子羊、花婿、王:イエス様の三つの来臨

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子羊、花婿、王:イエス様の三つの来臨 | ステファン・ブルゴス | Efficient Church

はじめに

年の瀬が近づくと、イエス様について語られることが多くなります。本当に多くの機会があります。ベツレヘムの飼い葉桶に生まれた赤ちゃんの物語がただ好きなだけで、一言も信じていない人もいます。イエス様が生まれ、生き、死なれたことは信じていても、それだけで終わってしまう人もいます。イエス様は、その人たちの人生に深く関わってはいないのです。

そしてもう一つのグループがあります。あなたと私のような人たち、そうであってほしいと願っていますが、そんな人たちにとってクリスマスは素敵な時ではあっても、他の日と変わらない一日にすぎません。なぜなら、イエス様は12月25日だけでなく、一年中、毎日そこにおられるからです。もしあなたがそのように生きているなら、それはイエス様が飼い葉桶の物語よりもはるかに大きな方であることを、あなたが理解している証拠です。

2025年12月21日のこの説教で、ステファン・ブルゴスはクリスマスの物語をはるかに超えた希望を分かち合っています。イエス様は十字架で死なれた子羊として来られ、教会を迎えに来る花婿として再び来られ、そして全地を統治するとして三度目に来られるのです。

メッセージの構成

1. まず初めに:イエス様はいつも存在しておられた

  • イエス様は誕生の日に存在し始めたのではありません。ご自身がこう言われています。「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者、初めであり、終わりである」(ヨハネの黙示録22:13)。
  • イエス様の誕生は、その存在の始まりではなく、神様が肉体をとって現れた出来事、つまり神様が人となられたことを意味します。ヨハネ1:1-4とヨハネ1:14がそれを証ししています。「初めに言があった。……そして言は肉体となった。」
  • 旧約聖書では、「主の使い」という表現が、神様のように語り、神様のように行動する御使いを指すことがあります。これは「キリストの顕現」と呼ばれ、イエス様が人としてお生まれになる前の現れです。荒野でハガルを救い、イサクを献げようとしたアブラハムを止め、燃える柴の中でモーセに語りかけ、ギデオンを召し、ザカリヤに語りかけたのです。
  • このことを理解すると、すべてが変わります。あなたがイエス様に祈るとき、あなたは人間に祈っているのでも、御使いに祈っているのでもなく、神様ご自身に祈っているのです。もしイエス様が誕生と共に存在し始めたのなら、イエス様は神様ではないことになってしまいます。

2. 第一の来臨:死ぬために来られた子羊

  • これは、私たちがこれまで知っている唯一の来臨です。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれた。ひとりの男の子が、私たちに与えられた」(イザヤ9:6)。「そして、月が満ちて、初子の男の子を産み……飼い葉桶の中に寝かせた」(ルカ2:6-7)。
  • なぜこの誕生が必要だったのでしょうか。言が肉体となるため、神の子羊が犠牲として献げられるためです。もしイエス様が人として来られなかったら、捕らえられ、拷問を受け、釘打たれることはできませんでした。それが神様の計画だったのです。
  • 十字架でイエス様は、ご自分のために悪魔に勝利したのではありません。悪魔はすでに打ち負かされ、地に投げ落とされていました。十字架は、あなたのためのものです。私のためのものです。私たちがサタンに勝利するためのものです。
  • イエス様はまた、模範として来られました。旧約聖書では、今日私たちがイエス様に倣おうとするように、誰も神様に倣おうとはしませんでした。イエス様は、肉体をもって神様のために生きることが可能だと示す模範なのです。
  • 犠牲はただ一度きりです。イエス様は二度死なれることはありません。教会を迎えに戻って来られるとき、もはや誰もイエス様を捕らえることはできません。

3. 第二の来臨:教会を迎えに来る花婿

  • イエス様は盗人のように来られます。その日、その時を知る者は誰もいません。「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のようにやって来る」(ヨハネの黙示録3:3)。
  • 携挙は恵みです。教会は患難、すなわちヨハネの黙示録が語る「子羊の怒り」を経験することはありません。教会は子羊の喜び婚宴を経験するために生まれたのです。
  • 死なない人たちもいます。イエス様が来られるときに生きている人たちは、栄光の体をもって迎えられます。キリストにあって死んだ人たちが先によみがえります(第一テサロニケ4:13-18)。それはあたかも変貌山の光景のようです。決して死ななかったエリヤと、よみがえったモーセが、共にイエス様のそばにいたのです。
  • 携挙とは、私たちが死に勝利する瞬間です。今日、ここにいる誰も死に勝利してはいません。死に勝利した方はただひとり、イエス様だけです。しかしいつか、私たちの死ぬべき体は不死を着せられるのです。
  • だから、いつでも準備を整えておきなさい。フライトのアナウンスを待ちながら、すでに荷造りを終えている人のように。荷物を取りに戻る時間はありません。

4. 第三の来臨:統治するために来られる王

  • イエス様が王として戻って来られるとき、それは静かな出来事ではありません。「見よ、彼が来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちも見る」(ヨハネの黙示録1:7)。全地がその栄光の中にいるイエス様を見るのです。
  • その時期はおおよそ分かっています。患難時代の始まりから七年後です(三年半が二回)。もしその期間が短くされなければ、誰ひとり救われないはずですが、選ばれた者たちのために、その期間は短くされます(マタイ24:22)。
  • 「いなずまが東から出て、西にひらめくように、人の子の来臨もそのようである」(マタイ24:27)。イエス様は響き渡るラッパと共に御使いたちを遣わし、四方の風から選ばれた者たちを集められます。
  • すでに携挙された人たちは、栄光の体をもってイエス様と共に戻り、地上で千年間、共に統治します。それが千年王国です。私たちは死ぬべき者たちの中にあって、不死の者となるのです。
  • 携挙は教会になされた約束です。地上での目に見える統治は、アブラハムの子孫になされた約束、すなわち地の約束でもあります。イエス様は戻って来られ、その両方を成就されるのです。

心に留めておきたいポイント

  • イエス様はクリスマスに存在し始めたのではありません。イエス様はいつも存在しておられました。誕生は神様が肉体をとって現れた出来事であって、その始まりではないのです。
  • 十字架はあなたのためのものです。イエス様が十字架で死なれたのは悪魔に勝利するためではありません。悪魔にはすでに勝利しておられました。十字架は、あなたに勝利を与えるために死なれたのです。
  • 救いは完全であり、無償です。ただ一度で十分です。あなたが十字架のもとで自分の罪を告白したなら、まるでそれが確かではないかのように毎日赦しを願い続けるのはやめましょう。
  • 教会は患難を通りません。教会が招かれているのは子羊の喜び婚宴であって、子羊の怒りではないのです。
  • あなたの希望は、イエス様の再臨にあります。その誕生だけではありません。「ですから、これらのことばによって、互いに慰め合いなさい」(第一テサロニケ4:18)。

個人への適用

  1. 今年のあなたにとって、クリスマスは何を意味しますか。懐かしい思い出でしょうか、美しい物語でしょうか、それとも、生まれた方が必ずあなたを迎えに戻って来られるという確信でしょうか。
  2. すでに赦されているはずの罪について、まるでイエス様の支払いが十分ではなかったかのように、今も赦しを願い続けていることはありませんか。今日、それをやめるためにあなたが信じるべきことは何でしょうか。
  3. もしイエス様が今日中に戻って来られるとしたら、あなたの「荷造り」はできていますか。あなたの人生の中で、片づけておきたいと思っていることは何ですか。
  4. あなたの周りに、あなたの口からイエス様のことを一度も聞いたことがない人はいませんか。あなたが今思い浮かべたその人が取り残されないために、今週あなたにできることは何でしょうか。
  5. パウロが語った教会を慰めたように、イエス様の再臨は本当にあなたを慰めていますか。もしそうでないなら、あなたがその希望のうちに生きることを妨げているものは何でしょうか。

引用された聖句

よくある質問

なぜ二つではなく三つの来臨について語るのですか。

聖書は、教会を迎えに来る花婿としてのイエス様の再臨(第一テサロニケ4:13-18)と、すべての人に見える王としての再臨(マタイ24:29-31、ヨハネの黙示録1:7)を区別しているからです。この二つは同じ時に起こるのではなく、その間に七年間の患難時代があります。

教会は大患難を通るのですか。

いいえ。このメッセージで示されている読み方によれば、イエス様は患難時代の前に教会を迎え出されます。教会はその準備の様子を見ることはあっても、ヨハネの黙示録が語る子羊の怒りを経験することはありません。教会が招かれているのは子羊の婚宴であって、子羊の怒りではないのです。

同じ罪について毎日赦しを願い続ける必要がありますか。

いいえ。十字架で流されたイエス様の血への信仰によって、あなたがすでに神様に罪を告白したなら、その罪はもう赦されています。あなたを救うのは断食でも努力でもありません。あなたを救うのは、イエス様があなたのために、ただ一度、永遠に死んでくださったと信じることです。

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