貪欲から神の愛へ、心が空虚を満たそうとするとき
あなたにもこんな瞬間がありませんでしたか。自分が追い求めているものが、手に入れてみると実は満たしてくれないと気づく瞬間です。街で見かけた車、SNS上で自分の生活より輝いて見える誰かの人生、ある地位、評価、あるいは一人の人。それを手に入れても、また空虚さが戻ってくる。2025年11月9日にICCモントリオールで語られたメッセージの中で、マル・ビアルタ牧師は、物事を本来の場所に置き直す一つの問いを投げかけます。もし貪欲が、まず欲望の問題ではなく、愛の問題だとしたらどうでしょうか。そして、それを根こそぎにできる唯一のものが、神ご自身の愛だとしたらどうでしょうか。
この記事は、彼の説教「貪欲から神の愛へ」の内容をまとめたものです。彼がたどった構成、解き明かした聖句、そしてあなたが持ち帰るべき問いをここにまとめます。
1. 一緒に働く三つの貪欲
マル牧師は、ヨハネの手紙一2章15〜17節から始めます。「世をも、世にあるものをも、愛してはならない。世を愛する者があれば、御父の愛はその人のうちにない。おおよそ世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りなどは、御父から出ないで、この世から出たものだからである。」
牧師は、多くの人が見過ごしてしまう一つの微妙な点に気づかせてくれます。この三つの要素は、単数形の動詞とともに挙げられています。これらは三つの別々の問題ではなく、三つ子なのです。一つが入り込むところには、残りの二つもついてきます。肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、一つの同じ歯車を形づくっているのです。
この同じ仕組みは、すでに創世記3章6節に見られます。エバは、その木が「食べるに良く」(肉)、「目に美しく」(目)、「賢くなるには好ましい」(持ち物の誇り)と見ます。牧師はここで一つの細部を指摘します。蛇が彼女に問いかけたとき、彼女はすでに、心の中でその木を移動させてしまっていたのです。まるでその禁じられた木が、園の中心になってしまったかのようにです。あなたが誰の声に耳を傾けるかによって、神が本当にあなたに与えてくださったものから、焦点をそらしてしまうことがあるのです。
2. 敵は必ず、あなたに反応がある場所を攻めてくる
肉の欲とは、あなたの性質から生まれる、燃えるような欲望です。牧師はシンプルな例を挙げます。車を買おうとするとき、あなたはいろいろ比較し、市場であまり見かけないメーカーを選びます。そしてディーラーからその車を出した日から、あなたはあちこちでその車を見かけるようになります。まるで一晩でその車が増殖したかのようにです。
霊的な戦いにおいても同じことが起こります。「悪魔は、あなたが反応を持たないことについては、決して攻撃してきません。」もしあなたが回心する前に、ある傾向を持っていたなら、回心した後に、その点に関する誘惑が増えることに気づくでしょう。あなたを誘惑しているのは神ではありません。聖書はヤコブの手紙1章13〜14節で明確にこう語っています。「誘惑に会う場合、だれも、神に誘惑されている、と言ってはならない……人はそれぞれ、自分自身の欲に引かれ、誘われて、誘惑にあうのである。」
牧師はここに、貴重な区別を加えます。誘惑と試練は、同じ状況を覆っていることがあります。変わるのは、あなたの応答です。悪魔はあなたを倒すために誘惑します。神は、あなたの神への愛が今どの段階にあるかを試すために、誘惑を許されます。そして神は、あなたの力を超えることを決して許されません(コリントの信徒への手紙一10章13節)。
3. 隣人のものを何も貪ってはならない
ヘブライ語の「カーマド」は、しばしば「貪る」と訳されますが、それは燃えるような、激しい欲望を意味します。神が出エジプト記20章17節で使っておられるのが、まさにこのことばです。「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、その他隣人の持ち物を、いっさいむさぼってはならない。」
ここで牧師は大切な区別をします。優れている兄弟を見て、自分も成長したいと願うこと、それは切磋琢磨です。それは健全なことです。しかし、彼が持っているものそのものを欲しがること、彼の地位、彼の妻、彼の車、彼の評判を欲しがることは、悪い欲望です。そして、悪い欲望が育っていくと、それは偶像になってしまいます。
偶像礼拝は、像の前にひれ伏すことだけに限られません。「偶像とは、あなたの人生の中で神の場所を奪ってしまうすべてのものです。」それは、あなたの配偶者、あなたの仕事、あなたのスマートフォンかもしれません。牧師はこう言い表します。「あなたの偶像とは、朝一番にあなたがすることです。」これは、心に刺さる問いです。
4. みことばを窒息させるいばら
マルコによる福音書4章18〜19節で、イエスはいばらの中に蒔かれた地について語られます。「ほかに、種が茨の中にまかれたものがある。これらは御言を聞くが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入ってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。」
牧師は、それぞれのいばらを詳しく説明します。
- 世の心づかい、これは、ある時代の社会が幸福の基準として掲げるものです。「カナダでは、幸せになるには17万稼がなければならないと言われています。」そして、それに届かないことが、あなたをむしばむ心配事になってしまうのです。しかし、古いホンダ・シビックに乗っている人の中にも、ポルシェ・パナメーラに乗っている人よりも幸せな人がいます。あなたの幸福の質を決めるのは、稼いでいる金額ではありません。もしそうでなければ、なぜ大富豪たちが自ら命を絶つことがあるのでしょうか。
- 富の惑わし、このヘブライ語は文字どおり、餌、動物を誘い寄せるために罠に仕込む食べ物を指します。自分に問いかけてみてください。敵は、私をつまずかせるために、どんな餌を私の前に置いているだろうかと。
- その他いろいろな欲望、一つの貪りが、別の貪りを呼び込みます。それらは群れをなしてやって来るのです。
5. 二つの動詞、脱ぎ捨てることと、十字架につけること
貪りから抜け出すことは、積極的な取り組みを必要とします。牧師はエフェソの信徒への手紙4章20〜24節を引用します。「惑わす情欲によって腐敗していく古き人」を脱ぎ捨てなければなりません。それは、それがあなたの傷に基づいているとき、非常に大きな説得力を持ってしまうため、「惑わす」のです。ある内なる声がこうささやきます。「私がこうなのは、両親のせいだ、過去のせいだ。」そしてこの声は、あなたを牢獄から出すどころか、そこにとどめてしまうのです。
続いてペトロの手紙一2章11節が来ます。「たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。」牧師ははっきりと言います。私たちは肉の欲と交渉するのではなく、それを十字架につけるのです。そうしなければ、ヤコブの手紙1章15節が言うように、「欲が孕んで罪を生み、罪が熟して死を生み出す」のです。
この死は、まず肉体的な死のことではありません。それは神からの分離であり、遅れの霊であり、心の動機が正しくないために閉ざされてしまう扉のことです。神があなたに与えてくださらないものがあります。それは、それがあなたの貪りを養うだけで、あなたに益をもたらさないと、神がご存じだからです。
6. 本当の解決策、神の愛
ここで牧師は方向を転換します。彼の妻は「神のための愛」というテーマを提案していました。しかし彼は「神の愛」を選びました。この違いは微妙ですが、決定的です。
神のための愛は、あなたを神のために何かをすることへと駆り立てることがあります。奉仕すること、教会に来ること、責任を持つこと、賛美のスターになること、執事になること、牧師になることなどです。これは、まさにエフェソの教会が持っていたものであり、イエスはその教会が初めの愛を捨ててしまったことを咎められました。
神の愛とは、アガペーの愛のことです。神があなたの内に注ぎ込み、あなたを、神が愛されるように他者を愛せる状態にしてくださる愛です。これこそが、あなたにコリントの信徒への手紙一13章を、本当の意味で生きさせてくれる愛なのです。
あなたを貪りへと駆り立てる空虚さへの解決策は、神ご自身にその空虚さを満たしていただくことです。「あなたが貪るたびに、それは神の愛が足りないからです。私たちは創造主の場所を、被造物で満たそうとしてしまうのです。」
7. この愛を日々どう育てるか
牧師は、この神への愛を育てるための具体的な鍵をいくつか示します。
- 神が与えてくださるもののためではなく、神ご自身を求めること。祈りの時間(一時間、二時間、三時間)を、神ご自身以外は何も求めずに過ごしてみてください。そこにこそ、別の次元へと入っていく入口があります。
- 求める前に礼拝すること。牧師はカランビリ牧師のことばを引用します。「あなたが祈るとき、神は御使いを遣わされます。あなたが礼拝するとき、神ご自身が来られます。」賢い者は、まず礼拝し、それから求めます。神が遣わす者にではなく、神ご自身に求めるのです。
- 御霊との交わりを求めること。「交わり」ということばには「共に」という意味が含まれています。御霊と交わるとは、御霊とひとつになることであり、その超自然的な能力があなたの内に移し込まれるまでのことです。それなしには、あなたは受けるに値しない恵みを持つことができても、神があなたを召された目的を、決して生み出すことはできないでしょう。
- みことばを黙想し、知ること。「わたしの民は知識がないために滅ぼされる」(ホセア書4章6節)。無知による不義であっても、それは依然として不義であることに変わりはありません。
- 自分自身を捨てて仕えること。マタイによる福音書16章24〜25節。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」毎日、あなたには選択肢があります。自分自身に死んで神のために生きるか、自分自身のために生きて霊的に死ぬか、どちらかです。
覚えておきたいポイント
- 肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、一つの同じ歯車を形づくっています。一つが入り込むところに、残りの二つもついてきます。
- 敵は、あなたが反応を持たないことについては、決してあなたを誘惑しません。あなたの弱さの領域を見極め、そこを強めてください。
- 偶像礼拝とは、偽りの神を拝むことだけではありません。それは、あなたの人生の中で神の場所を奪うすべてのものです。目覚めたときに手に取るスマートフォンさえも含まれます。
- どんな貪りも、乗り越えることができます。神は、あなたが御霊にあって持つ力を超えることを、決してお許しになりません。
- 持続する解決策は、欲望に対して自分を頑なにすることではなく、あなたを貪りへと駆り立てる空虚さを、神の愛に満たしていただくことです。
個人へのチャレンジ
- もし今日、イエスがあなたの前に立ち、今年あなたの人生がどんな実を結んだかを尋ねられたら、あなたは何と答えますか。
- 目覚めたときの、あなたの最初の行動は何ですか。それは、あなたの本当の優先順位について何かを明らかにしていませんか。
- あなたの周りに、その地位、人生、持ち物、あるいは配偶者を貪ってしまっている人はいませんか。もしその貪りを、その人のための祈りに置き換えたら、何が起こるでしょうか。
- あなたが世によって満たそうとしている空虚さは何ですか。神の臨在によってではなく。
- あなたが祈るとき、何が優勢でしょうか。求めることでしょうか、それとも礼拝することでしょうか。
引用された聖句
- ヨハネの手紙一2章15〜17節 ・ 三つの貪り
- 創世記3章6節 ・ エバの堕落
- 出エジプト記20章17節 ・ あなたはむさぼってはならない
- マルコによる福音書4章18〜19節 ・ みことばを窒息させるいばら
- ヤコブの手紙1章13〜15節 ・ 今週の聖句
- ヤコブの手紙4章5〜6節 ・ 神は高ぶる者に敵対される
- エフェソの信徒への手紙4章20〜24節 ・ 古き人を脱ぎ捨てる
- ペトロの手紙一2章11節 ・ 肉の欲
- コリントの信徒への手紙一10章13節 ・ 人間の力を超える試練はない
- マタイによる福音書16章24〜25節 ・ 自分自身を捨てる
よくある質問
欲望を持つこと自体は悪いことですか。
いいえ。聖書は、健全な欲望(切磋琢磨し、成長したいという願い)と、他者に属するものを所有したいという燃えるような欲望とを区別しています。前者はあなたを神へと押し出し、後者はあなたを神から遠ざけます。
なぜ神は、私が最も傷つきやすい部分で誘惑されることをお許しになるのですか。
それは、誘惑が同時に、あなたの神への愛が今どこにあるかを試す機会でもあるからです。悪魔はあなたを倒すために誘惑します。神は、あなたが成長し、神があなたの内におられる力を見出すために、誘惑を許されます。そして神は、あなたが御霊にあって持つ力を超えることを、決してお許しになりません(コリントの信徒への手紙一10章13節)。
自分の人生の中で何かが偶像になってしまっているかどうかを、どう見分ければよいですか。
目覚めたときに最初に考えることは何か、それが不足すると平安を失ってしまうものは何か、たとえ神から求められても手放せないものは何かを見つめてください。この三つの領域において神が第一でないなら、あなたは取り除くべき偶像を見つけたことになります。
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