はじめに
プレゼントをもらったものの、どう使えばいいのか分からなかったことはありませんか。食べられない食べ物、好みではない色の服、肌に合わない香水。贈り物に価値はあっても、使い方が分からない。それで、捨ててしまったり、誰かにあげてしまったり、クローゼットの奥に眠らせたままにしたりすることがよくあります。
ライフハウス東京のモンティ牧師は、10月の第2週のメッセージを、このたとえから始めます。このメッセージは、神様が私たちの人生に与えてくださる目的の中にある喜びをテーマにしたシリーズの一つです。今回のテーマは、神様が託してくださった賜物を知る喜びと、それを無駄にしないようにという呼びかけです。
牧師が土台にするのは、イエスが語られたタラントのたとえ話(マタイによる福音書25章14〜30節)です。3番目のしもべの失敗にとどまらず、まずはうまくやった2人のしもべに目を向けます。
メッセージの流れ
1. 一人ひとりが賜物を受け取っている
- 「タラント」という言葉は、能力や才能の意味で理解されることがよくあります。しかし当時のタラントはお金の単位で、「千円」「一万円」と言うのに近い感覚でした。メッセージで読まれた訳では「銀の袋」と訳されており、牧師は、その袋の向こうに、神様が私たちに託してくださる賜物や能力を聞き取るよう勧めます。
- イエスは天の御国を、長い旅に出る人にたとえられます。その人はしもべたちを呼び、財産を預けます。ある者には5袋、ある者には2袋、ある者には1袋、「それぞれの能力に応じて」預けて、旅に出ました(マタイによる福音書25章14〜15節)。
- 「5、2、1」と聞くと、私たちの心はすぐに比べる方向へ向かいます。自分は5袋なのか、2袋だけなのか、1袋なのか。自分は才能のない人間なのではないか、と。
- けれども、それがこの話のポイントではありません。大切なのは、全員が何かを受け取っているということです。
- 聖書は「それぞれの能力に応じて」と言っています。隣に座っている人の能力ではなく、あなた自身の能力に応じてです。神様は、あなたが別の誰かになることを求めてはいません。「どんなに頑張っても、あなたはモンティにはなれませんよ」と牧師は笑顔で言います。神様はあなたを信頼して、何かを託してくださっています。
- 牧師は、賜物を表すギリシャ語をカリス(恵み)と結びつけます。この二つの言葉は同じ語源を持っています。神様がこの賜物を与えてくださるのは恵みによるのであって、私たちが何かをしたからでも、それにふさわしいからでもありません。
- 「あなたの人生の本当の目的は、神様があなたの手に何を置いてくださったかを知るときから始まります。」私たちはその目的を、誰かの中や人間関係の中など、別の場所に探しがちです。けれども神様は、すでにそれを私たちの内に置いてくださっています。
- ですから、尋ねるべき問いはこうです。「主よ、あなたは私に何を与えてくださいましたか。」「分かりません」と答えても大丈夫です。「一緒に見つけていきましょう。」
2. 受け取ったら、すぐに働き始める
- 5袋を受け取ったしもべは、それを元手に働いて、さらに5袋をもうけます。2袋を受け取った者も、さらに2袋をもうけます。3番目の者は穴を掘って、主人の1袋を埋めてしまいます(マタイによる福音書25章16〜18節)。牧師は「ちょっと不思議な行動ですね」と言います。
- 最初のしもべは、5袋を受け取ったことを自慢しません。自分の欲望のためにそれを使うこともありません。「私のほうがあなたより多くもらった」と他の人と比べることもしません。受け取って、すぐに働き始めるのです。
- メッセージの2つ目のポイントです。賜物があるだけでは十分ではなく、それを丁寧に使うことを学ばなければなりません。教える賜物があっても学ばないままの人、音楽やスポーツの才能があっても練習しない人、起業する力があっても会社の仕組みを学ばない人、リーダーの素質があっても人を導かない人がいます。
- 神様は私たちに、賜物を「原石の状態」で与えてくださいます。それを忠実に用いていくなかで、私たちはその分野で力をつけていきます。
3. 身につけたスキルと、それをどう使うか
- 牧師によると、今日、人を採用する会社は、履歴書に書かれた才能だけを見るのではありません。あなたがそれを使って何をしてきたかを見ます。
- 以前なら、ヨーロッパやアメリカでは、学歴だけでほぼ十分でした。ハーバード大学を出れば、良い仕事が保証されたのです。今は、こう問われます。「学んだことで何を成し遂げましたか。チームを立ち上げましたか。ボランティアをしましたか。事業を始めましたか。」
- 牧師は、しっかり勉強することを勧めています。学校で学ぶのは、世の中で働くために必要な専門的なスキルです。けれども雇う側は、人間関係のスキルも求めています。問題解決力、チームワーク、コミュニケーション、自分から動く力、リーダーシップ、人との関わり方などです。
- 学歴は、面接の場まで連れて行ってくれるかもしれません。採用されるかどうかは、それを使って何をしてきたかで決まり、その後の成長を支えるのは人間関係のスキルです。私たちには両方が必要です。5袋の者も2袋の者も、その両方を持っていました。受け取ったものと、すぐに行動する力です。
4. モンティ牧師の証し
- 15歳のとき、教会でバンドのギターを弾いて奉仕を始め、やがて歌い始めました。
- 18歳のとき、札幌に1年半住みました。学歴も職歴もありませんでしたが、仕事を見つけなければなりませんでした。あちこちで英語を教え、その中で人間関係のスキルを身につけました。同じ頃、教会のワーシップチームを導き始めました。
- 20歳で東京に戻ると、教会が彼を雇ってくれました。学び続けながら、より大きなチームを、そして教会のより大きな部分を導くようになりました。今では、東京キャンパスと日本の教会を導く光栄な立場にあります。
- 「これは『私はこんなにすごい』という話ではありません。」神様が賜物を与え、若いうちにそれを使う機会を与えてくださり、その後、多くのことを経験し、多くの失敗をしながら、それを育てることを学んできました。まだ道の途中で、今は失敗が少しは減っていることを願っています。
- 彼を一貫して動かしてきたのは、今の季節に神様が託してくださったもので、最善を尽くすことです。そこには祝福があり、成長があり、実りがありました。
- 奉仕で身につけたスキルのおかげで仕事が見つかった、という話をよく耳にします。音響チームにいた人が音響エンジニアになった、教会で撮影を学んだ人がプロのカメラマンになった、といった具合です。だから牧師は招きます。チームに加わってください。必要は確かにありますが、教会もあなたを助けたいと願っています。奉仕を通して、神様があなたの道に置かれる人たちを助けるためのスキルが育つのです。
5. 「良い忠実なしもべよ、よくやった」
- よほど時間がたってから、主人が帰ってきて、清算を求めます。最初のしもべは、さらに5袋を持ってきます。主人は答えます。「良い忠実なしもべよ、よくやった。あなたは少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイによる福音書25章19〜21節)。牧師は、このしもべが満面の笑みを浮かべている姿を思い描きます。働いて、違いを生み出し、主人が自分を誇りに思ってくれているのです。
- 2袋のしもべは、さらに2袋を持ってきます。持っていた額は少なかったのに、まったく同じ言葉を受けます(マタイによる福音書25章22〜23節)。少なかったから、ほめ方が少し小さくなるということはありません。
- 主人が言わなかったことにも注目しましょう。主人は「このお金を見なさい」とも、「なんという利益だ」とも、「あなたは素晴らしい才能の持ち主だ」とも言いません。2つの言葉を言うだけです。良い、そして忠実。
- 「神様は、あなたの能力よりも、あなたの人格を見ておられます。」天才であっても高ぶっている人はいます。有能でも信頼できない人はいます。成功していても忠実でない人はいます。
- 教会で牧師は、とても才能のある人たちに出会います。「私は歌が上手です。準備はできています。ステージに立たせてください」と言ってやって来る人たちです。牧師は、父の対応を話してくれます。父は満面の笑みで迎えて、こう言います。「素晴らしい。では、まずイスの準備を手伝ってください。」その人たちは、翌週は来なくなります。
- その人たちは、金の袋を手に持っているのかもしれません。けれども心は自分に向いています。「私が、私が」という、スポットライトを求める思いです。とても有能でも心が整っていない人と、才能は少なくても心が真っ直ぐな人とがいたら、教会は後者を選びます。神様は、あなたが与えられたものに忠実であることを望んでおられます。
6. 賜物を埋めてしまったしもべ
- 3番目のしもべは、1袋だけを持ってやって来ます。「ご主人様、あなたがまかない所から刈り、散らさない所から集める、きびしい方であることを存じていました。そこでわたしは恐ろしくなり、出て行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらん下さい。ここにあなたのものがございます」(マタイによる福音書25章24〜25節)。
- 主人は彼を、悪い怠惰なしもべと呼びます。せめてお金を銀行に預けて、利息を得ることもできたはずです。1袋は取り上げられ、10袋を持つ者に与えられます。役に立たないしもべは外に追い出され、そこでは泣いて歯ぎしりすることになります(マタイによる福音書25章26〜30節)。牧師は「かなり重い結末です」と認めます。
- 牧師ははっきりと言います。神様が怒られたのは、この人が1袋しか受け取らなかったからではありません。この人がそれを使わず、何も試みず、挑戦する勇気を持たなかったからです。
- 彼は、賜物も、それを託してくれた方も、大切にしませんでした。埋めることで無駄にしてしまい、それは主人の望みではありませんでした。「みなさんはどうか分かりませんが、私は彼のようにはなりたくありません。」
7. 最も大きな賜物、イエス
- 神様が私たちに賜物を与えてくださるのは、人々にイエスを示すためです。けれども神様は、私たちが想像できるどんなものよりも大きな賜物を、すでに与えてくださいました。イエスご自身です。
- イエスはこの地上に来られ、完全な人生を生き、私たちの罪を背負って十字架で死なれ、3日目によみがえり、今も生きておられます。イエスはあなたとの関係を望んでおられます。
- それは、私たちが何かをしたからでも、それにふさわしいからでもありません。これこそが究極の恵み、究極のプレゼントです。イエスを通して、あなたは自分の目的と賜物を知り、イエスのためにそれを用いることができます。
- 牧師は、道の終わりに待ち望んでいることを語ります。イエスに会う日に、こう言っていただくことです。「良い忠実なしもべよ、よくやった。わたしが与えたものに忠実だった。一緒にお祝いしよう。」この望みが、牧師の人生全体に目的を与えています。そして、同じ望みが一人ひとりの内に生まれるよう祈っています。
- メッセージは、受けた賜物への感謝と、他の人と比べないための祈りで締めくくられ、イエスを受け入れる招きで終わります。イエスは、過去の過ちを赦し、内側から変え、希望を与えてくださる賜物です。
このメッセージのポイント
- 一人ひとりが、自分の能力に応じて、神様から賜物を受け取っています。問うべきは「他の人と比べて自分はどれだけもらったか」ではなく、「神様は私の手に何を置いてくださったか」です。
- 賜物は、磨かなければ役に立ちません。神様は原石の状態で与えてくださり、それを忠実に用いることで力がついていきます。
- 教会での奉仕は、仕事や人との関わりにも役立つスキルを育てます。
- 主人は、5袋の者も2袋の者も、同じようにほめました。神様は、能力よりも、忠実さと人格を見ておられます。
- 最も大きな賜物はイエスです。イエスを受け入れることで、人生に目的が与えられ、いつか「良い忠実なしもべよ、よくやった」と言っていただける希望が与えられます。
あなたへの問いかけ
- 今日、「主よ、あなたは私に何を与えてくださいましたか」と尋ねたら、どんな答えが浮かびますか。何も浮かばなければ、誰と一緒に探せるでしょうか。
- どんな分野で、自分が受け取ったものを忘れるほど、他の人と比べてしまっていますか。
- 恐れや怠け心、学びの不足のために、「埋めて」しまった賜物はありませんか。それを使うために、今週できる最初の一歩は何でしょうか。
- まずイスの準備から始める覚悟はありますか。それとも、スポットライトの当たる場所を待っていますか。
- イエスご自身という賜物を受け取っていますか。いつか「良い忠実なしもべよ、よくやった」と言っていただけるという展望は、あなたの生き方をどう変えるでしょうか。
引用した聖書の箇所
よくある質問
マタイ25章のたとえ話で、タラントは何を表していますか。
当時のタラントはお金の単位で、今で言えば千円札や一万円札で話すような感覚です。「銀の袋」と訳している聖書もあります。モンティ牧師は、そこに、神様が一人ひとりに能力に応じて託してくださる賜物や能力を聞き取るよう勧めています。
なぜ主人は3番目のしもべに怒ったのですか。
1タラントしか受け取らなかったからではありません。主人が怒ったのは、このしもべが受け取ったものを使って何もしなかったからです。使わず、何も試みず、賜物も、それを託してくれた方も大切にせず、それを埋めてしまいました。
神様は、私たちのスキルと忠実さのどちらを最も見ておられますか。
主人は「なんという才能だ」とも「なんという利益だ」とも言いません。「良い忠実なしもべよ」と言います。モンティ牧師によれば、神様は能力よりもあなたの人格を見ておられます。優秀でも高ぶっている人、有能でも信頼できない人はいます。神様は、あなたが与えられたものに忠実であることを望んでおられます。