はじめに
体の疲れ、仕事での消耗、奉仕による疲弊。聖書はそのすべてを知っており、優しく応えてくれます。口語訳で引用したこの20の聖句は、力を取り戻し、自分に休むことを許す助けになります。5つの側面に分けています。疲れ果てた者を立ち上がらせてくださる神、神が望まれる休息、安らかな眠り、私たちの弱さの中にある神の力、そして重荷をおろした魂の静けさです。
疲れ果てた者を立ち上がらせる神
1. イザヤ書40章28-29節
「あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。 弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。」
イザヤは、落胆した民に語りかけます。神は「弱ることなく、また疲れることなく」、弱った者には力を与えられると思い起こさせます。私たちの疲れ果てた姿は、神にとって驚くことではありません。神は、私たちにはない力の源だからです。 イザヤ書40章を全文で読む。
2. イザヤ書40章30-31節
「年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」
預言者は言います。「年若い者も弱り、かつ疲れ」ると。しかし「主を待ち望む者は新たなる力を得」ます。この約束は、歩くことを免除してくれるものではなく、歩き続けるための力を与えてくれるものです。わしのイメージは、自分の内からではない力を思わせます。 イザヤ書40章を全文で読む。
3. マタイによる福音書11章28-30節
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。」
イエスはこう呼びかけます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。押しつぶすくびきの代わりに、負いやすく軽いご自分のくびきを差し出されます。イエスが与える休みは、ただの小休止ではなく、ひとつの関係なのです。 マタイによる福音書11章を全文で読む。
4. 列王紀上19章5-7節
「彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、 起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。 主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。」
エリヤは、カルメル山での戦いとイゼベルの脅しのあとで疲れ果てています。彼は、れだまの木の下で眠り込みました。御使いは責めることなく、食べ物と飲み物を与えます。「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。神はまず体の必要に応えてくださいます。 列王紀上19章を全文で読む。
神が望まれる休息
5. 出エジプト記20章8-10節
「安息日を覚えて、これを聖とせよ。 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。」
休息は十戒に記されています。「安息日を覚えて、これを聖とせよ」。それは家じゅうの者、しもべやはしため、そして他国の人にまで及びます。ですから休むことは、贅沢でも信仰の欠如でもなく、従順であり、神をあがめる一つのあり方です。 出エジプト記20章を全文で読む。
6. マルコによる福音書6章31節
「するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。それは、出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。」
弟子たちは宣教から戻り、群衆に囲まれて食事をする暇もありませんでした。イエスは招かれます。「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。イエスは仕える者たちを気遣われます。これはボランティアや牧師にも当てはまります。 マルコによる福音書6章を全文で読む。
7. 詩篇127篇2節
「あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」
この聖句は、活動主義に切り込みます。「あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしい」。糧を得るために限りなく働くことは、心配の中で生きることです。神は、その愛する者に、眠っている時にも与えてくださいます。毎晩、手放すようにという招きです。 詩篇127篇を全文で読む。
8. ヘブル人への手紙4章9-11節
「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。 なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。」
著者は、休日よりも深い休みについて語ります。「安息日の休みが、神の民のためにまだ残されている」。その安息にはいるとは、自分の働きに頼るのをやめ、キリストのみわざに信頼することです。休息はまず霊的なものです。 ヘブル人への手紙4章を全文で読む。
神の守りのもとで安らかに眠る
9. 詩篇4篇8節
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」
ダビデは緊張や脅威の中を通っていますが、それでも書いています。「わたしは安らかに伏し、また眠ります」。その理由は問題がないからではなく、安らかにおらせてくださる神がおられるからです。夜、目を閉じる前に読みたい聖句です。 詩篇4篇を全文で読む。
10. 箴言3章24節
「あなたは座しているとき、恐れることはなく、伏すとき、あなたの眠りはここちよい。」
ソロモンは、知恵に従う人に約束します。伏すとき恐れることはなく、「あなたの眠りはここちよい」と。眠りの質を、生き方と結びつけています。安らいだ良心と、神への信頼は、よく眠る助けになります。 箴言3章を全文で読む。
11. 詩篇23篇2-3節
「主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。」
ダビデの羊飼いは、羊を静かな所へ導きます。「主はわたしを緑の牧場に伏させ」、そして「わたしの魂をいきかえらせ」ます。神は、ただ一息つかせてくださるだけでなく、内側を回復してくださいます。この聖句は、力尽きた人を支えてくれます。 詩篇23篇を全文で読む。
12. 詩篇121篇3-4節
「主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。 見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない。」
巡礼者は、自分のために見守っておられる方がいるので、休めることを知っています。「あなたを守る者はまどろむことがない」。眠る必要があるのは私たちであって、神ではありません。自分の人生や、身近な人や、計画の見張り番を、ひとりで背負わなくても眠れるのです。 詩篇121篇を全文で読む。
私たちの弱さの中にある神の力
13. コリント人への第二の手紙12章9節
「ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」
パウロは、自分を弱くしていた試練を取り去ってくださるよう神に願いました。答えは、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」でした。私たちの限界は、神にとって障害ではなく、神の力が現れる場なのです。 コリント人への第二の手紙12章を全文で読む。
14. 詩篇73篇26節
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」
アサフは、「わが身とわが心とは衰える」と認めています。それでも彼は神に寄りかかることを選びます。神は「とこしえにわが心の力、わが嗣業」だからです。力が尽きたとき、この聖句は、自分の力だけに頼らなくてもよいことを思い出させてくれます。 詩篇73篇を全文で読む。
15. ガラテヤ人への手紙6章9節
「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」
パウロは、奉仕が疲れを生むことを知っています。「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない」。たゆまない人には、「時が来れば刈り取る」と約束しています。多くを与えながら、まだ実を待っている人への励ましです。 ガラテヤ人への手紙6章を全文で読む。
16. エレミヤ書31章25節
「わたしが疲れた魂を飽き足らせ、すべて悩んでいる魂を慰めるからである」。」
神は、捕囚から帰る民に約束されます。「わたしが疲れた魂を飽き足らせ」ると。すべて悩んでいる魂を慰めるとも言われます。渇いた人がついに水を見つけるような情景です。内側が空っぽになった人のための聖句です。 エレミヤ書31章を全文で読む。
重荷をおろして静けさを取り戻す
17. 詩篇62篇1-2節
「わが魂はもだしてただ神をまつ。わが救は神から来る。 神こそわが岩、わが救、わが高きやぐらである。わたしはいたく動かされることはない。」
ダビデは書きます。「わが魂はもだしてただ神をまつ」。神を、わが岩、わが救、わが高きやぐらと呼びます。この内なる安息の場は確かなもので、だからこそ「いたく動かされることはない」と言えるのです。緊張したときに繰り返したい聖句です。 詩篇62篇を全文で読む。
18. 詩篇116篇7節
「わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。」
詩篇の作者は、大きな苦しみを抜けて、自分自身に語りかけます。「わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい」。理由は単純で、「主は豊かにおまえをあしらわれたから」です。神の過去の恵みを思い起こすことは、内なる平安を取り戻す助けになります。 詩篇116篇を全文で読む。
19. 詩篇55篇22節
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」
ダビデは、裏切りと恐れの時期にこう書きました。「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる」。重荷を神の前に置くとは、本当にゆだねることであり、すぐにまた取り戻すことではありません。神は、正しい人を決して動かされることをゆるされないと約束されます。 詩篇55篇を全文で読む。
20. 出エジプト記33章14節
「主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。」
モーセは、荒野で民を導くという重い務めを恐れていました。神は答えられます。「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。安息は、神が傍らにおられることから来ます。道がまだ終わっていないときも同じです。 出エジプト記33章を全文で読む。
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よくある質問
疲れている人には、聖書のどの言葉がよいですか。
マタイによる福音書11章28-30節が最もよく知られています。イエスは、重荷を負うて苦労している者を、ご自分のもとに来て休むように招かれます。一方、イザヤ書40章28-31節は、疲れた者に神が力を与え、神に信頼する人の力を新たにしてくださると約束しています。
聖書は、休まなければならないと言っていますか。
はい。七日目の休みは十戒に記されており(出エジプト記20章8-10節)、イエスは弟子たちにしばらく休むよう勧め(マルコによる福音書6章31節)、詩篇127篇2節は限りなく働くことを戒めています。休息は、神への従順の一部なのです。
教会での奉仕で疲れ果てたときは、どうすればよいですか。
エリヤは、まず眠りと食べ物を与えられ(列王紀上19章5-7節)、イエスは弟子たちに人を避けて休むよう招かれました(マルコによる福音書6章31節)。ガラテヤ人への手紙6章9節は、うみ疲れないよう励ましています。疲れを責任者に話し、本当の休みの時間を計画しましょう。
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