導入
その朝、宮の中でイエス様は、御言葉を受け入れようとしない人々との対決を続けておられました。少し前の箇所で、イエス様はご自分が世の光であると宣言されたばかりでした。しかし、それを聞いた多くの人々はイエス様を軽んじ、あざけりました。それでもイエス様は愛のゆえに、真実を隠すことなく、厳粛な警告を与えられます。世の光を拒むことには、この地上においても、また永遠においても、必ず結果が伴います。ヨハネ8:21〜30で、イエス様は光を拒み続ける者を待ち受ける三つの現実を明らかにされます。少し立ち止まって、正直に自分に問うてみましょう。今日、あなたはどちら側を歩んでいますか。
メッセージの構成
1. 第一の現実:自分の罪の中で死ぬこと
- イエス様はこう言われます。「わたしは去って行きます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。しかし、自分の罪の中で死ぬことになります」(ヨハネ8:21)。これは抽象的な話ではなく、一人ひとりに向けられた警告です。
- イエス様は父から遣わされ、上から来られた方です。それに対して、信じることを拒む者たちは下から、すなわちこの堕落した世に属する者たちです。
- そこから抜け出す唯一の道は、イエス様を信じることです。「もしわたしが『わたしはある』ということを信じないなら、あなたがたは自分の罪の中で死ぬことになります」(24節)。
- 信じるとは、自分に都合のよいイエス像を作り上げることではありません。イエス様を「わたしはある」という唯一まことの神として認め、その方の前にへりくだって、ただで与えられる命を受け取ることです。
2. 第二の現実:神から永遠に引き離されること
- 「わたしが行く所に、あなたがたは来ることができません」(21節)。キリストを拒むことは、自ら天国の扉を閉ざすことです。
- 罪は何よりもまず、人と神との関係を壊しました(イザヤ59:2)。ルターが語ったように、罪とは神からの徹底的な隔たりなのです。
- 油と水が混ざり合わないように、光と闇も共存できません。罪に汚れた心は、神の聖さと共に住むことができないのです。
- しかし、イエス様を信じる者は、もはやこの断絶に定められてはいません。キリストは私たちを神のもとに導くために、正しい方でありながら、正しくない者たちのために、ただ一度罪のために死なれました(第一ペテロ3:18)。
3. 第三の現実:なおも頑なになっていく心
- イエス様の呼びかけに対して、相手は軽蔑をもって答えます。「あなたはいったい何者ですか」(25節)。これはもはや問いではなく、拒絶です。
- 問題は情報の不足でも、証拠の不足でもありません。それは高慢です。宗教指導者たちは、自分たちはすでに正しく、すでに救われていると思い込んでいました。
- 高慢は救いから遠ざけます。なぜなら、それは神を忘れさせ(申命記8:14)、唯一聖なる方の前で自分を何者かであるかのように思わせるからです。
- 皮肉なことに、イエス様はご自分の十字架こそが、ご自分が何者であるかを明らかにすると告げられます。栄光が現れるのはそこなのです(28節)。ローマの百人隊長でさえ、「この方は本当に神の子であった」と認めることになります(マルコ15:39)。しかし多くの者は、十字架を目の前にしてもなお、心を頑なにしていくのです。
覚えておきたいポイント
- 私たちは皆、いつか死にます。それを免れる人はいません。残された唯一の問いは、どのような状態でこの人生を去るのか、ということです。
- 罪とは単なる悪い行いではありません。それは神との断絶であり、キリストなしにはその断絶が永遠のものとなってしまいます。
- イエス様は私たちの宗教生活に付け加えられるものではありません。イエス様こそ唯一の道であり、下から来た者たちを救うために天から来られた「わたしはある」というお方です。
- 高慢は重大な霊的危険です。それは神の招きを聞こえなくし、心を頑なにして、ついには盲目にしてしまいます。
- 人々から軽蔑された十字架こそ、神がイエス様の何者であるかを最も鮮やかに現される瞬間なのです。
個人へのアプリケーション
- もし今夜死ぬとしたら、あなたの魂は神の前でどうなっているでしょうか。イエス様に信頼していますか、それとも自分自身に頼っていますか。
- 具体的に、何があなたをキリストの前にへりくだらせ、あますところなく人生をお委ねすることを妨げていますか。
- あなたの周り(家族、配偶者、子ども、友人)に、誰も救い主について語らなければ「自分の罪の中で死ぬ」ことになる人はいませんか。今週、あなたに何ができるでしょうか。
- 高慢はあなたの心のどこに隠れていますか。恵みに全面的に依存していることを、日々認めていますか。
- キリストの十字架は、今もあなたの賛美の中心にありますか。それとも、当たり前のことのように思うようになってはいませんか。
引用された聖句
よくある質問
ヨハネ8:21〜30における「自分の罪の中で死ぬ」とはどういう意味ですか。
それは、イエス・キリストを信じないままこの世を去ることを意味します。罪は人を神から引き離しますが、キリストへの信仰がなければ、その断絶は死の瞬間に決定的なものとなります。
なぜイエス様は、ご自分が上から来て、聞いている人々は下から来ていると言われるのですか。
イエス様はここで、出所と所属の違いを示しておられます。イエス様は父から遣わされ、天から来られました。一方、罪人たちは、信仰によって新しく生まれるまでは、悪の支配下にある堕落したこの世に属しているのです。
なぜ高慢はイエス様を信じることを妨げるのですか。
高慢は神がどのような方であるかを忘れさせ、人に自分は自分の力で正しいのだと思わせます。その結果、人は自分が罪人であることを認めようとせず、目の前に立っておられる救い主をも拒んでしまうのです。
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