の召し、そして何よりもあなた自身の召しが、いったいどこから来ているのかを見分けるための、聖書的な指針をあなたに与えようとするものです。
メッセージの流れ
1. 自分自身によって立てられた者:コラ
- ユダの手紙11節は「コラの反逆」を思い起こさせます。ここではさらに民数記16章を読んで、その意味を理解していきましょう。
- コラはモーセの右腕とも言うべき人物でした。彼は、神がお召しになっていない霊的な立場の権威を自ら奪い取り、自分自身を立ててしまいました。
- 彼が巻き込んだのは、どこにでもいるような人々ではありません。250人、それも名だたる人々でした。彼は、イスラエルをエジプトから連れ出し、カナンの国境にまで導いてきたモーセに対して反逆したのです。
- コラは、自分自身が犯している罪でモーセを非難します。「あなたは、自分を通してしか神は語られないと思っているのか。もうたくさんだ。」つまり彼は、アロンとともに、モーセに取って代わり、その地位を奪おうとしていたのです。
- その結果は破滅的なものでした。地が口を開き、彼らを飲み込んだのです。それでも、民はなおもモーセに対してつぶやき続けました。
- 適用:「他人の場所を求めてはならない。神があなたを置かれた場所にとどまりなさい。そうすれば、神はあなたを豊かに祝福してくださる。」
2. 人々によって立てられた者:サウル
- サムエル記第一8章で、民は「ほかの国々のような」王を求めます。サムエルの息子たちが、父のようには器にふさわしくなかったからです。
- サムエルは祈ります。神の答えは驚くべきものでした。「彼らが退けているのは、あなたではない。彼らが退けているのは、このわたしなのだ。」
- 民の声に、神の声よりも耳を傾けること。これは非常に危険なことです。マレシャル牧師は、ある国家元首が「今夜から、私はあなたがたの声しか聞かない」と言ったとしたら、という例えを用います。なんという破局でしょうか。
- こうして神は王を与えられます。サウルです。背が高く、美しく、力強く、見た目に人を魅了し、人物崇拝をあおる人物でした。
- サムエル記第一8:11~17で、神はサムエルに「あなたがたを治める王のならわし」を明らかにされます。そこで繰り返し使われる動詞はただひとつ、「取る」です。彼は取り、取り、取り続けます。彼は搾取する者なのです。
- 人々によって立てられた者は、羊のことを心にかけません。彼は羊によって生きるのです。これは、羊のためにいのちを捨てる真の羊飼いとは正反対の、雇い人の姿です。
- 民がサムエルのもとに戻り、「私たちは罪を犯した」と言うときには、もう手遅れです。彼らはおよそ42年間、サウルを持つことになります。なんという惨事でしょうか。
3. 神によって立てられた者:モーセとダビデ
- モーセは神にこう答えます。「どうか、ほかの人を遣わしてください。私は口が重いのです。」彼は言葉に詰まる人でした。しかし神は、ほかの誰も遣わされませんでした。モーセには人間的なカリスマ性はありませんでしたが、神からのカリスマ性がありました。
- サムエルがサウルに油を注ぐとき、彼は油の壺を使います。それは人の手によって作られた器です。
- サムエルがダビデに油を注ぐとき、彼は油の角を使います。それは、いのちを差し出した動物から取られた角です。真の奉仕の根底には、常にひとつの犠牲、すなわち流された血があるのです。
- 人によって作り上げられた奉仕なのか、それとも犠牲から生まれ、神に献げられた奉仕なのか。この違いは決定的です。
- 選ぶのは神です。召すのは神です。ご自分のしもべたちを形づくるのも神です。彼らを遣わし、その務めに立てるのも神なのです。
4. サタンによって立てられた者:偽使徒たち
- コリント第二11:13~15で、パウロはこう書いています。「彼らのような者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒たちを装っているのです。」
- 14節はこう思い起こさせます。サタン自身が光の御使いを装うのです。その手下たちも、義の奉仕者を装います。
- 彼らは教会のクリスチャンたちに、「もうひとりのイエス、もうひとつの霊、もうひとつの福音」を宣べ伝えます(4節)。
- 彼らはサタンの使者であり、サタンによって遣わされ、その国のために仕える者たちです。そのような働き人は、イエス・キリストの教会にとって祝福ではなく、むしろのろいとなるでしょう。
要点まとめ
- 遣わされることには四つの源が考えられます。自分自身、人々、サタン、そして神です。あなたの召し、そしてあなたが従っている権威者たちの召しが、どこから来ているのかを見分けましょう。
- コラはただの人物ではありませんでした。霊的な反逆は、しばしば近しい人、才能のある人、250人もの名だたる人々を巻き込むことのできる人から生まれます。
- 人々によって立てられた王の口には、ただひとつの動詞しかありません。「取る」です。真の羊飼いは、羊のためにいのちを与えます。
- 壺(人の手による物)と角(動物の犠牲による物)は、二つの正反対の奉仕を物語っています。人為的に作られたものか、献げられたものか。
- サタンは光の御使いを装います。奉仕をその見た目で判断せず、その語る福音を確かめなさい。
- 神があなたを置かれた場所にとどまりなさい。他人の場所を求めてはなりません。召し、形づくり、遣わし、立てるのは神ご自身なのです。
あなた自身への問いかけ
- 今日あなたが担っている召しは、どこから来ていますか。自分自身から、あなたを押し出した人々から、それともあなたを捕らえられた神からでしょうか。
- コラがモーセの立場をうらやんだように、他の誰かが占めているために、あなたが求めている場所はありませんか。
- あなたが従っている霊的な権威者たちは、(時間、お金、人といったものを)「取る」ことについて多く語っていますか、それとも羊のためにいのちを与えることについて語っていますか。
- あなたの召しは、人によって作られた「壺」の奉仕ですか、それとも犠牲から生まれた「角」の奉仕ですか。
- ある説教者が「もうひとりのイエス、もうひとつの霊、もうひとつの福音」を語っていないことを見分けるために、あなたはどのようなしるしを求めますか。
引用聖句
- ユダの手紙11節
- 民数記16章
- サムエル記第一8章
- サムエル記第一8:11~17
- コリント第二11:4
- コリント第二11:13~15
- ヨハネ10:11~13(羊飼いと雇い人)
- 使徒の働き2章(ペンテコステ)
よくある質問
自分の召しが本当に神から来ているのかどうか、どうすれば分かりますか。
マレシャル牧師は、四つの源を区別します。自分自身、人々、サタン、そして神です。神の召しは自ら勝ち取るものではなく、受け取るものです。口が重かったモーセや、犠牲から取られた角の油を注がれたダビデのように、神に遣わされる者は自分から地位を求めません。神ご自身がその人を形づくり、選び、立てられるのです。
なぜサウルの油の壺とダビデの油の角は違うのですか。
壺は人の手によって作られた器です。角は、いのちを差し出した動物から取られたものです。サウルは壺で油を注がれました。それは人々によって作られた奉仕です。ダビデは角で油を注がれました。その根底には犠牲があり、流された血があります。真の奉仕は人為的な作り物からではなく、犠牲から生まれるのです。
コリント第二11章によれば、偽使徒をどう見分けることができますか。
パウロは彼らを、キリストの使徒を装う、人を欺く働き人として描いています。サタン自身が光の御使いを装い、その手下たちも義の奉仕者を装います。彼らは「もうひとりのイエス、もうひとつの霊、もうひとつの福音」を宣べ伝えます。彼らの奉仕は、教会にとって祝福ではなく、むしろのろいとなっていきます。
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