はじめに
「私たちには語彙があり、言葉があります(...)。けれども、本当は何を求めるべきかを知りません。」こうして始まったのが、Impact Centre Chrétien Montréalが毎週開いている祈りと礼拝の集まり「7 à 9」です。教会はこの集まりを「渇いた人たちの集まり」と呼んでいます。
この夜は説教がありません。祈りを導く担当者(名前は動画の中で明かされていません)は、はっきりとこう告げます。「神から受けたものをまだ心に据える時間を取っていないのに、新しい啓示に進んでも意味がありません。」夜は、前の日曜日のCélestin牧師によるエペソ3章のメッセージと、今季のテーマ「新しい季節、新しいバージョンの私」に支えられた、とりなしの時間になりました。
賛美と祈りの合間に、いくつかの短い勧めが語られ、夜の流れをつくっていきます。この記事はそれらをまとめたものです。食べ物や車や仕事のための祈りではなく、運命を変える祈りという、あまり祈られることのない祈りの題目に出会えるはずです。
メッセージの流れ
1. 祈り方を知らないからこそ、御霊によって祈る
- ローマ人への手紙8章26-27節から始まります。御霊は私たちの弱さを助けてくださいます。私たちはどう祈るべきかを知りませんが、御霊ご自身が言葉にならないうめきをもってとりなしてくださいます。
- 語られたたとえは、6歳の子が字を書くことを学ぶとき、大人がその子の手に自分の手を重ねる姿です。「神の御霊がしてくださるのも、私たちの手に御自分の手を重ねることです。」
- パウロはエペソの人々に、どんな時にも御霊によってあらゆる祈りをするよう書いています(エペソ6:18)。強調されているのは「御霊によって」です。自分の感情や自分の向きではなく、御霊の導きのもとで祈るということです。
- 「たった一つの言葉を繰り返すのであっても、それが御心にかなうなら、私たちはそうする用意があります。」大切なのは美しい文章ではなく、導かれることです。
- 聖霊は「私たちの有利な点」として紹介されます。イエスは、わたしが去って行くことはあなたがたの益になる、助け主が来るためだと言われました(ヨハネ16:7)。「あなたが私たちの側におられるとき、私たちには有利な点があります。」
- 「私たちは、この場所に入ってきたときのままで出て行きたくありません。」会衆は「空の器のように」来て、満たされることを求めます。
2. 受けた言葉を心に据え、これまでと違う祈りをする
- 求める前に、会衆は日曜日に聞いた言葉に感謝をささげます。「感謝は新しい恵みを呼びます。」
- 中には、魂に心地よくない言葉もあります。自分のエゴや罪の立場を慰めてくれない言葉です。それでも神に感謝します。自由にし、解放し、造り変えるのは、その言葉だからです。
- Célestin牧師の言葉を受けて、担当者は「悲しい現実」を語ります。私たちが好んで祈るのは、地上の必要を満たす祈り、「食べ物を与えてくれる、車を与えてくれる、仕事を与えてくれる」祈りです。しかし「運命を変える祈りがあります」。
- だからこの夜は、こう選ばれました。「時には、私たちの霊的な父たちから受けた言葉を心に据える時間を取らなければなりません。」
- 神との約束はどれも同じです。「受け取りたいなら、備えるものです。」大きな集会に来ても、器を備えていなければ三日間何も受け取れないことがあります。「主が私たちを招かれるのは、私たちに良くしてくださりたいからです。」
3. 神が建てておられる人になる
- ガラテヤ人への手紙2章20節です。「わたしはキリストと共に十字架につけられた。もはや、わたし自身が生きているのではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」
- 祈りの題目はこうです。「主よ、あなたが建てておられる人になる恵みを私たちにください。」神を愛し、その愛に満たされ、神を中心に置き、アガペーと思いやりにあふれ、「神に仕える時間を持ち」、心の傷ついた人を気づかう人です。
- 「エゴが死に、心にキリストが住んでおられる人。功績によってではなく、神の恵みによって歩む人。」
- はっきりした指示があります。「隣人のために祈らないでください。兄弟のためにも、姉妹のためにも祈らないでください。自分のために祈ってください。主があなたを建ててくださるように。」
- 陶器師のたとえです。形づくられるのを拒む反抗的な子どもではなく、型にはめられ、作り直されるままの粘土になること。「砕かれ、建て直され、あなたの計画に従って建てられる」のです(エレミヤ18:6)。
- 人はバベルの塔のように建てることができます。しかし神が建てたのでないものは、はかないものです(詩篇127:1)。「神が建てるものは時を越えます。神が建てるものは世代を越えます。」地上は私たちの行き先ではありません。「最良のものはこれからです」。
- 建てられることは痛みを伴うことがあります。パウロは言います。「わたしは自分のからだを打ちたたいて服従させる」(1コリント9:27)。目標を目指す競技者のようにです。「これは絶望の祈りではなく、希望の祈りです」。保証である聖霊が私たちを支えてくださるからです。
- 「私たちは、あなたの言葉の理論家になりたくありません。理論家とは、知っていても、知っていることを生きない人のことです。」聖書は、御言を聞くだけでなく、行う人になるよう求めています(ヤコブ1:22)。
4. 指針を失った世代で、神の栄光を映し出す
- 「あなたの血によって救われた私たちが、あなたの栄光を映し出さないなら、だれが映し出すのでしょうか。」
- 世界は「指針を失った」社会として描かれます。そこでは悪を善と言い、善を悪と言っています(イザヤ5:20)。この世代にあって、「主は一人の男性を、一人の女性を、そして御自分の姿を現す教会を探しておられます」。
- 人々が私たちの良い行いを見て、天の父をあがめるようになります(マタイ5:16)。「この姉妹を見て、この兄弟を見て、この人を見て、ああ、希望があるのだと分かります。」
- 私たちのからだは聖霊の宮です(1コリント6:19)。聖霊を宿しながら、同時にからだも思いも唇もこの世の快楽にささげることはできません。「同居はあり得ません」。
- 神は、ダニエルのように、ヨセフのように、パウロのように、ペテロのように、地域でも職場でも家庭でも国でも、御自分の光を輝かせる男女を探しておられます。
5. 神のご計画を現す
- 「主のはかりごとはとこしえに立ち、そのみ心の計画は世々に絶えることがない」(詩篇33:11)。被造物は、神の子たちが現れるのを切に待ち望んでいます(ローマ8:19)。
- 教会が自分たちの町のために、共に現していく共通のご計画があります。そして、あなた自身の人生に結びついたご計画があります。「私にどれほど善意があり、どれほど祈っても、そのご計画は私には現せません。主があなたのために備えられたものだからです。」
- 「苦しんでいる人がいて、その人の解決はあなたしかいません。」そこから力強い言葉が生まれます。「神のご計画を現さないことは、だれかから神の恵みを奪うことです。」
- このご計画がふさがれたままなら、諸国民はどのように弟子となり、やもめと孤児はどのように世話を受け、罪人はどのようにキリストのもとへ帰るのでしょうか。
- 出産のたとえです。痛みがあり、いきむ時です。けれども子が生まれるとき、涙は喜びの叫びに変わります。そのとき会衆から上がる祈りは単純です。「私を今のままにしないでください。私を今いる場所にとどめないでください。」
- モントリオール、ケベック、カナダへの確信が語られます。「ぐずぐずしている時ではありません。」神がすべてを私たちに備えてくださっているのに、「不妊の女」のようにはなりたくありません。
6. 聖霊があなたの内でくつろげるように
- 担当者は日曜日の箇所、エペソ3章14-19節を読み返します。御霊により、内なる人が力強く強められ、信仰によってキリストが私たちの心に住まわれるように、という箇所です。
- Célestin牧師は、「住む」と訳されるギリシャ語(katoikeô)を説明しました。御霊は「所有者として」、通りすがりではない者として私たちの内に住まわれます。
- 聖霊は保証であり、私たちの相続財産の手付金です(エペソ1:14)。「相続財産はすでにそこにあるのですが、前払いが与えられている」のです。
- 荷物のたとえです。訪ねて来る人は、夕食をとり、話をしに来ますが、「歯ブラシまでは持って来ません」。住み着く人は荷物を持ってやって来ます。御霊が私たちの内でくつろいでおられるなら、御霊は実を携えて来られ、その実は家の中で目に見えるものになります。
- 御霊が「よそ者のように扱われた」場所、私たちの行い、欲望、汚れが御霊を悲しませた場所(エペソ4:30)について、赦しを求めます。「聖霊よ、赦してください。どうか戻って来てください。お住まいください。(...)あなたの場所についてください。」
- 御霊なしに働くことは、肉によって働くことであり、自分は何でもできると思い込むことです。
7. キリストの愛をつかむ
- 日曜日に牧師は、急ぐ、つかむという意味のギリシャ語(katalambanô)について語りました。愛は、ゆっくり時間をかけて向き合うものではありません。「それは尊いものです。」
- チョコレートのたとえです。おそらくフランスでの特売のとき、品薄になったチョコレートを求めて、大人たちが店の売り場に飛び込んだそうです。ばかげていると思う人もいましたが、それは彼らにとってそのチョコレートがどれほど大切かを物語っていました。同じように「私たちは愛に飛びつく」のです。
- 「キリストを知らなければ、愛を現すことはできません。キリストを知るほど、愛を現すようになります。」キリストなしでは、テレビドラマやシリーズものの愛に逆戻りしてしまいます。
- 祈りは、選り好みする愛への告白になります。「あなたが私を愛するなら、私もあなたを愛する。あなたが私を愛さないなら、私も愛さない。(...)あなたが私の地域の人なら愛する。私の地域の人でないなら愛さない。」そして、「主よ、それは愚かなことです。無知です。私たちをお赦しください。私をお赦しください。人の顔ばかり見て愛を示したときがあったことを。」
- 会衆が求めるのは、状況にも、肌の色にも、社会的な階層にも左右されない愛です。忍耐強く、親切で、悪を疑わない愛。エペソ3章18節の、長く、広く、高く、深い愛です。
心に留めたいこと
- 私たちは語ることはできても、何を求めるべきかは知りません。御霊が私たちの手に御自分の手を重ね、私たちのためにとりなしてくださいます。
- 新しい啓示を追いかける前に、すでに受けた言葉を心に据える時間を取りましょう。
- 運命を変える祈りは、これです。「あなたが建てておられる人になる恵みをください。」
- あなたの人生に結びついた神のご計画は、ほかの人々にかかわっています。それを現さないことは、だれかから神の恵みを奪うことです。
- 聖霊は、あなたの内に自分の家のように住みたいと願っておられます。そこでこそ、聖霊の実とキリストの愛が目に見えるようになります。
個人への適用
- 祈るとき、まず御霊の導きを求めていますか。それとも、すでに作ったリストを持って来ていますか。
- 最近受けた言葉のうち、まだあなたの人生に「据える」時間を取っていないものは何ですか。
- 陶器師があなたを造り変えようとしているのに、どの領域で抵抗していますか。
- あなたの周りで、神があなたの内に置かれたものをあなたが現すのを待っている人はだれでしょうか。
- あなたの愛は選り好みしていませんか。あなたを愛する人、あなたに似ている人、あなたと同じ地域の人にだけ向けられてはいませんか。
引用された聖句
- ローマ人への手紙 8:26-27
- エペソ人への手紙 6:18
- ヨハネの福音書 16:7
- ガラテヤ人への手紙 2:20
- エレミヤ書 18:6
- 詩篇 127:1
- コリント人への手紙第一 9:27
- ヤコブの手紙 1:22
- イザヤ書 5:20
- マタイの福音書 5:16
- コリント人への手紙第一 6:19
- 詩篇 33:11
- ローマ人への手紙 8:19
- エペソ人への手紙 3:14-19
- エペソ人への手紙 1:14
- エペソ人への手紙 4:30
よくある質問
ローマ人への手紙8章26節にある「御霊によって祈る」とはどういう意味ですか。
私たちには語彙も言葉もありますが、本当は何を求めるべきかを知りません。御霊は私たちの弱さを助け、言葉にならないうめきをもってとりなしてくださいます。この夜に語られたたとえは、6歳の子に字を教えるために大人が手を重ねる姿です。私たちが祈るとき、御霊は私たちの手に御自分の手を重ねてくださいます。
この7 à 9で、なぜ説教がなかったのですか。
この夜の担当者は、すでに受けた言葉を心に据える時間を取らないまま新しい啓示に進んでも意味がない、と説明しました。そのため夜は、エペソ3章についての日曜日のメッセージと「新しい季節、新しいバージョンの私」というテーマに基づいた、とりなしの時間に当てられました。
聖霊が私たちの内でくつろがれるとは、どういう意味ですか。
聖霊は通りすがりの訪問者ではなく、私たちの内に自分の家のように住むことを望んでおられます。通りすがりの客は夕食をとって帰りますが、住み着く人は荷物を持ってやって来ます。御霊が私たちの内に住み、くつろいでおられるとき、御霊は実を携えて来られ、その実は私たちの生活の中で目に見えるものになります。
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