大宴会のたとえ(ルカ14章):私たちを揺さぶる招待客

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はじめに

想像してみてください。安息日のある日、イエス様はパリサイ派の指導者の家に食事に招かれ、みんなの視線が彼に集まります(ルカ 14:1)。水腫を患う一人の人が、まさに目の前にいます。それから、イエス様は安息日について、選ぶべき席について、誰を食卓に招くべきかについて語り、大宴会のたとえ話をなさいます。この箇所は、あなたもすでによく知っているかもしれません。でも、じっくり向き合ってみると、イエス様がただ会話を埋めるために来られたのではないことに気づかされます。彼は私たちを揺さぶる招待客なのです。

なぜ揺さぶられるのでしょうか。この食事を通して、イエス様は神様が私たちのために備えておられるもの(御国での永遠の大宴会)を明らかにし、同時に、その招きを拒ませてしまう私たちの心の中にあるものを照らし出されるからです。三つのこと、それは頑なさ、高慢、そして自己中心です。イエス様は責めるために告発なさるのではありません。自由にするために光を当てられるのです。神様の食卓、あの永遠から備えられ、誰もが無償で、ただ恵みによって招かれている食卓への道を開くために、私たちを揺さぶられるのです。

メッセージの構成

1. 頑なな心(1〜6節)

  • イエス様は安息日に、まさにパリサイ派の指導者の家で、水腫の人を癒やされます。
  • 安息日は、創造のみわざ、エジプトからの解放、そして神おひとりが救い主であることを思い起こさせるものでした。
  • この癒やしは、来るべき永遠の安息の前味です。もはや悪も、死も、苦しみもない世界です。
  • イエス様の明白な問いかけに対して、宗教指導者たちは沈黙します。この沈黙こそ、心の頑なさです。目の前で神様がなさっていることを認めようとしない態度です。

2. 高慢な心(7〜11節)

  • イエス様は、招待客たちが上座を選ぼうとする様子を見て、とても具体的なたとえ話を語られます。
  • 「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます」(ルカ 14:11)。
  • この世では、自分を押し通す力があれば高慢は通用します。けれども神様の前で無理を通そうとしても、それは通用しません。
  • イエス様ご自身は、神の子でありながら、上座ではなく最も低い場所(十字架に至るまで)を選ばれました。それは、あなたや私のような者が神様の食卓に席を見出すためです。

3. 自己中心な心(12〜14節)

  • イエス様は、自分を招いた人に向き直り、その考え方を揺さぶります。お返しできる人だけを招くのはやめなさい、と。
  • 「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、あなたは幸いです。彼らはお返しができないからです」(ルカ 14:13-14)。
  • 私たちの本能的な反応は、ギブアンドテイクです。無償で受け取ることに、私たちは戸惑いを覚えます。しかし、それこそまさに神様がイエス・キリストを通して私たちにしてくださったことなのです。決して勝ち取ることのできない受け入れです。
  • このことを理解した教会は、扉をくぐる人々を、神様が私たちを受け入れてくださったように、無条件に迎え入れます。

4. 招きへの軽視(15〜24節)

  • ある食事の席にいた人がこう叫びます。「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」(ルカ 14:15)。
  • イエス様は、大宴会のたとえ話でお答えになります。ある人が大勢の人を招き、すべての準備が整っているのに、みんなが次々と断ります。見に行かなければならない畑、試してみなければならない五くびきの牛、行かなければならない結婚式。
  • 差し出された招きに比べれば、あまりにも情けない言い訳です。私たちの優先順位は、心の中身を映し出しています。
  • そこで主人は、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を連れて来させ、さらに家がいっぱいになるよう、道端の人々を無理にでも招き入れさせます。「招いておいた人たちの中で、私の食事を味わう者は、だれ一人いません」(ルカ 14:24)。

心に留めたいこと

  • イエス様は私たちを揺さぶる招待客です。それは挑発するためではなく、人が神様の招きを拒む理由という奥義を説き明かすためです。
  • 天国は、盛大な祝宴として描かれています。無償で、恵み深く、永遠で、神様の御前にある祝宴です。
  • 私たちを招きの軽視へと導くのは、頑なで、高慢で、自己中心な心です。
  • イエス様は十字架にまでへりくだられました。それは、ふさわしくない者たちが神様の食卓に良い席を得るためです。
  • イエス様に触れられた共同体は、謙遜になり、人を迎え入れ、心を配り、同じ宴会へと他の人々を招くようになります。

自分自身への適用

  1. 今日イエス様が語り、行っておられることに対して、あなたの心のどこに頑なさがありますか。
  2. どんなレッテル(宗教的、社会的、家族的)の中に、キリストではなく安心を求めていますか。
  3. すぐに何かを返そうとせず、無償で何かを受け取ることを最近学んだのはいつでしたか。
  4. 今、神様が占めたいと願っておられる場所を、どんな「もっともらしい言い訳」が占めていますか。
  5. あなたを迎え入れてくださった神様に倣って、今週、見返りを期待せずに無償の招きを差し出せる相手は誰ですか。

引用聖句

よくある質問

ルカ14章の「揺さぶる招待客」とは誰のことですか。

それはイエス様ご自身です。パリサイ派の指導者の家での食事に招かれ、その食事の間に、周りの人々の頑なさ、高慢、自己中心を明らかにされます。イエス様が揺さぶられるのは挑発のためではなく、なぜこれほど多くの人が御国の大宴会への神様の招きに「いいえ」と答えてしまうのかを説き明かすためです。

ルカ14章の大宴会は何を表していますか。

大宴会は神の国を表すイメージです。無償で、永遠で、御父の御前にある食事であり、そこにはもはや悪も死も苦しみもありません。このイメージは、イザヤ書の預言からイエス様の言葉に至るまで、聖書全体を貫いています。すべての人が招かれていますが、多くの人はより急ぎだと思う他の優先事項のために背を向けてしまいます。

今日、この招きに具体的にどう応えればよいでしょうか。

イエス様に、私たちの思い込みやレッテル、優先順位を揺さぶっていただくことです。神様の受け入れは勝ち取るものではなく、無償の贈り物として受け取るものだと認めることです。そして、私たち自身も、神様がキリストにあって私たちを受け入れてくださったように、神様が道の途中で出会わせてくださる人々を無条件に迎え入れる者となることです。

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