はじめに
「主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか」。これは、タルソのサウロがダマスコへの道で、震え、恐れに打たれながら発した問いです。そして、ニースのアリアーヌ・アッセンブリー・ド・デュー教会(Assemblée de Dieu de Nice Ariane)の牧師、サミュエル・マボー(Samuel Mabboux)師のメッセージのタイトルでもあります。師は使徒の働き9章を一節ずつたどっていきます。
ある朝、サウロはひとつの目的だけを抱いて立ち上がります。イエスの弟子たちを捕らえ、縛ってエルサレムへ連行するための書状を手に入れることです。「人間を止めることはできても、イエス・キリストを止めることは決してできません」。その道の途中で、イエスご自身が彼に出会われます。
牧師は二つの鍵となる言葉に注目します。「主よ、あなたはどなたですか」と「主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか」です。サウロを地に倒した光から、ダマスコでの三日間の暗闇を経て、新しく生まれるところまで、師は彼の歩みを追います。そして、あなたにも問いかけます。あなたは今、この道のどこにいますか。
メッセージの流れ
1. ダマスコへの道での出会い
- サウロがダマスコに近づくと、天からの光が彼の周りを照らします。彼は地に倒れ、声を聞きます。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」(使徒の働き9章3-4節)。
- キリストの光が私たちの暗闇の中に入ってくるとき、その光は私たちのものの考え方や見方を揺さぶります。すべてが違って見えるようになります。
- 「霊的な中立というものは存在しません」。説教者によれば、あるのは光と闇の二つのチームだけで、イエスと共にいないなら、イエスに敵対していることになります。
- サウロは答えます。「主よ、あなたはどなたですか」。サミュエル・マボー師はあなたに挑戦します。今いるその場所で、この問いを主に投げかけてみてください。「ただし、何かが動き出すことを覚悟してください」。あなたの内側にある要塞が崩れることもあるでしょう。
2. わたしはあなたが迫害しているイエスである
- この答えは一見ありふれているようですが、力強い啓示です。ガマリエルのもとで学んだサウロは、自分は真理の中にいると思っていました。ほんの一言で、彼の人生も理屈もすべて崩れ去ります。
- イエスが彼に語りかけているのなら、十字架につけられた方は偽り者ではなかったことになります。まことに神の子であり、よみがえり、今も生きておられるのです。「死んだ人は話しません」。
- イエスは「わたしはイエスである」とだけ言われたのではなく、「あなたが迫害している」と付け加えられました。サウロが攻撃していたのは弟子たち、つまり教会でした。主の子どもたちの一人に触れる者は、主ご自身に触れているのです。
- イエスがご自身を現されるとき、あなたが長い年月、労力、ときにはお金をかけて築いてきたものが、すべて問い直されます。もっと大切なものがあると気づかされるのです。
3. 主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか
- 牧師が指摘するように、この時点でサウロはまだ回心していません。キリストの啓示を受けた段階です。しかし、神の全能の力を認めたとき、彼の内側で何かが大きく変わります。
- 主は、起きあがって町にはいりなさい、そうすればなすべきことが告げられる、と答えられます(使徒の働き9章6節)。神の前で、あなたは自分の弱さを知ります。そして、あなたを立ち上がらせ、新しい使命を与えてくださるのは主ご自身です。
- サウロはやがてパウロ、つまり「小さい者」となります。パウロは手紙の中で自分を使徒の中で最も小さい者と呼びました(コリント人への手紙第一15章9節)。恵みだけが自分を立ち上がらせたことを知っていたのです。
- 同行者たちは声は聞こえても、だれの姿も見えません。キリストに従うことは、この世の目には愚かなことに映ります。日曜の朝、水曜の夜、金曜の夜に会堂にこもって、賛美を歌い、みことばに耳を傾けるのです。「そのあとの一杯さえありません」。それでも私たちが通うのは、そこに神の臨在があるからです。
- 「神の知らない道は、この世の知っている道よりも常にすばらしい」。神の計画は、災いではなく平安を与える計画です(エレミヤ書29章11節)。主が示す地へ旅立ちなさいと告げられたアブラハムの場合も同じでした。
4. 暗闇の中の三日間
- サウロは起きあがります。目は開いているのに、何も見えません。人々に手を引かれてダマスコに入り、三日間、目が見えず、食べも飲みもしませんでした(使徒の働き9章8-9節)。
- 同行していた人たちはもういません。水一杯、パン一切れを持ってきてくれる人もいません。「この世は、すでに彼を見捨てたのです」。
- それは砕かれる時であり、中間の時です。光と、そう簡単には手放してくれない闇との間にいる時です。「兄弟姉妹の皆さん、今そのただ中にいるなら、持ちこたえてください」。
- イエス・キリストのために立ち上がると、この世の人の中にはあなたから離れていく人もいます。引き留めてはならない人もいます。主と共に前進することを妨げるからです。
5. 彼は祈っているから
- 神はダマスコの弟子アナニヤ(サッピラの夫ではありません)を遣わされます。「まっすぐ」と呼ばれる通りに行き、ユダの家でタルソ出身のサウロという人を捜しなさい。彼は祈っているからです(使徒の働き9章11節)。
- 牧師にとって、これは鍵となる節です。「啓示は救いを意味しません」。近所の人、子どもたち、身近な人の多くが、キリストがどなたかを知っていても、従ってはいません。回心を生み出すのは、神を求めることです。
- アナニヤはためらいます。この人が聖徒たちにしてきた悪事を知っているからです。主は、サウロは異邦人、王たち、イスラエルの子らの前にご自身の名を運ぶために選んだ器であると答えられます(使徒の働き9章15節)。16節では、彼がその名のために受けなければならない苦しみも告げられています。
- 人が見れば、見捨てられた盲目の人が、食べ物を手探りで探しているだけです。しかし神は、そこにすでに力ある器を見ておられます。人は目に映るものを見ますが、神は心を見られます(サムエル記第一16章7節)。
- イエスは、陶器師の手の中の粘土のように、サウロを砕き、形づくる必要がありました。彼を御自身の計画の中に入れるためです。一方、アナニヤは使徒の働きの中で目立つ人物ではありません。この箇所にほんの短く登場するだけです。それでも、奇跡的な使命を受けるのです。
- 説教者は、調子が悪いときに電話をかける霊的な「兄」や「姉」たち、そして自分を支えてくれる祈りのグループのことを神に感謝しています。神は、あなたの道にもアナニヤを置いてくださいます。
6. 新しく生まれる
- アナニヤはサウロに手を置き、「兄弟」と呼びかけます。サウロが再び見えるようになり、聖霊に満たされるために遣わされたのです(使徒の働き9章17節)。
- うろこのようなものが目から落ち、彼は再び見えるようになり、立ち上がってバプテスマを受けます(使徒の働き9章18節)。回心、聖霊、バプテスマが同じ日に与えられました。彼が祈ったからです。
- 暗闇の中の三日間は、イエスが墓にいた三日間を思い起こさせます。三日目に、神はサウロを「自分だけの墓」から連れ出すために、ひとりの人を遣わされます。
- 彼は力を取り戻し、すぐに会堂でイエスは神の子であると宣べ伝えます。人々は皆驚き、サウロはますます力を増していきます(使徒の働き9章19-22節)。
- 回心とは180度の方向転換です。闇に向かって歩くのをやめ、キリストへと向かうことです。主をおのれの喜びとするとき、主はあなたの心の願いをかなえてくださいます(詩篇37篇4節)。あなたの心が、主から来るものを願うようになるからです。
- サウロは誠実でしたが、「真理のない誠実さは、誤りです」。真理は、牧師のものでも宗教指導者のものでもありません。それは神のみことば、完全であり、神ご自身が見守っておられるものです。
7. イエスのもとに来るには代価が伴う
- サウロは、実を結ぶ前に地に倒れました。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ一粒のままですが、死ねば多くの実を結びます(ヨハネの福音書12章24節)。実を結ぶには、自分に死ぬ必要があります。
- 「イエスのもとに来るために何も手放していないなら、あなたはキリストの弟子ではありません」。これは道徳の話ではなく、イエスのことばなのだと牧師は強調します。自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従うということです(ルカの福音書9章23節)。少なくとも、手放すべき罪があります。
- 「神はあなたをひとりにはされません」。のちにエルサレムでも、弟子たちがサウロをかくまい、食べさせ、逃げるのを助けることになります。
- メッセージは招きで締めくくられます。「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねる人のために、主を愛していてもどこへ導かれているのか分からなくなった人のために、まだ三日間のただ中にいる人のために。牧師は、神の霊がその人たちの目からうろこを落としてくださるように祈ります。
覚えておきたいポイント
- 霊的な中立というものはありません。キリストの光が現れるとき、あなたの人生全体が問い直されます。
- 教会に触れることは、イエスご自身に触れることです。主はご自分の子どもたちを大切にしておられます。
- 啓示だけでは救われるのに十分ではありません。サウロが新しく生まれたのは、神を求め、祈ったからです。
- 砕かれる時は終わりではありません。神は器を形づくり、ちょうどよい時にアナニヤを遣わしてくださいます。
- 真理のない誠実さは誤りです。イエスに従うには代価が伴いますが、神の知らない道は、この世の知っている道よりも常にすばらしいのです。
個人への適用
- あなたは、「主よ、あなたはどなたですか」と心からイエスに尋ねたことがありますか。その答えが、あなたのものの考え方を揺さぶる覚悟はできていますか。
- すでに主のものであるなら、最後に「わたしは何をしたらよいでしょうか」と主に尋ねたのはいつですか。
- 行き先の見えない、夜のような「中間の時」を通っていますか。サウロのように、それを祈りの中で過ごすなら、何が変わるでしょうか。
- あなたにとってアナニヤとなってくれる人はだれでしょうか。そして、今週あなたがアナニヤとなれる相手はだれでしょうか。
- イエスに完全に従うために、あなたにはまだ手放すべきものがありますか。
引用された聖句
よくある質問
ダマスコへの道で、タルソのサウロに何が起こりましたか。
天からの光が彼の周りを照らし、彼は地に倒れて声を聞きます。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」。サミュエル・マボー師によれば、「わたしはあなたが迫害しているイエスである」という答えによって、サウロの理屈はすべて崩れ去りました。十字架につけられた方は偽り者ではなく、よみがえって生きておられたからです。
サミュエル・マボー師が「啓示は救いを意味しない」と言うのはなぜですか。
キリストがどなたかを知っていても、従わず、主に仕えていない人は大勢います。回心と新生に導くのは、神を求めることです。サウロは道の途中で啓示を受けましたが、主がアナニヤを遣わされたのは、彼が祈っていたからでした(使徒の働き9章11節)。
サウロがダマスコで過ごした三日間は何を表していますか。
目が見えず、食べも飲みもせず、同行者にも見捨てられたサウロは、闇と光の間で砕かれる時を通ります。説教者は、そこにイエスが墓にいた三日間の響きを見ています。三日目に神はアナニヤを遣わし、うろこが落ち、サウロはバプテスマを受けます。
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