雨を告げる音。まだ何も見えなくても神があなたに語っておられること
ずっと前から答えを待ち続けている季節があります。約束を受け取り、預言の言葉を聞き、祈りの中で確信を与えられた。それなのに、地平線には何も見えず、天は閉ざされたままです。セレスタン・ヤオ牧師が、まさにそんな時のために語りかけたいのが、列王記上18章41〜46節に記されている、アハブの前に立つエリヤの物語です。
この場面の時点で、イスラエルには三年半もの間、雨が降っていませんでした。エリヤは祈りによって天を閉ざしていたのです(ヤコブの手紙5章17節)。そして、まだ雲一つ見えないその時に、エリヤはアハブ王にこう告げます。「上って行って、食べたり飲んだりしてください。大雨の音がするからです」(列王記上18章41節)。預言者は、誰かがそれを見るよりも先に、それを聞いていたのです。
1. 信仰は、見る前に聞く
エリヤは、誰にも聞こえていない音について語っています。空には雲一つありません。一滴の雨さえもありません。それなのに彼は、揺るぎない確信をもって雨を告げます。これは思い上がりではありません。状況が変わるよりも先に神の声を聞く、それが信仰なのです。
あなたの人生の中にも、神がすでに語られたのに、まだあなたが見ていないことがあるかもしれません。景色がそれにふさわしく見えないからといって、それを手放さないでください。信仰は、雲を眺めることから始まるのではなく、天に耳を傾けることから始まります。ローマ人への手紙10章17節が思い起こさせてくれるように、「信仰は聞くことから始まり、聞くことはキリストの言葉から始まる」のです。
2. 神が語られたことの上で眠らない
セレスタン牧師は、多くの人が見落としている一つの細部を強調します。エリヤはただ天を閉ざして、あとは静かに待っていたわけではありません。ヤコブの手紙5章17節は、彼が「熱心に」祈ったと明記しています。三年半もの間、バアルやアシュタロテの預言者たちが雨を降らせようと呪文を重ねる中、エリヤは神の前で自分の言葉を守り通していました。「主よ、あなたが語られたとおり、天は閉ざされたままです」と。
多くの信者は、約束を受け取ると、その上で眠ってしまいます。「もう預言されたのだから、もう成った」と言って、祈ることをやめてしまうのです。しかし敵は眠ってはいません。神が語られたことは、祈りの中で保ち続け、守り続け、言い直し続けなければなりません。忍耐してください。神に約束を思い起こしていただくのではなく、あなた自身の心が錨を下ろしたままでいるために、神に約束を思い起こさせるのです。
3. 七回。忍耐の代価
雨を告げた後、エリヤはカルメル山の頂に上り、地にひれ伏し、顔をひざの間に伏せます(列王記上18章42節)。彼はしもべを海の方へ見に行かせます。しもべは戻って言います。「何もありません」。エリヤは二度目、三度目、四度目、五度目、六度目と、しもべを送り返します。六回とも、何もありません。六回とも、あきらめることができたはずです。
しかし七回目に、しもべは戻って言います。「見よ、人の手のひらほどの小さな雲が、海から上って来ます」(列王記上18章44節)。ほんの小さなものです。しかしエリヤはしるしを読み取ることを知っていました。彼はすぐに悟ります。雨が来る、と。そして彼は、大雨に阻まれる前に急いで山を下るようにと、アハブに伝えさせます。
兄弟姉妹よ、あなたの祈りは今どこまで来ているでしょうか。一回目でしょうか。三回目でしょうか。六回目でやめないでください。小さな雲は近づいています。信仰の人たちは、喜ぶために大きな雲を待ったりはしません。ほんのわずかなしるしで十分なのです。なぜなら彼らは、始まりの中に神の御手を認めるからです。
4. 今日、リバイバルを告げる音
セレスタン牧師は続けて、この箇所を今日の教会に当てはめます。雨を告げる音があります。後の雨、豊かさの雨、恵みの雨、奇跡の雨、家庭の上に、人生の上に、神に忠実な教会の上に注がれる聖霊の雨です。
このリバイバルは、何よりもまず、劇的な現れの問題ではありません。アモス書8章11節で、主は「パンの飢饉ではなく、水の渇きでもなく、主の言葉を聞くことの飢え渇き」を送る日々を告げておられます。リバイバルとは、多くの人々がみことばに対する飢え渇きを覚え始めるときのことです。それは、どこででも、いつでも神の声を聞きたいと願うようになることです。
5. 見る前に従う
エリヤがアハブに山を下るようにと告げたとき、アハブはまだ雨を見ていません。しかしこの時、三年半にわたる干ばつと沈黙の後、彼は従います。彼は自分の車に乗り込みます。そして彼が走っている間に、雨が降り始めるのです。エリヤは自分の腰帯を締め、主の御手に導かれて、イズレエルの入り口まで王の車の前を走ります(列王記上18章46節)。
神があなたに語られるとき、動く前に見せてほしいと求めないでください。天がまだ閉ざされているように見えても、従ってください。歩み出すことによって、雨が来るのをあなたは見ることになります。
覚えておきたいポイント
- 雨を見る前に、その音に耳を傾けましょう。信仰は、状況が変わるよりも先に神の声を聞きます。
- 約束の上で眠り込まないでください。神が語られたことは、忍耐強い祈りの中で守り続けるものです。
- 必要なら七回でも。六回目の答えがまだ「何もない」だからといって、祈りをやめないでください。
- 小さな雲で十分です。信仰の人たちは、始まりの段階にあるものを喜びます。
- 見る前に従いましょう。雨を見ないままに山を下ったアハブのように、受け取った言葉に従って歩み出してください。
自分自身への適用
- あなたが心の片隅で眠らせてしまっている、神からの約束は何でしょうか。
- あなたが六回祈っても何も見えず、今日あきらめたい誘惑にかられていることは何でしょうか。
- 今週、あなたが軽く見てしまった「小さな雲」、ほんのわずかなしるしが、あなたの人生の中にありませんでしたか。
- まだ雨を見ていなくても、神があなたに従うようにと求めておられる、受け取った言葉は何でしょうか。
- あなたの耳は、聖霊の音に向けられていますか。それとも、状況の音に向けられていますか。
引用された聖句
- 列王記上18章41〜46節 · エリヤがアハブに雨を告げ、七回祈る場面。
- ヤコブの手紙5章17節 · エリヤは私たちと同じ人間であったが、熱心に祈った。
- アモス書8章11節 · 主の言葉を聞くことの飢え。
- ローマ人への手紙10章17節 · 信仰は聞くことから始まる。
- 使徒の働き2章42節 · 初代教会は祈りに専念していた。
FAQ
なぜエリヤは、三年半もの間、雨が降らないようにと祈ったのですか。
アハブとイスラエルは、豊穣と雨の神とされたバアルとアシュタロテに心を向けていました。天を閉ざすことによって、神はエリヤを通して、これらの偶像には雨を降らせる力などないことを示されたのです。それは裁きであると同時に、まことの神に立ち返るようにという招きでもありました。
なぜエリヤはしもべを七回も送ったのですか。
忍耐は信仰の欠如ではなく、時間の中で形を取った信仰そのものです。エリヤは雨が来ることを知っていましたが、しるしが現れるまで祈りの中で持ちこたえなければなりませんでした。聖書における七という数字は、満ちること、成就することをも表しています。
自分の人生の中の「小さな雲」を、どうやって見分ければよいのでしょうか。
それは、見過ごしてしまいたくなるようなささやかなしるしです。少し開き始めた扉、変わり始めた心、何か月もの間なかった平安が戻ってくること。それらを軽んじないでください。それらのために感謝し、まるですでに雨が来ているかのように備えましょう。
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