はじめに
聖書の中には、イスラエルの民が主役ではなくなる箇所があります。民数記22章から24章も、そのひとつです。ここで物語を進めるのは、モーセでもアロンでもなく、二人の異邦人です。モアブの王バラクと、イスラエルを呪うために呼び出された占い師バラムです。それでも、この二人の物語を通して、神様はあなたの歩みにとってとても実践的なことを語ってくださいます。それは、一歩下がって、自分の人生全体の中に神様を見る力です。
一つの問題にばかり顔を近づけていると、やがて神様が見えなくなってしまいます。視野は狭くなり、不安は募り、判断は自分の願いや恐れに支配されるようになります。バラクとバラムの出来事を伝える民数記のこの三つの章は、その逆を勧めています。すなわち、一歩下がり、視野を広げ、神様を視界の中に戻してから、また前に進むということです。
この物語には緊張感があり、ユーモアもあります(口をきくろばや、欲に目がくらんだ預言者)。そして、力強い啓示も含まれています。神様はご自分の民を祝福されます。そして、神様が語られた祝福を覆すことのできるものは何もありません。
学びの構成
1. バラクはイスラエルを恐れ、神様を出し抜こうとする(民数記22:1〜6)
イスラエルは約束の地に向かって進んでいました。誰も攻撃してはいません。ただ通行を求めただけです。しかしアモリ人はそれを拒み、そして打ち破られました。モアブの王バラクはこの一部始終を見て、恐怖に襲われます。彼は武力では勝てないことを知っていました。それはイスラエル自身が強いからではなく、神様がイスラエルと共におられ、彼らのために戦ってくださるからです。
そこで彼は戦略を変えます。ユーフラテス川のほとりのペトルにいるバラムを呼び寄せるのです。バラムは他の箇所では占い師と記されており(ヨシュア記13:22)、異邦人でありながら、驚くべきことに主の御名を知り、その声を聞く人物です。バラクは彼にこう告げます。「来て、私のためにこの民を呪ってくれ。あなたが祝福する者は祝福され、あなたが呪う者は呪われることを、私は知っているからだ。」
神様を前にして、バラクは従おうとはしません。彼が探しているのは、神様を自分の計画に従わせる方法です。すでにこの時点で、亀裂が生じ始めているのです。
2. バラムは利益を求め、神様のはっきりした御心をないがしろにする(民数記22:7〜20)
モアブの長老たちは占いの報酬を携えてバラムのもとにやって来ます。バラムは神様に伺いを立て、その答えははっきりしていました。「彼らと一緒に行ってはならない。この民を呪ってはならない。彼らは祝福されているからだ」(12節)。これは、あいまいさのない「ノー」です。
しかしバラムは報酬が欲しいのです。バラクがさらに多く、さらに位の高い使者たちを二度目に送って来ると、バラムは再び神様に尋ねます。神様がすでに答えを出されたことを、もう一度尋ね直してはいけません。特に、神様が考えを変えてくださることを心のどこかで期待している時にはなおさらです。神様は、あなたが食い下がったからといって、良いとも悪いとも宣言されたことを覆されることはありません。
二度目に、神様は許可を与えられます。「彼らと共に行きなさい。ただし、わたしが告げることだけを行いなさい。」ここで注意すべきは、この「イエス」は神様の第一の御心ではないということです。これは、あなたが神様の最善以外のものをどうしても求め続ける時に、神様があなたの自由を尊重してくださっているということなのです。
3. 最善の敵は「まあまあ良いもの」である(民数記22:21〜27)
この物語が力強く照らし出しているのは、次のような原則です。神様の最善には、恐るべき敵がいます。それは、私たちが代わりに選んでしまう「まあまあ悪くないもの」です。バラムは許可を得て出発しますが、「神は彼が行くのに怒りを燃やされた」とあります(22節)。神様は許可を与えられたのに、それでも怒っておられるのです。なぜでしょうか。バラムが、最善の道を離れて、自分の欲によって選んだ次善の道を歩んだからです。
あなたが「良いもの」と呼んでいるものこそが、神様があなたに与えたいと願っておられる最善を奪ってしまうことがあります。自分の願いがすべての場所を占めてしまう時、神様が本当に備えておられるものが見えなくなります。そして次善で満足し、さらに三番目の選択で満足し、それを知恵と呼んでしまうのです。
4. 預言者にはもう見えないものを、ろばは見ている(民数記22:22〜33)
主の使いが剣を手に道に立ちはだかります。ろばはそれを見ますが、バラムには見えません。ろばは畑の中へそれていき、バラムはそれを打ちます。ろばは壁に体をこすりつけ、バラムの足を押しつぶし、彼は再びろばを打ちます。ろばは彼の下にうずくまり、彼は三度目にろばを打ちます。そして神様がろばの口を開かれます。バラムは何事もなかったかのようにろばと言葉を交わします。この場面はほとんど滑稽にすら見えますが、そのメッセージは真剣なものです。
バラムには、バラクの饗宴も、贈り物も、名誉も見えていました。しかし、彼を止めるために遣わされた御使いは見えなくなっていたのです。あなたが自分の欲しいものだけを見つめている時、神様からの助け(警告してくれる兄弟、祈ってくれる姉妹、内側で語りかけてくださる御霊)さえも、うるさく感じられるようになります。そしてついには、あなたを救おうとしているものを、自分から打ちのめしてしまうのです。
けれども神様は、ただ恵みによって、バラムの「目を開かれ」ます(31節)。これは贈り物であって、彼が勝ち取ったものではありません。
5. 三つの託宣、三つの呪いではなく、三つの祝福(民数記23〜24章)
バラクはバラムを次々と三つの高台に連れて行きます。三度、七つの祭壇を築かせ、七頭の雄牛と七頭の雄羊をささげさせます。三度、イスラエルへの呪いを期待します。しかし三度とも、バラムの口から出るのは祝福の言葉でした。
第一の託宣は、「神が呪っておられない者を、私がどうして呪えるだろうか」(民数記23:8)。第二の託宣は、「神は人間ではないので、偽ることがない……神が語られたのに、実行されないことがあろうか」(民数記23:19)。第三の託宣はさらに先へ進みます。「ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一本の杖が起こる」(民数記24:17)。この星と杖は、やがて訪れる支配を告げ知らせています。まずはダビデにおいて成就しますが、それ以上に、後にキリスト、すなわち再び来て治められる王を指し示しているのです。
バラム自身も、ついには一歩下がることになります(民数記24:1〜2)。彼はバラクに都合の良い前兆を追い求めるのをやめ、荒野のほうに顔を向け、イスラエルの陣営全体が広がっているのを見ます。すると「神の霊が彼の上に臨ま」れました。この瞬間は決定的です。彼が全体の中に神様を見るところまで十分に下がった時、御霊が下られたのです。
6. アマレク、打ち破られるべき肉の姿(民数記24:20)
最後の託宣はアマレクに向けられています。「アマレクは国々の中で最初のものであったが、その終わりは滅びである。」アマレクは、イスラエルの最も弱く、最も疲れた者たちを後ろから襲った敵でした。聖書全体を通して、アマレクはあなたの魂の弱い部分を狙う肉と罪の姿となります。エジプトから足を踏み出したその時から、約束の地への歩みを始めたその時から、アマレクはあなたを襲ってきます。しかし、その終わりはすでに記されています。アマレクは打ち破られるのです。この地上では、あなたは御霊によって肉と戦います。そして来たるべき世界では、あなたは栄光のからだを受け取るのです。
覚えておきたいポイント
- 神様が見えるまで、一歩下がりましょう。一つの問題が視界のすべてを占めている時は、神様が視界に入ってくるまで、十分に下がりましょう。
- 神様がすでにノーと言われたことを、もう一度尋ねないようにしましょう。食い下がっても御心は変わりません。それはただ、神様の最善ではない許可を受け取る結果になるだけです。
- 神様の最善には敵がいます。それは、あなたが代わりに選ぶ「良いもの」です。あなたが選び取るのは、いつも善と悪の間ではありません。多くの場合、神様の最善と、受け入れやすい妥協との間なのです。
- 神様は、ただ恵みによってあなたの目を開いてくださいます。バラムの時のように、神様の介入によって、見えなくなっていたものに再び気づかされることがあります。
- 神様が祝福されたものは、祝福されたままです。神様がご自分の民に語られた祝福を、誰も覆すことはできません。キリストにあって、あなたもその一人なのです。
- 間違った決断が、あなたの物語を終わらせるわけではありません。次善や三番目の選択の中にあっても、神様のもとに立ち返る者には、なお可能な限り最善の道を備えてくださいます。
自分への適用
- 今、あなたはどんな問題に顔を近づけすぎていて、神様が視界から消えてしまっていますか。
- 神様がはっきりと手放すように求められたことがあり、それでもあなたは何とか手元に残そうと交渉を続けていることはありませんか。
- 神様の最善はほかにあると感じながらも、都合が良いという理由で選んでしまっている「次善」の解決策とは何でしょうか。
- あなたの周りで、ろばのような存在(兄弟、姉妹、内側にある確信)を、腹が立つからといって「打ちのめして」しまっていることはありませんか。
- あなた自身の歩みの中で、何によっても覆されなかった神様の祝福を経験したのはいつでしたか。今日、その出来事に立ち返り、信仰の糧としましょう。
引用された聖句
- 民数記22章(新改訳) · バラクがバラムを呼び寄せる。ろばが御使いを見る。
- 民数記23章(新改訳) · 第一と第二の託宣。「神は人間ではないので、偽ることがない。」
- 民数記24章(新改訳) · 第三の託宣。「ヤコブから一つの星が進み出る」。アマレクについての託宣。
- ヨシュア記13:22(新改訳) · バラムが「占い師」と呼ばれている箇所。
- ローマ人への手紙8:28(新改訳) · 「神を愛する者たちのためには、すべてのことがともに働いて益となる。」
よくある質問
バラムとはどんな人物で、なぜ神様は彼に語られたのですか。
バラムは、ユーフラテス川のほとりのペトル出身の異邦人の占い師です。彼はイスラエルの民には属していませんが、主の御名を知り、その声を聞いています。この物語は、神様がいつの時代にも、選ばれた民だけにとどまらず、ご自分の方法で御姿を現してこられたことを思い起こさせます。とはいえ、これはバラムの不純な動機を正当化するものではありません。むしろ、神様の主権を際立たせているのです。
神様はバラムが出発することを許可されたのに、なぜ怒られたのですか。
その許可は、神様の第一の御心ではなかったからです。神様は最初にノーと言われましたが、バラムは欲によって食い下がりました。神様の「イエス」は、人間の自由を尊重する「イエス」であって、承認の「イエス」ではありませんでした。神様の怒りは、最初に与えられた最善を選ばなかったことに向けられているのです。
「ヤコブから一つの星が進み出る」という託宣は何を意味していますか。
直接的には、イスラエルにおける力強い王権の到来を告げており、その最初の成就がダビデです。預言的には、メシアであるイエス・キリスト、すなわち再び来て治められ、そのもとにあらゆる敵対するものが服従させられる王を指し示しています。星と杖は、どちらも王権を表す象徴です。
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