人を導く前に、まず自分自身を導く

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人を導く前に、まず自分自身を導く

あなたはチームをまとめる方法を知っているかもしれません。戦略を立てることも、ビジョンを語ることもできるかもしれません。けれども、自分自身を導くことを学んでいなければ、あなたが築き上げるものはすべて脆いままです。人前でのリーダーシップは目に見えます。ですが、自分自身に対するリーダーシップは目に見えません。そして、まさにこの見えない部分こそが、他のすべてを支えているのです。

DeepTalkの第3回となる今回、召命と品性について語ってきたあとで、私たちは一つの根本的な原則を取り上げます。それは、人を導く前に、まず自分自身を導くことを学ばなければならないということです。

1. パウロ:リーダーの内なる規律

使徒パウロはコリント第一9:27でこう書いています。「私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣べ伝えておきながら、自分自身が捨てられる者にならないためです。」

パウロはとても重要なことを語っています。人に語りながら、自分自身を治めていないということはあり得ます。教会を導きながら、自分の内なる戦いに敗れているということもあり得ます。パウロが語る自己規律とは、宗教的な硬さのことではなく、心を守り続けなければならないという自覚のことです。自分自身を導かないリーダーは、自分自身の反応の奴隷になってしまいます。

2. モーセ:管理されない感情の代償は大きい

民数記20章で、神はモーセに、岩に命じて水を出すようにと言われます。ところがモーセは、民に対する苛立ちのあまり、怒りにまかせて岩を打ってしまいます。水は出ました。奇跡は確かに起こりました。しかしモーセは、約束の地に入る資格を失ってしまいます。

なぜでしょうか。管理されなかった一瞬の感情が、決定的な通過点を損なってしまったからです。問題は感情を持つこと自体ではありません。問題は、それをどう管理するかです。抑え込まれた怒り、積み重なったいら立ち、無視された疲労、そうしたものは、最も繊細な瞬間に爆発しかねません。リーダーシップには感情の成熟が求められるのです。

3. イエス:休むこともまた奉仕の一部である

マルコ6:31で、イエスは弟子たちにこう言われます。「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休みなさい。」

これは驚くべきことです。神の御子であり、癒やすべき群衆、教えるべき人々、いたるところにある切実な必要を前にして、イエスは何をされたでしょうか。立ち止まられたのです。それは必要に無関心だったからではなく、人間の限界をよくご存じだったからです。イエスご自身が退く必要をお持ちだったのであれば、私たちにはなおさら必要なはずです。

多くのリーダーは、立ち止まると罪悪感を覚えます。しかし休むことは弱さではなく、霊的な知恵です。立ち止まることを知らない者は、遅かれ早かれ折れてしまいます。

4. マルタとマリア:優先順位が心を映し出す

ルカ10章で、マルタはせわしなく立ち働き、マリアはイエスの足もとに座っています。イエスは奉仕そのものを非難されませんが、マリアが良いほうを選んだと言われます。

問題は、たくさんのことをすること自体ではありません。問題は、秩序なくたくさんのことをすることです。多くのリーダーは忙しく動き回っていますが、その時間の使い方は本来あるべき優先順位からずれています。時間は、本当に何が優先事項であるかをあらわにします。神と過ごす時間を守らなければ、奉仕はやがて、神との関係の代わりになってしまいます。

5. ダビデ:静かな怠慢が危険な扉を開く

サムエル第二11章にこう記されています。「王たちが戦いに出るころ……ダビデはエルサレムにとどまっていた。」ダビデは、いるべき場所にいませんでした。彼は活動を休止し、おそらく疲れており、おそらく気が散っていました。そこで彼はバテ・シェバを見てしまいます。

多くの転落は、大きな反逆から始まるのではありません。小さな怠慢から始まります。いるべき場所にいないこと、すべきことをしないこと、それが始まりです。自分自身を導くとは、快適な季節にあっても規律を保ち続けることでもあります。

6. 自己管理の三つの重要な領域

霊的な管理。祈り、みことば、静けさ。義務としてではなく、養いとして。

感情の管理。自分の感情を認め、否定はしないが、それに支配されもしないこと。

限界の管理。すべてを自分でできるわけではないと受け入れること。委任することは、支配権を失うことではなく、成熟のしるしです。リーダーは何よりもまず、最初の弟子でなければなりません。イエスは「行って、リーダーを作りなさい」とは言われませんでした。「弟子を作りなさい」と言われたのです。自分自身が行っていない場所に、他人を導くことはできません。成長することをやめたリーダーは、他人の成長を妨げる存在になってしまいます。

7. 自分の体、たましい、霊に耳を傾ける

私たちは体、たましい、霊から成り立っています。私たちはしばしば霊に耳を傾け、時にたましいに耳を傾けますが、体にも耳を傾けなければなりません。多くの奉仕が壊れてしまうのは、体の声を聞かず、疲労が管理されなかったからです。

神は、力強い奉仕を望んでおられます。鷲のように飛ぶことのできる奉仕です。しかし鷲のように飛ぶためには、聖霊に導かれなければなりません。優先順位はとても大切です。ただし、あなたの優先順位ではなく、神の優先順位です。それが神の優先順位であるとき、あなたは新しい力を得ることができます。もし緊急なことをすべて自分一人で選び、御霊に導かれていないなら、あなたの体は苦しみ、たましいは沈み、霊は弱っていきます。

8. 人間であることの権利

人前に立つことは良いことです。元気な姿を見せることも良いことです。けれども、あなたは人間です。疲れる権利があります。病気になる権利があります。「今はできない」という期間を持つ権利があります。それをチームに伝えることも、教会に伝えることもできます。ただし、そうした期間にあっても、教会があなたの苦しみをそのまま背負うことがあってはなりません。だからこそ、いつも神に立ち返り、あらゆる思い煩いを神にゆだねることが大切なのです。神はあなたのことを心にかけ、あなたを支えてくださいます。

覚えておきたいポイント

  • リーダーシップは内側から始まります。見えないものが、目に見えるものすべてを支えています。
  • 管理されない感情は、決定的な通過点を失わせることがあります。モーセがそうであったように。
  • 休むことは弱さではなく、霊的な知恵です。イエスご自身が退かれました。
  • 時間は、あなたの本当の優先順位をあらわにします。神と過ごす時間を守らなければ、奉仕が関係に取って代わってしまいます。
  • 静かな怠慢は、大きな転落の前に起こります。今与えられている場、今の季節にとどまってください。

個人への適用

少し時間を取り、今週取り組むべき具体的な領域を示してくださるよう、聖霊に求めてください。

  • 私は健全な休息のリズムを持っているだろうか、それとも常に走り続けているだろうか。
  • プレッシャーの下にあるとき、私は衝動的に反応していないだろうか。
  • 私には、心を開いて話せる相手がいるだろうか。
  • 私は神と過ごす時間を守っているだろうか、それとも目の前の緊急事項のために犠牲にしていないだろうか。
  • もし誰も私が導く姿を見ていなかったとしても、私は規律があり、バランスが取れ、根を張った人間でいられるだろうか。

引用された聖句

よくある質問

なぜ自分自身を導くことが、あらゆるリーダーシップの土台なのですか。

自分自身の内に持っていない安定を他人に求めることはできませんし、自分自身の内で育てていない成熟を他人に求めることもできないからです。外に現れるリーダーシップは、内側にあるリーダーシップの反映です。内側が治められていなければ、遅かれ早かれ、それは外側に現れてしまいます。

クリスチャンのリーダーとして、感情をどう管理すればよいのでしょうか。

感情を否定するのではなく、神の前に認めることによってです。感情の成熟とは、怒りやいら立ち、疲労に支配されないことです。モーセは、管理されなかったたった一瞬の感情が、一つの季節全体を損ないかねないことを私たちに思い起こさせます。

リーダーにとって、休むことは本当に聖書的なことなのでしょうか。

そのとおりです。マルコ6:31で、イエスご自身が弟子たちに退いて休むようにと招いておられます。休息は怠惰ではなく、自分の人間としての限界を認め、神のリズムに自分を委ねることです。決して立ち止まらないリーダーは、やがて折れてしまいます。

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