はじめに
祈りがクリスチャン生活の一部だということは、あなたもよくご存じですね。賛美で歌ったこともあれば、誰かの話で聞いたことも、本で読んだこともあるでしょう。それでも、「本当は祈らなきゃ」と思った瞬間に、スマホの通知で心がどこかへ飛んでいってしまった経験はありませんか。何から始めればいいか分からなくて、ただ黙ってしまったことは。
エペソ人への手紙3章の終わりで、パウロはあなたに祈り方を示してくれます。そして何のために祈るのかも教えてくれます。キリストがあなたの心のうちに住んでくださるように、そしてキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さを知ることができるように、というのです。この箇所は何年も私を支えてきました。今週、この言葉があなたにも私と同じように助けと祝福をもたらしますようにと祈っています。
メッセージの構成
1. 神がすでにすべてを与えてくださったからこそ、確信を持って祈る(12-13節)
- 「私たちは、キリストにあり、キリストに対する信仰によって、確信をもって大胆に神に近づくことができるのです。」
- 神はあなたが落胆することを望んでおられません。パウロのように手かせをはめられていたとしても、近づいてきてほしいと願っておられます。
- 天上のあらゆる霊的祝福は、イエスにあってすでにあなたのものです(エペソ1:3)。祈りはそこから始まります。
- 聖霊はあなたが近づくのを助け、イエスは父の右で今もあなたのために執り成してくださっています。これ以上の機会はほかにありません。
2. 御父の前にひざまずき、御霊によって強められる(14-16節)
- 「こういうわけで、私は御父の前にひざまずきます」。当時は立ったまま手を上げて祈るか、ひれ伏して祈るのが普通でした。ひざまずくのは珍しいことだったのです。これはへりくだりと感謝のしるしです。
- 「父」というのは漠然とした呼び名ではありません。契約の名前であり、関係を表す名前です。ちょうど、燃える柴のところでイスラエルに示された「わたしはある」という名のように。
- もしあなたの地上の父親が傷つけた人であったなら、知っておいてください。神は、あなたが知っているどんな父よりも良い父です。もし良い父を持てたなら、神はさらにそれ以上に良い方です。
- パウロは「御霊によって、その内なる人を力強く強めてくださるように」と願います。この力がなければ、あなたの肉は、祈るべきときに眠ってしまったゲツセマネの弟子たちと同じなのです。
3. キリストの愛の4つの次元を知る(17-19節)
- 「こうして、キリストがあなたがたの心のうちに、信仰によって住んでくださるように」。一時的な訪問ではなく、永遠の住まいです。
- 愛に根ざし、愛を土台とするとき、あなたはキリストの愛の「広さ、長さ、高さ、深さ」がどれほどのものかを知ることができます。
- 新約聖書の愛は感情ではありません。勇気ある、犠牲をいとわない行動です。それは、イエスが十字架を前にして立ち上がり、前掛けを腰につけ、弟子たちの足を洗われた姿そのものです。後に裏切ることになるユダの足さえも。
- それはまた、子どもが泣くたびに夜中の3時に起き上がる母親の姿でもあります。大切なのは感情ではなく、起き上がるという行動です。
- この愛は知識をはるかに超えています。パウロはあなたがそれを学ぶだけを願っているのではなく、一度感じるだけを願っているのでもありません。御霊があなたの内側にそれを啓示し、あなたが「神の満ち満ちた豊かさにまで満たされる」ことを願って祈っているのです。
4. 神があなたの祈りをはるかに超えて働かれると信じる(20-21節)
- 「私たちのうちに働く力によって、私たちが求めるところ、思うところをはるかに超えて豊かに行うことのできる方に。」
- 神が答えてくださるために、正しい言葉を探す必要はありません。神はあなたの祈りに「18点」「7点」と点数をつける審査員ではありません。片言でつぶやく我が子を見つめる父親のような方です。
- 夕食の30分前に子どもたちがチョコパンをねだっても、地上の父親でさえ「だめだよ、お母さんがもう夕ご飯を作ってくれているから」と言えます。あなたの天の父も同じように、あなたが求める以上のことをご存じなのです。
- 神はときに、あなたが思い描いていたのとは違う形で答えてくださいます。それは聞いておられないからではありません。あなたにとって本当に良いことをしてくださるほど、あなたを愛しておられるからです。
覚えておきたいポイント
- 祈りはクリスチャン生活の一部ですが、実践するより語る方がずっとやさしいものです。神はそれをご存じの上で、それでもあなたを招いておられます。
- 「父」は契約の名前です。神は、「わたしはある」としてご自身を現されたときにイスラエルに与えられたのと同じ親密さを、あなたにも与えてくださいます。
- 聖霊はあなたに感情を付け加える方ではありません。時間や体、経済状況、疲れに押しつぶされそうなその内なる人を強めてくださる方です。
- キリストの愛は4つの次元で測られます。どの一つにも収まりきらないからです。目を閉じて妻に口づけする夫の愛が見えないのと同じように、それは目に見えません。それでも確かに、現実のものです。
- あなたの天の父は、あなたが求め、思う以上のことをしてくださいます。不完全な祈りが神の御手を止めることはありません。むしろあなたの信頼が、その御手を解き放つのです。
あなたへの適用
- 最後に主の祈りを、詩としてではなく心から祈ったのはいつですか。
- 地上の父親についてのどんな思いが、今、天の父との関係を妨げていますか。それを言葉にして、神にお委ねすることができますか。
- 電車の中、歩いているとき、行列の中など、一日の中の「すきま時間」を、短い祈り。「神様、助けてください」「ありがとうございます」。に変えられる場面はどこにありますか。
- 今週、イエスはあなたに、報われることのない誰かのために、勇気ある犠牲的な愛の行動を求めておられるでしょうか。
- 神があなたの想像をはるかに超えて働いてくださると信じ、あなたの祈りとは違う形の答えを受け入れる備えはできていますか。
引用聖句
- エペソ人への手紙 3:12-21
- エペソ人への手紙 1:3
- 出エジプト記 3:13-15 ·、燃える柴、「わたしはある」
- マタイの福音書 6:9-13 ·、主の祈り
- ヨハネの福音書 13:1-17 ·、イエス、弟子たちの足を洗う
- マタイの福音書 26:36-46 ·、ゲツセマネ
よくある質問
大切だと分かっているのに、なぜ祈るのはこんなに難しいのでしょうか。
祈りはあなたの霊と肉の両方に関わることで、肉は弱いからです。ゲツセマネの弟子たちの肉が弱かったのと同じです。パウロはそれを知っていたからこそ、御父に、御霊によってあなたの内なる人を強めてくださるようにと願ったのです。「祈りたい気持ち」になるのを待つ必要はありません。「神様、助けてください」という短い言葉から、あるいは「ありがとうございます」というひと言から始めてみてください。それも立派な祈りです。
神を「父」と呼ぶことには、本当はどんな意味があるのでしょうか。
それは関係を表す名前です。契約の中で「わたしはある」(ヤハウェ)がイスラエルにとってそうであったように。イエスは、あなたにもこの同じ親密さに入る権利を与えてくださいます。地上の父親はあなたを失望させたかもしれませんし、祝福してくれたかもしれません。どちらの場合でも、神はさらに良い方です。神はあなたの祈りの言葉遣いを評価しているのではありません。片言でつぶやく我が子を見つめ、全身全霊で耳を傾けておられるのです。
キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さをどうすれば知ることができるのでしょうか。
学ぶことだけでも、一度感じることだけでも足りません。パウロが祈っているのは、御霊があなたの心に注いでくださる霊的な理解です。まずは、イエスが最後の食事の席で立ち上がり、前掛けを腰につけ、後にご自分を見捨てることになる者たち。ユダも含めて。の足を洗われた姿を見つめることから始めましょう。この愛は勇気ある、犠牲をいとわない行動です。それがあなたの内に住むのを受け入れ、そして他の人へと実践していくとき、あなたはその愛を知ることができます。
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