はじめに
「私は心配を担当する者です。平安を担当しておられるのは、あの方です。」2026年9月16日、日本の米沢興譲教会の祈祷会で、金藤晃一師はマルコ4章35〜41節、嵐が静まる場面から語りました。
この説教者は、遠いところから語っているのではありません。自分は大変な心配性であり、重いうつ病を抱えていて、今も病院で診てもらっていると打ち明けています。この箇所は長いあいだ彼を落ち込ませてきましたが、今では安らぎの源になっています。
メッセージの中心は一つの発見です。嵐に揺さぶられる舟とは、あなた自身のことです。そしてその舟の中には、死に勝利されたイエスが眠っておられます。平安は自分で作り出さなくてもよいのです。平安には名前があります。
メッセージの流れ
1. まず一息つく、解決はそのあと
- 金藤晃一師は、心に「宿題」を抱えている人たちに共通点があることに気づきました。自分もその一人ですが、どこかで心が張りつめているのです。
- そこで、問題をいったん脇に置いて、ほっとできる小さなひとときを探してみることを勧めています。好きな音楽をもう少し長く聴く、お風呂を少し長めにする、何も考えない、といったことです。
- 私たちはよく「問題が解決したら、ほっとできるのに」と考えます。しかし金藤師は、むしろ逆だと考えています。少しほっとすると緊張がゆるみ、視野が広がり、解決の糸口が見えてくるのです。
- ホームレスの人々を支援している男性のドキュメンタリーの話があります。小さな助成金で彼が最初に買ったのは、魔法瓶でした。ホームレスの人々が暮らす場所には電気がありません。彼は魔法瓶に温かいお茶を入れ、紙コップで配りました。
- その一杯のお茶を囲んで、黙っていた人たちが自分の物語を語り始めます。「この魔法瓶のおかげで、どれだけの人生が立て直されたかわかりません」と彼は言います。ほっとさせてくれるものを軽んじてはいけません。そこから癒やしと立ち直りが生まれるのです。
2. 主は嵐の中で眠っておられる
- 弟子たちの多くは漁師で、ガリラヤ湖を知り尽くした人たちでした。その彼らがうろたえたのは、嵐が手に負えず、舟が沈みそうだったからです。
- そのときイエスは、「ともの方でまくらをして眠って」おられました(マルコ4:38)。説教者は笑って言います。主は何もお気づきでないのかと言いたくなります、と。弟子たちはついに叫びます。「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」。
- なぜイエスは眠っていられたのでしょうか。「疲れていたからよ」と、金藤師の奥様はすぐに答えました。金藤師は、疲れているのはむしろ君のほうだと言い返したそうです。
- 本当の答えは別のところにあります。イエスが眠っておられたのは、平安の中におられたからです。
3. 舟とは、あなたのこと
- 金藤晃一師は長いあいだ、嵐のただ中でイエスのように眠れるほどの大きな平安をどうすれば持てるのかと考えていました。ある日、視線が舟のほうへ移りました。「嵐に揺さぶられるあの舟は、私だ」。
- 嵐のたびに、彼の心は弟子たちのようにうろたえます。さらに悪いことに、嵐が来る前から心配を先取りしてしまいます。
- それでも、あちこちに穴のあいたこの舟に、救い主は乗り込んでくださいました。彼はこの舟を笑いながら「キンちゃん丸」と呼んでいます。同乗者がどれほど怯えていても、主は全く信頼しきって、ぐっすり眠っておられます。
- そこでわかったことがあります。不安でいっぱいの心の中にも、自分が作り出したのではない平安がある、ということです。「この平安は私のものではありません。この平安は、主ご自身です」。
- ピリピ人への手紙4章7節はこう語っています。人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るのです。あなたの心を守るのはあなた自身ではなく、十字架にかかり、三日目によみがえり、罪と死とサタンに勝利されたイエス・キリストです。
4. 心配しながら、安全の中にいる
- 「うつの人がいつも平安にあふれていたら、おかしいでしょう?」説教者は、自分の中に不安が積もっていくのを感じます。それでも同時に、大きくて温かい平安もそこにあるのです。
- そこで彼は、無理に平安でいようとすることをやめました。心配なのに大丈夫なふりをするのは、ストレスの上にさらにストレスを重ねることです。クリスチャンはいつも喜びにあふれていなければならない、という思い込みに押されているからです。そして遅かれ早かれ、それは表に出てしまいます。
- この無駄な努力をやめたとき、彼は「安全の中で心配する」ことを学びました。心配している自分を責めなくなったので、心の中に穏やかなものがより多く流れ込むようになりました。
- 無理やり作った平安は、うわべだけの平安です。イエスの平安は本物であり、もうすでにそこにあります。
- 金藤師は、岡山から鹿児島へ向かうプロペラの小型機で、嵐のただ中を飛んだ体験を語ります。四十人ほどの乗客が座席にしがみついていました。それでもパニックにならなかったのは、前の席に座っていた一人の客室乗務員が、揺れるたびに微笑んでいたからです。みんなが彼女の顔を見て、「落ちないな」と思いました。「嵐の中のあの笑顔が私たちを救ってくれました」。
- 人生の嵐は、いつもすぐに静まるわけではありません。けれども、あなたはひとりではありません。あなたの平安を担当しておられる方が、あなたの舟に乗っておられます。
5. 「どうして信仰がないのか」に隠された良い知らせ
- 40節は、長いあいだ彼を落ち込ませました。「なぜそんなに臆病なのか。どうして信仰がないのか」。そのまま読むと、怖がるのは信仰がない証拠だと言われているように思えたのです。
- ある説教者は、弟子たちの正しい対応はイエスと一緒に眠ることだったと語りました。金藤晃一師は、自分にはそんな信仰はないと笑って認めます。むしろ叫びながら、ペテロとアンデレとヨハネを起こしたことでしょう。
- けれども、彼はあることに気づきました。信仰が足りないとイエスに叱られたこの弟子たちは、おぼれたでしょうか。一人もおぼれていません。イエスは嵐を静め、全員を例外なく救われました。
- イエスは、信仰のある弟子たちだけを救われるのではありません。あなたを救うのは、「あなたの信仰の強さではなく、わたしの十字架の血の確かさ」です。このキリストの言葉の背後に、福音が輝いています。
- 二十代のころ、教会の一人の女性が、自宅に引きこもっている息子さんを訪ねてほしいと彼に頼みました。彼を選んだ理由は、「あなたからは信仰がほとんど感じられないから」というものでした。いつも迷い、揺れ、落ち込んでいる彼の姿を見ていたのです。同じように不安を抱えた息子さんなら、しっかりした人ではなく、彼のような人になら話せるだろうと考えたのでした。
- 彼はそれを喜びました。選ばれた理由が、まさに自分の弱さだったからです。この母親を通して、彼は神の御心を聞きました。「信仰において弱いままでいい。心配したままでいい。だからこそ、わたしはあなたを救ったのだ」。
6. どん底にも、主はおられる
- 広島のある方が、原爆投下の三日後に人々は何をしたのかと彼に尋ねました。答えは、廃墟の中で、わずかに残った車両を使って路面電車を再び走らせた、というものでした。それは叫びでした。「広島は死んでいない。広島は生きている」。
- 長崎では、クリスチャンの医師、永井隆が、自らも被爆しながら負傷者を手当てし、二人の子どもを小さな庵で育てました。
- ある司祭の話によると、誰かが彼にこう尋ねました。「神がおられるなら、なぜこんなことが起こるのですか」。永井隆はこう答えました。「どん底に落ちなさい」。
- 説教者はこの答えをこう理解しています。その問いを発しているうちは、まだ少し余裕があります。本当の絶望の中では、その余裕もなくなります。そして神は、まさにそのどん底におられるのです。
- 嵐のただ中でこそ、私たちは平安のうちに眠っておられるイエスに出会います。十字架につけられ、よみがえられたキリストは、私たちのあらゆる恐れの源である死に勝利されました。キリストは、すべてにまさる平安をもって、あなたの舟に乗り込んでくださったのです。
心に留めたいこと
- 嵐に揺さぶられる舟とは、あなたの人生です。イエスはそこに乗り込み、平安のうちに眠っておられます。
- あなたの平安は、あなた次第ではありません。あなたの心を守る神の平安とは、イエス・キリストご自身です。
- 大丈夫なふりをやめてかまいません。自分を責めずに、安全の中で心配していてよいのです。
- イエスは、信仰が足りないと叱られた弟子たちも含め、全員を救われました。弱い人のことも救ってくださいます。
- どん底にも、神はおられます。キリストは、あらゆる恐れの源である死に勝利されました。
自分への問いかけ
- 今、あなたの心に重くのしかかっている「宿題」は何ですか。それを解決しようとする前に、どんな小さなひとときの安らぎを自分に許してあげられますか。
- 人の前で、平安なふりをしていませんか。神の前で自分の心配を受け入れたら、何が変わるでしょうか。
- 今、どんな嵐の中にいますか。イエスがあなたの舟におられるとは、あなたにとってどういう意味がありますか。
- 自分の信仰の弱さを理由に、自分を責めていませんか。イエスが弟子たち全員を救われたことは、あなたの見方をどう変えますか。
- あなたの周りで、「温かいお茶一杯」を必要としている人は誰でしょうか。ほっと一息つけるような、ささやかな行動を考えてみましょう。
引用された聖句
よくある質問
マルコ4章で、イエスはなぜ嵐の中で眠っておられたのですか。
金藤晃一師によれば、疲れていたからではなく、平安の中におられたからです。経験豊かな漁師たちさえ怯えた嵐のただ中で、イエスは舟のともでまくらをして眠っておられました。その平安こそ、イエスがあなたの人生の舟にもたらしてくださる平安です。
「平安を担当するのはイエス」とはどういう意味ですか。
重いうつ病を抱えるこの説教者は、無理に平安そうに見せることをやめました。彼はこうまとめています。「私は心配を担当する者です。平安を担当しておられるのは、あの方です」。人のすべての考えにまさる神の平安は、あなたから生まれるものではありません。あなたの内におられるイエスご自身なのです(ピリピ4:7)。
「どうして信仰がないのか」という言葉は、人を責める叱責なのですか。
いいえ。金藤晃一師は、イエスにそう言われた弟子たちが一人も滅びなかったことに注目します。イエスは彼ら全員を例外なく救われました。この言葉の背後には、良い知らせが輝いています。キリストは信仰の弱い人をも救ってくださいます。それは信仰の強さによるのではなく、十字架で流された血の確かさによるのです。
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