マタイ6章:あなたの祈りを神のご計画に合わせる

読了時間 11分

はじめに

ウィリアム・フィリップは、グラスゴーのThe Tron Churchで、マタイによる福音書6章の主の祈りに基づく祈りのシリーズを続けています。前の週には、イエスによれば祈りとはテクニックやプログラムや決まり文句の問題ではないことを示しました。「それは実用マニュアルではありません」。書店に並んでいるような本とは違うのです。祈りは宗教の問題ですらありません。祈りとは、御子イエス・キリストを通して父なる神と結ばれる、現実の関係なのです。

このメッセージは、主の祈りの前半、9節の後半と10節に焦点を当てています。「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」説教者にとって、この三つの願いは、私たちの優先順位が神の優先順位と一致するようにという祈りです。

「本当の祈りとは、自分の欲しいものを神に与えさせるために神を操ることではありません。本当の祈りとは、神が私たちを形づくり、その欲求が神の完全な望みで満たされた子どもにしてくださることです。」

メッセージの流れ

1. 祈りは関係から始まる

  • 本当の祈りは、人からの称賛を求めず、祈りの人に見られようと信心深さを見せびらかすこともしません。神を操ろうとすることもありません。
  • それは、神を父として知っている人々の会話にほかなりません。「神を知らなければ、神に語りかけることはできません」。そして神を父として知ることができるのは、御子イエスを通してだけです。
  • マタイ7章21節ではっきり語っています。「主よ、主よ」と言う者がみな御国に入るのではなく、父のみこころを行う者が入るのです。さらに24節では、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者だと言われています。
  • ですから祈りは、御子を通して神を知り、従順な信仰の関係に入るときに始まります。人に見せるためのパリサイ人の偽りの祈りでも、神の手から何かをもぎ取ろうとする異教の慌ただしい祈りでもありえません。
  • 最初の一歩は、マタイ6章33節にあります。「まず神の国と神の義とを求めなさい。」「第一のものを第一にしなければ、ほかのすべてが間違ったものになります。」それらが正しい位置にあれば、祈りの残りの部分も正しい位置に収まります。

2. 御名があがめられますように

  • 英語の「hallowed」という語は、今ではあまり使われなくなりました。ウィリアム・フィリップは、今は亡きラグビー解説者ビル・マクラーレンが、マレーフィールドの「聖なる芝生」について語ったことに触れます。スコットランド代表のジャージを着ることが最高の名誉だった場所です。あがめるとは、敬い、尊び、聖なる尊いものとして扱うことです。
  • 私たちを造り、贖い、ご自分の子として召してくださった神に対する私たちの第一の願いは、その御名、すなわち神の評判が、大きな敬意をもって扱われることです。
  • 旧約聖書のギリシャ語訳では、イザヤ書29章23節が同じ言葉を使っています。彼らはヤコブの聖なる者を聖とし、イスラエルの神を恐れる、と。
  • ペテロはまさにこの言葉を取り上げ、心の中でキリストを主とあがめなさいと言います(ペテロの第一の手紙3章15節)。あがめるとは、あなたの心のただ一つの王座にキリストをお迎えし、ほかの誰にも与えない第一の座を与えることです。
  • これは偶然ではありません。父なる神の御名をあがめることができるのは、イエスの御名をあがめることを通してだけです。イエスは父に、御名をあらわしたと語ります(ヨハネによる福音書17章6、26節)。そして父は十字架について答えます。「わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう」(ヨハネによる福音書12章28節)。
  • だから神はイエスにすべての名にまさる名を与え、すべてのひざがかがみ、すべての舌がイエス・キリストは主であると告白して、父なる神に栄光を帰するようにされたのです(ピリピ人への手紙2章9〜11節)。神の御名をあがめる第一歩は、イエスの前にひざをかがめることです。

3. 排他的であり、宣教的でもある祈り

  • イエス・キリストを主としてあがめなければ、主の祈りは意味を成しません。説教者ははっきりと言います。イエスを、父と等しい御子なる神として礼拝しないエホバの証人、モルモン教徒、ユニテリアンは、「何度主の祈りを唱えようとも」神の御名をあがめていないのです。
  • 彼は、モルモン・タバナクル合唱団がアンドレア・ボチェッリとともに歌う主の祈りの美しいバージョンを聴くのが好きだそうです。「でも、彼らはただ歌を歌っているだけです」。
  • ですから主の祈りは、誰もが同じ神に祈っているかのような、宗教の違いを超えた一般的な祈りにはなりえません。「いいえ、まったく違います、とイエスは言われます」。神の御名はイエス・キリストにおいてのみ完全に知られるので、これは非常に排他的な祈りなのです。
  • また、これは宣教的な祈りでもあります。世界中の男性も女性も少年も少女も、イエスの前にひざをかがめることで神の前にひざをかがめ、ほかのあらゆる名を捨てるように、と願う祈りです。
  • そして最後に、これは個人的な祈りです。キリストはあなたの人生の王座に、ただお一人で君臨されます。「イエスが多くの声の中の一票にすぎないような連立政権は存在しません」。

4. 御国がきますように

  • 神の国とは、神の支配が行われることです。イエスの口から語られるそれは、漠然とした概念でも一般的な霊性でもありません。神の国とは、イエスの支配のことです。
  • マタイによる福音書全体が、来たるべき王について語っています。ダビデの子、アブラハムの子、ユダヤ人の王として生まれた方です。この方は闇に光をもたらし(マタイ4章16節)、最初の公の言葉は「悔い改めなさい、天国は近づいたから」でした(マタイ4章17節)。イエスのおられるところには、御国のいのちが地上に現れます。
  • 御国はすでに始まっていますが、まだ完成してはいません。マタイ13章のたとえ話では、粉の中に隠されたパン種のように、また大きな木になるからし種のように成長します。いつの日か、そのすべての栄光のうちに現されます。
  • 「御国がきますように」と祈ることは、その大いなる日を待ち望み、祈りを未来へ向けることです。また、キリストの支配が今、福音の宣教によって広がっていると信じることでもあります。宗教改革者ジャン・カルヴァンは、福音はキリストの国の王笏であると語りました。
  • 御国は、みことばの種まきによって成長します。敵はいつも収穫を台無しにしようとしますが、「それでも種をまき続けなければなりません」とイエスは言われ、収穫は必ず来ます。三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのです。
  • 「大きな収穫を望むなら、そこにつながる種をまくことに身をささげるでしょう。」私たちの祈りに宣教や伝道への関心がまったく表れていないなら、私たちは本当には「御国がきますように」と祈っていないのです。

5. みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように

  • この願いは「御国がきますように」を別の言葉で言い表したものです。人の住まいと神の住まいがエデンの園のように再び一つになるよう、地全体が新しくされることを求める叫びです。
  • それは、イエスの再臨と、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望むことです(ペテロの第二の手紙3章13節)。また、私たち自身が正しく整えられる日を待ち望むことでもあります。「キリストが現れる時、わたしたちはキリストに似るものとなる」のです(ヨハネの第一の手紙3章2節)。
  • しかしヨハネはこうも言っています。「わたしたちは、今や神の子である」。ですからこの祈りは、キリストに結ばれ、御霊に満たされた人々が、社会の混乱の中にあって、今日から日ごとに少しずつキリストに似た者となるようにと願うものです。
  • イエスは山上の説教で言われました。「このように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5章16節)。そして、その戒めを行い、また教える者は、御国で大いなる者と呼ばれます(マタイ5章19節)。
  • 世界が来たるべき御国の栄光を垣間見ることができるのは、今日その一端を目にするときだけです。ウィリアム・フィリップは、これを映画の予告編にたとえます。予告編は、もう一度映画館に足を運んで全編を観たいと思わせてくれます。
  • 教会は、天のために地上に生きる植民地であり、「小さな前哨基地、天の御国の小さな大使館」です。ローマの軍隊がパクス・ロマーナ(ローマの平和)を打ち立てたように、私たちは神の民のうちにパクス・クリスティ、すなわちキリストの支配による平和が確立されるようにと祈ります。
  • パウロはコロサイ人への手紙3章12〜15節でそれを描いています。あわれみ、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけ、主があなたがたをゆるしてくださったように互いにゆるし合い、愛を身につけ、キリストの平和が心を支配するように、と。「福音が語りかける呼びかけに重みを与えるのは、福音が生み出す文化なのです。」

6. わたしの思いではなく、あなたのみこころを

  • これはまず、他の人が変わるようにと願う祈りではありません。愛の業と同じように、変化は身近なところから始まります。
  • 「みこころが行われますように」という祈りには、避けて通れない自己否定が含まれています。イエスはゲツセマネでそれを示されました。「わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」(ルカによる福音書22章42節)。
  • キリストのみこころは、私たちの人生を支配するまでは、教会やクリスチャンのうちを支配しません。そして、私たち自身の意志が王座から降ろされるまで、それは起こりません。「自己否定、服従、死」です。
  • 具体的には、手放すべき野心かもしれませんし、神があなたに問いかけておられて手放さなければならない関係かもしれません。あるいは、過去の罪の結果として歩むことになった痛みを伴う道を、たとえ思いどおりでなくても、苦々しさなしに受け入れることかもしれません。
  • イエスはあなたに言われます。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マタイ16章24節)。すべての本当の祈りは、そこから始まります。
  • 「わたしの名や評判ではなく、あなたの御名があがめられますように。わたしの王国や野心ではなく、あなたの御国がきますように。わたしの思いではなく、あなたのみこころが行われますように」。教会で、奉仕で、小グループで、人間関係の中で、そう祈るのです。あなたの心がイエスに逆らって引っ張るのをやめ、イエスとともに歩むとき、はじめてあなたの祈りは正しいものになります。

覚えておきたいポイント

  • 祈りはテクニックでも、神を操る手段でもありません。イエスを通して神を父として知っている子どもたちの会話です。
  • 主の祈りの最初の三つの願いは、マタイ6章33節、すなわちまず神の国と神の義を求めることを実践するものです。
  • 父の御名をあがめることができるのは、主であるイエスの御名をあがめることを通してだけです。だから主の祈りは、排他的であると同時に宣教的な祈りなのです。
  • 「御国がきますように」と祈ることは、収穫を待ち望むことであり、したがって福音の種まきに身をささげることです。
  • 「みこころが行われますように」は「わたしの思いではなく」から始まります。それは、世界に御国の先取りを見せる、個人的な明け渡しです。

自分への問いかけ

  1. 祈るとき、あなたはまず自分の望むものを得ようとしていますか。それとも、自分の望みが神の望みによって形づくられるようにと願っていますか。
  2. イエスはあなたの人生の王座にただお一人で君臨しておられますか。それとも、ほかの声と権力を分け合う連立政権のようになっていませんか。
  3. あなたの祈りには、宣教や、まだキリストを知らない人々への関心が表れていますか。
  4. 職場の同僚や隣人、家族は、あなたがゆるし、忍耐し、愛する姿から、神の国の何を見ることができるでしょうか。
  5. 神は、どの野心、どの関係、どの困難な道を、「わたしの思いではなく、あなたのみこころを」と言って委ねるようあなたを招いておられますか。

引用された聖書箇所

よくある質問

なぜ主の祈りは、神の御名と御国とみこころから始まるのですか。

ウィリアム・フィリップによれば、この三つの願いは、マタイ6章33節のイエスの言葉、まず神の国と神の義を求めなさい、を実践するものです。第一のものが正しい位置にあれば、祈りの残りの部分も正しい位置に収まります。祈りは神を操るためのものではなく、私たちの望みを神の望みに合わせるものです。

「御名があがめられますように」とはどういう意味ですか。

神の御名をあがめるとは、それを敬い、聖なる尊いものとして扱うことです。説教者はこの願いを、心の中でキリストを主とペテロの第一の手紙3章15節と結びつけています。父の御名をあがめることができるのは、すべての名にまさる名であるイエスの御名をあがめることを通してだけです(ピリピ人への手紙2章9〜11節)。

「みこころが行われますように」と祈るのは、終わりの時を待つだけのことですか。

いいえ。新しい天と新しい地を待ち望むことでもありますが、同時に、キリストの支配が今すでに私たちの人生と教会に表れるようにと願うことでもあります。ゲツセマネのイエスと同じように、この祈りは「わたしの思いではなく、あなたのみこころを」から始まります。それは、自己否定であり、服従であり、自分に死ぬことなのです。

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