聖書 — 口語訳 (1955)
マルコによる福音書 6
概要
マルコ6章は、イエスとは誰かという問いを投げかける場面を重ねていきます。イエスはナザレで退けられ、十二弟子を二人ずつ遣わし、そのあとマルコはバプテスマのヨハネの死を語ります。飼う者のない羊のような群衆を深くあわれみ、五つのパンと二ひきの魚で養われます。その夜、湖の上を弟子たちのところへ歩いて来て「しっかりするのだ。わたしである」と言われます。章は、人々が病人をイエスのもとへ連れて来る場面で終わります。
この章の6つの区分
1イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも従って行った。
2そして、安息日になったので、会堂で教えはじめられた。それを聞いた多くの人々は、驚いて言った、「この人は、これらのことをどこで習ってきたのか。また、この人の授かった知恵はどうだろう。このような力あるわざがその手で行われているのは、どうしてか。
3この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。
4イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。
5そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。
6そして、彼らの不信仰を驚き怪しまれた。それからイエスは、附近の村々を巡りあるいて教えられた。
7また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、
8また旅のために、つえ一本のほかには何も持たないように、パンも、袋も、帯の中に銭も持たず、
9ただわらじをはくだけで、下着も二枚は着ないように命じられた。
10そして彼らに言われた、「どこへ行っても、家にはいったなら、その土地を去るまでは、そこにとどまっていなさい。
11また、あなたがたを迎えず、あなたがたの話を聞きもしない所があったなら、そこから出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足の裏のちりを払い落しなさい」。
12そこで、彼らは出て行って、悔改めを宣べ伝え、
13多くの悪霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬっていやした。
14さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、
15他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。
16ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。
17このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。
18それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
19そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。
20それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。
21ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、
22そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、
23さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。
24そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。
25するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。
26王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。
27そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、
28盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。
29ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。
30さて、使徒たちはイエスのもとに集まってきて、自分たちがしたことや教えたことを、みな報告した。
31するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
32そこで彼らは人を避け、舟に乗って寂しい所へ行った。
33ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ、一せいに駆けつけ、彼らより先に着いた。
34イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。
35ところが、はや時もおそくなったので、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「ここは寂しい所でもあり、もう時もおそくなりました。
36みんなを解散させ、めいめいで何か食べる物を買いに、まわりの部落や村々へ行かせてください」。
37イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。
38するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。
39そこでイエスは、みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。
40人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった。
41それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。
42みんなの者は食べて満腹した。
43そこで、パンくずや魚の残りを集めると、十二のかごにいっぱいになった。
44パンを食べた者は男五千人であった。
45それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベツサイダへ先におやりになった。
46そして群衆に別れてから、祈るために山へ退かれた。
47夕方になったとき、舟は海のまん中に出ており、イエスだけが陸地におられた。
48ところが逆風が吹いていたために、弟子たちがこぎ悩んでいるのをごらんになって、夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らに近づき、そのそばを通り過ぎようとされた。
49彼らはイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
50みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。
51そして、彼らの舟に乗り込まれると、風はやんだ。彼らは心の中で、非常に驚いた。
52先のパンのことを悟らず、その心が鈍くなっていたからである。
53彼らは海を渡り、ゲネサレの地に着いて舟をつないだ。
54そして舟からあがると、人々はすぐイエスと知って、
55その地方をあまねく駆けめぐり、イエスがおられると聞けば、どこへでも病人を床にのせて運びはじめた。
56そして、村でも町でも部落でも、イエスがはいって行かれる所では、病人たちをその広場におき、せめてその上着のふさにでも、さわらせてやっていただきたいと、お願いした。そしてさわった者は皆いやされた。
鍵となる聖句
イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。
イエスは、預言者は自分の郷里、親族、家以外では敬われないことはないと言われます。すでに知っていると思っているとき、身近さは妨げになることがあります。
イエスは舟から上がって大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。
イエスは大ぜいの群衆をごらんになり、飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれまれます。このたとえは旧約聖書から来ており、イエスを民が待ち望んでいた牧者として示しています。
イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」。弟子たちは言った、「わたしたちが二百デナリものパンを買ってきて、みんなに食べさせるのですか」。
イエスは弟子たちに、自分たちの手で食物をやりなさいと言われます。必要の大きさを前に、弟子たちは持っていないものを数えます。イエスは、持っているものを持って来るよう求められます。
それから、イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、二ひきの魚もみんなにお分けになった。
イエスは五つのパンと二ひきの魚を手に取り、天を仰いで祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせます。これらの動作は、最後の晩餐を思わせます。
みんなの者がそれを見て、おじ恐れたからである。しかし、イエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。
「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」。「わたしである」という言い方は、旧約聖書で神がご自分を示す言い方をギリシア語で思わせると、多くの説教者が指摘しています。
この章に登場する人物
このテーマで祈る
説教が語っていること
マルコによる福音書6章についてよくある質問
マルコ6章34節はどういう意味ですか
イエスが舟から上がり、先に走って来た群衆をごらんになると、飼う者のない羊のような有様を深くあわれまれます。イエスはまず長く教え、それから食べ物を与えられます。多くのクリスチャンは、この節に、旧約聖書で告げられていた、ご自分の民を養う牧者としてのイエスを見ます。
なぜイエスはナザレで奇跡を行えなかったのですか
マルコは、イエスがそこで少数の病人をいやしたほかには、大きな力あるわざを行わず、住民の不信仰に驚かれたと書いています。本文は、イエスの力に限りがあると言っているのではなく、身近さから生まれた信じることの拒否が、イエスが行われたはずのことへの扉を閉ざしたと示します。教会はほぼ同じように理解し、信仰の大切さを強調します。
マルコ6章50節でイエスが「わたしである」と言われたのはどういう意味ですか
ギリシア語は「わたしはある」という言い方で、旧約聖書の複数の箇所で神がご自分の名を告げる言い方と同じです。イエスは、おびえる弟子たちに、ご自分を示して安心させられます。多くの注解者はそこにイエスの神性の宣言を見ますが、幽霊ではなく自分だと言っているだけだと考える人もいます。
なぜマルコは章の途中でバプテスマのヨハネの死を語るのですか
弟子たちの派遣と帰還の間に、マルコは、ヘロデヤに押されたヘロデの命令によるヨハネの処刑を挟みます。この場面は、真理に忠実であることが何を支払わせうるかを示し、権力者たちの宴と、イエスが群衆に差し出される食事とを対比させています。
マルコによる福音書 6を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。