聖書 — 口語訳 (1955)

マルコによる福音書 4

概要

マルコによる福音書4章は、ガリラヤ湖のほとりでのイエスのたとえによる教えと、そのあとの嵐の場面を集めています。種まきのたとえは、御言を受けとめる四つの姿を示します。続いて、隠してはならないあかり、人が知らないうちに育つ種、初めは小さくやがて大きくなるからし種が語られます。夕方、イエスは嵐を静め、ご自分がどなたかを現されます。風も海もイエスに従うのです。

この章の5つの区分

  1. 1-9節種まきのたとえ
  2. 10-20節なぜたとえで語るのか、そして種まきの説明
  3. 21-25節あかりと量り:聞くことがらに注意しなさい
  4. 26-34節育つ種とからし種
  5. 35-41節イエスが嵐を静められる

1イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。

2イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、

3「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。

4まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。

5ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、

6日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

7ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。

8ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。

9そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。

10イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。

11そこでイエスは言われた、「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。

12それは 『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』 ためである」。

13また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。

14種まきは御言をまくのである。

15道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。

16同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、

17自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。

18また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、

19世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。

20また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

21また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。

22なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。

23聞く耳のある者は聞くがよい」。

24また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。

25だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。

26また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。

27夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。

28地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。

29実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。

30また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。

31それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、

32まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。

33イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。

34譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。

35さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。

36そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。

37すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。

38ところが、イエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。

39イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。

40イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。

41彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。

鍵となる聖句

3節
「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。

「聞きなさい」という呼びかけでたとえが始まります。種は惜しみなくまかれ、その行方は落ちた地、つまり一人ひとりが御言をどう受けとめるかによって決まります。

14-20節
種まきは御言をまくのである。 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。 同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、 自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。 また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、 世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。 また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

イエスはご自分のたとえを自ら説明されます。種は御言であり、四つの地は四つの反応です。道ばた、土の薄い石地、いばら、良い地は、奪われること、根のなさ、心づかいによってふさがれること、そして実を結ぶことを表しています。

28節
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。

ひとりでに育つ種のたとえでは、地がまず芽を、つぎに穂を、そして実を結ばせます。神の国は段階を踏んで成長し、人はその仕組みを支配することができません。

39-40節
イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。

イエスは風をしかり、海に「静まれ、黙れ」と言われ、それから弟子たちに「なぜ、そんなにこわがるのか」と問われます。場面は、自然に対するイエスの権威と、根本的な問い、あなたは何に信頼しているのか、を示しています。

説教が語っていること

マルコによる福音書4章についてよくある質問

マルコ4章の種まきのたとえは何を意味していますか。

イエスご自身が説明しておられます。種は神の御言で、地はそれを受けとめる四つの姿を表しています。道ばたでは御言が奪われ、石地では根がなく、いばらの中では世の心づかいと富にふさがれ、良い地では実を結びます。

マルコ4章11節から12節で、なぜイエスはたとえで語られたのですか。

イエスは、神の国の奥義は弟子たちに与えられているが、外の人々にはすべてがたとえで語られると言われます。この箇所は難しく、解釈者の意見も分かれますが、たとえは求める人には啓示となり、心を閉ざす人には不透明なままにするものだと理解されます。イエスは弟子たちには、たとえを個人的に説明されました。

マルコ4章35節から41節の嵐を静める出来事は何を意味していますか。

弟子たちは、先生は心配ではないのかと叫び、イエスは風と海を黙らせ、なぜ恐れるのかとお尋ねになります。この場面は、被造物に対するイエスの権威を示しています。そして信頼への招きです。舟の中におられるイエスの存在は、嵐の力よりも決定的です。

マルコによる福音書 4を引用している記事

← すべての章

口語訳(1955年)— パブリックドメイン。