御国が来ますように:信仰で勝ち取る戦い方

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御国が来ますように:信仰によって勝利する

あなたが「御国が来ますように、みこころが天で行われるように地でも行われますように」(マタイ 6:10)と祈るとき、それはただの美しい言葉を唱えているのではありません。あなたは、神があなたの人生を治めておられることを宣言し、その支配を日々の生活の中に実現させていくことを決意しているのです。しかし、この御国は人間の力や戦略、感情によって築かれるものではありません。信仰によって前進していくのです。

このメッセージはシンプルな招きです。神に対して戦うことをやめ、みこころと和解し、信仰によって勝利しましょう。あなたは、すでに勝利を手にした状態で戦いに出る、唯一の軍隊なのです。

1. 神の支配と和解する

あなたの人生における神の支配の最初の妨げは、悪魔ではありません。あなた自身です。あなたの中にある静かな反抗心、しっかりと握りしめて離さない計画、自分にとって何が良いかは自分が一番よく分かっているという思い込みです。

バプテスマのヨハネは、すべてを言い表す一言を語りました。「あの方は栄え、私は衰えなければなりません」(ヨハネ 3:30)。あなたがすべての場所を占めている限り、イエスは支配することができません。御国と和解するとは、イエスがより多くの場所を占め、あなた自身は少なくなることを受け入れることです。暗闇があった場所に、主は光をもたらしてくださいます。あなたが何も理解できずにいる場所に、主は理解を、あるいはただ平安を与えてくださいます。

パウロはローマ 12:2で別の言葉で語っています。「この世と調子を合わせるのではなく、心の一新によって自分を変えなさい。それは、何が神のみこころなのか、何が善であり、何が神に喜ばれ、何が完全であるかを、あなたがたがわきまえ知るためです。」神のみこころは「善」であり、「喜ばれるもの」であり、「完全なもの」です。この三つの言葉は飾りではありません。神があなたのために用意しておられるものは、あなたが求めているものよりもはるかに優れていることを教えてくれているのです。

2. 信仰は勝利の筋肉

信仰がなければ、あなたは歩みを止めてしまいます。目を上げること、祈ること、信じること、自分を新しくすることをやめてしまいます。信仰は筋肉のようなものです。使うことで鍛えられます。それは、共同体の中で、御言葉の中で、祈りの中で、共に鍛えられていくものです。

ヨブ記 41:22には、あまり注目されない一言があります。「彼の前には力ではなく、絶望が踊る」。絶望は敵に先立ってやって来ます。つまり、こうも言えるのです。もしあなたが激しい絶望を感じているなら、それは勝利がもう近くにあるしるしかもしれません。悪魔は、あなたが奇跡を受け取る直前に、全力をぶつけてくるのです。

ヤコブ 4:7は答えを示しています。「ですから、神に従いなさい。悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」順序が大切です。まず神に従うこと。そのあとで初めて悪魔に立ち向かうのです。従うことなしに立ち向かおうとすると、それは肉的な戦いとなり、あなたを疲れさせてしまいます。

3. 目をイエスに向けて

ヘブル 12:1-3が実践的な鍵となります。「すべての重荷とまとわりつく罪を捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り抜こうではありませんか。信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」

あなたが自分の置かれた現実ばかり見ているなら、目はイエスに向いていません。診断結果や、未払いの請求書、離れていく子ども、閉ざされた扉ばかりを見ているなら、あなたは問題を見つめているのです。目をイエスに向けましょう。これは現実逃避ではありません。信仰による選択です。問題は現実にあるけれど、神はもっと大きいのです。

そして重荷を捨てましょう。あなたの人生には、手放すべきものがあるかもしれません。古い怒り、苦い思い、神から出たものではないのに教えられてきたこと。主は、あなたが手放すべきものを示すとき、あなたを裁いているのではありません。あなたを愛しているのです。

4. 行動する福音

「私が行い、また教え始めたすべてのことについて」(使徒 1:1)。福音は意見や考えの福音ではありません。行動の福音です。

ペテロとヨハネが「美しの門」で出会った出来事を見てみましょう(使徒 3:1-8)。生まれつき足の不自由な男が座り込み、施しを受けようと手を差し出します。彼は癒やしを期待していません。ペテロは彼にこう言いました。「金銀は私にはないが、私にあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって、歩きなさい。」ペテロは彼の右手を取って立たせました。奇跡はすでにそこにあったのです。ただ、立ち上がらせる人が必要だっただけでした。

時にはあなた自身が、すでに癒やされているのに、まだ座り込んでいることがあります。立ち上がりましょう。そして時には、あなたの隣に座っている誰かに手を差し伸べる人になることもあります。金銀を持っていなくても構いません。あなたにはイエスがおられます。それで十分すぎるほどです。

5. すべてのことは益となる

ローマ 8:28。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」「すべて」です。試練も含めて。閉ざされた扉も含めて。完璧に見えたのに断られた仕事も含めてです。

パウロとシラスは牢の中で、足かせをはめられていました。それでも彼らは賛美を歌いました(使徒 16章)。すると扉が開かれました。主は、あなたの戦いの真っただ中で態度を変えるように招いておられます。今まで悲しみの中で戦ってきたなら、これからは喜びの中で戦いましょう。嵐の真ん中で歌いましょう。嵐が止むとき、あなたには喜びの歌声が聞こえるはずです。

まとめのポイント

  • 「御国が来ますように」と祈ることは受け身の行為ではありません。イエスがより多くの場所を占め、あなたが少なくなることを宣言することです(ヨハネ 3:30)。
  • 神のみこころは善であり、喜ばれるものであり、完全なものです。このみこころと和解することが勝利の始まりです(ローマ 12:2)。
  • 激しい絶望は、しばしば奇跡の前触れです。立ち向かいましょう(ヨブ 41:22、ヤコブ 4:7)。
  • 診断結果や状況ではなく、イエスに目を向けましょう(ヘブル 12:1-3)。
  • 福音は意見ではなく行動です。立ち上がり、病人のために祈り、イエスを宣べ伝えましょう(使徒 3:1-8)。

あなたへの適用

  1. 今週、あなたのスケジュールの中で、画面や仕事、心配事が占める場所と比べて、イエスはどれほどの場所を占めていますか。
  2. 過去に受け取った教えや言葉、苦い思いの中で、主が今日あなたに手放すよう求めているものはありませんか。
  3. どの状況において、あなたはイエスよりも問題ばかりを見つめていますか。イエスに目を向け、信仰の言葉を一文書き留めて、毎朝読み返してみましょう。
  4. 今週、ペテロが「美しの門」でしたように、右手を差し伸べることができる相手は誰ですか。あなたの隣に座り、「立ち上がりなさい」を待っている人は誰でしょうか。
  5. 悲しみの中で戦っている領域はありませんか。今日、喜びの中で戦うことを決意し、嵐の真ん中で歌いましょう。

引用聖句

よくある質問

「信仰によって勝利する」とは具体的にどういうことですか。

それは現実を無視することではありません。神の御言葉が、診断結果や請求書、他人の意見よりも重いと決めることです。具体的には、パニックになる前に祈ること、自分の力を数える前にイエスに目を向けること、そして「準備ができた」と感じるのを待つ前に信仰の行動(誰かを立ち上がらせる、病人のために祈る、試練の中で歌う)を起こすことです。

神のみこころが理解できないように思えるとき、どうすればみこころと和解できますか。

ローマ 12:2がそのみこころを「善であり、喜ばれるもの、完全なもの」と表現していることを思い出しましょう。八年前、徒歩五分の完璧に思える職が断られたことがありました。後にその会社は遠くへ移転し、その断りが実は守りだったことが分かったのです。すぐには理解できなくても構いません。信頼し、理解する前から感謝しましょう。

絶望に押しつぶされて祈れなくなったとき、どうすればよいですか。

ヨブ 41:22を思い出しましょう。絶望は敵の前に、つまり奇跡の前にやって来ます。一人で祈れないなら、無理をしないでください。兄弟姉妹に電話し、教会に来て、祈りを求めましょう。その場に賛美を満たしましょう。パウロとシラスのように歌いましょう。主は、歌の真っただ中で牢の扉を開いてくださいます。

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