御霊の印、あなたは父の家族の一員です

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はじめに

あなたは、自分が神のものだとどうして分かるのでしょうか。それは感情によってでも、日々の出来事の良し悪しによってでも、霊的な頑張りによってでもありません。この聖霊降臨祭の主日、ステファン・ギエは、エペソ人への手紙1章の長い賛美の言葉の終わりまであなたを連れて行き、もっと確かな答えを示してくれます。神ご自身が、あなたの上にご自分の御霊の印を押してくださったのです。それはもう内面の議論ではなく、父なる神ご自身が署名された行為なのです。

3節から14節までは、ギリシア語では一つの文になっています。父と子と御霊の御業を見つめるパウロの言葉が、途切れることなく流れていきます。そしてこの文は、あなたのところで終わります。あなたの、養子とされた者としての名において。もしあなたがキリストを信じたのなら、あなたは印を押され、養子とされ、父の子として選び分けられた、という確信において。新しい家族が生まれようとしていて、あなたの居場所はすでにそこに記されているのです。

メッセージの構成

1. 牢獄を貫く賛美

パウロはこの手紙を獄中から書いています。日々の恵みは彼のもとにありません。それでも彼は賛美にあふれています。なぜでしょうか。彼は、移ろいゆく日々の恵みのためだけでなく、何よりもまず、決して失われることのない、あの大いなる救いの御業のゆえに賛美することを学んでいたからです。

神があなたに何かの恵みを与えないように見えるとき、主が成し遂げてくださっていることに目を留め続けてください。父の御業に。父は愛によって、ご自分の子どもと呼ぶ者たちを救おうと決めておられます。このみこころの良い計画は、前の節の中で三度も語られています。子の御業に。この計画全体の要である御子について、パウロは「彼にあって、キリストにあって」と九回も繰り返しています。御霊の御業に。御霊は信じる者たちに印を押し、この絵を完成させます。父と子と聖霊は、罪のゆえに死んでいた者たちにいのちを取り戻すために、共に働いておられます。地上の試練は、あなたが天の祝福を見つめることを妨げません。むしろ、それはあなたをそこへと招いているのです。

2. 「私たち」から「あなたがた」へ:形になる一致

パウロが代名詞をどう使い分けているか、見てみましょう。11節と12節で彼は「私たち」と書いています。私たちは相続分を受けた、私たちは前もって定められていた、私たちはキリストに望みを置いていた、と。この「私たち」とは、ユダヤ教から来たクリスチャンたち、歴史的に見て、イスラエルに約束されたメシアに最初に望みを置いた人々のことです。

そして13節で、彼は「あなたがた」に切り替えます。あなたがたも信仰に至り、聖霊によって証印を押された、と。この「あなたがた」とは、異教から来たクリスチャンたち、エペソに多くいた人々で、後になって、主にパウロ自身の働きを通して福音を聞いた人々です。

そして14節で、再び「私たち」に戻ります。聖霊が私たちの相続の保証となっている、と。「私たち」と「あなたがた」は、もはや一つになっています。これはすでに、パウロが10節で語った「万物をキリストにあって一つにまとめる」ことの、最初の目に見えるしるしです。かつて敵対していた兄弟姉妹が、今は一人の頭のもとに平和のうちに結ばれています。キリストにあっては、もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。あらゆる抑圧、あらゆる社会的階級、性別をめぐるあらゆる争いは、この大いなる一致の中にもはや場所を持ちません。ただ、同じ父の子どもたちがいるだけです。

3. 御霊の印:神があなたのうちの御業を証しされる

古代社会において、印章には二つの働きがありました。まず、手紙の真正性を証明することです。手紙に少し蝋を垂らし、そこに自分の印を押すことで、受け取る人は、その手紙がどこから来たものかを確実に知ることができました。考古学者たちは、時にはヒゼキヤ王の時代、つまりイエス・キリストよりずっと前にさかのぼる印章を、何百も発見しています。

御霊の印は、あなたのうちに働いておられるのが本当に神であることを告げています。自己暗示ではありません。弱さの中で持ちこたえるために人間が作り上げた松葉杖でもありません。それは、被造物をはるかに超えたところにおられる、まったく別次元の神です。その御霊が、あなたのうちにあるこの救いの御業が神から出たものであることを証ししてくださっているのです。自分の信仰が本物かどうか疑うとき、神ご自身が、内側からあなたの手紙に署名しておられます。

4. 御霊の印:あなたの養子縁組の証明書

印章にはもう一つの働きもありました。所有を示すことです。裕福な地主は、自分の奴隷たちに印を押し、彼らが自分のものであることを示しました。ヨハネの黙示録も、神のしもべたちが印を押される場面で、このイメージを用いています(黙示録7章3〜4節)。

けれども注意してください。新約聖書では、このイメージは置き換えられなければなりません。あなたはもはや奴隷ではないのです。救いの御業とは、まさにあなたを罪の奴隷状態から解放することです。パウロはローマ人への手紙で、はっきりとこう書いています。「あなたがたは人を再び恐れに陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。私たちはその御霊によって『アバ、父よ』と呼びます。この御霊ご自身が、私たちが神の子どもであることを、私たちの霊と共に証ししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。神の相続人であり、キリストと共同の相続人なのです。」

御霊の印は、あなたが神のものであることを、奴隷としてではなく、息子として、娘として示しています。それはあなたの養子縁組の証明書です。新約聖書の他の箇所では「聖霊のバプテスマ」とも呼ばれています。あなたが主の御名を告白し、キリストに信仰を置くとき、神は御自分の側で行動されます。あなたに印を押し、御霊によってバプテスマを授け、ご自分の子どもとして迎え入れてくださるのです。私たちプロテスタント福音派の立場では、水のバプテスマそのものはこの印ではありません。それは、あなたが聖霊によって印を押されたことを宣言し、祝い、告白する目に見える行為です。イエスのバプテスマのときと同じように、父はあなたの上に宣言してくださいます。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」

5. 相続の保証:御国の先取り

パウロはさらに、聖霊が私たちの相続の保証となっていると付け加えます。聖書は、御霊が保証を「与える」とは言っていません。御霊ご自身が保証であると言っているのです。つまり、来るべき相続のうち、今すでに支払われている手付金です。来るべき世界が、あなたの今の人生に入り込んでくることです。あなたに、あなたは本当に神の家に、神の家族に、神の御国に属していて、まだ完全には現れていないその御国にすでにあずかっている、と告げる保証です。あなたの国籍は天にあり、御霊という保証は、日々それをあなたに思い起こさせてくれます。

では、日々の生活の中で、この臨在を具体的にどう見分けたらよいでしょうか。いくつかの仕方があります。御霊があなたの霊と共に、あなたが神の子どもであることを証しし、「アバ、父よ」と叫ばせてくださるとき。御霊の実があなたの中で成長するとき。愛せなかったものを愛せるようになり、赦せなかったところで赦せるようになり、今直面している試練の真っただ中で平安でいられるようになるとき。聖霊があなたに賜物を備え、兄弟姉妹や隣人への奉仕へ、共同の益のために送り出してくださるとき。

6. 聖餐:天の祝宴の先取り

この現実を、あなたは聖餐のときにも特別な形で味わいます。教会の中に臨在してくださる聖霊は、この食事を、死んで復活し、今は父の右に座しておられるキリストとの本当の交わりとしてくださいます。「もはやユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない」という言葉が形をとるのは、まさにこの場においてです。そこにいるのは、キリストによって認められた兄弟姉妹、同じ父の子どもたち、同じ御霊によって結ばれた者たちだけです。

イエスは、この食事が御国の祝宴のしるしとなること、すべての家族が集められる天の祝宴の先取りとなることを望まれました。使徒の働きは、初代教会が素朴な心と喜びをもって食事をしていたと記しています(使徒の働き2章46節)。この喜びとは、来たるべき希望の現実をあらかじめ味わい、それに養われ、それに心を開き、キリストが招いてくださる祝宴を先取りして生きる喜びです。

覚えておきたいポイント

  • 賛美は牢獄を越える。 パウロは鎖につながれながら賛美にあふれています。あなたの喜びは境遇によってではなく、神の御業の大きさによって支えられています。
  • 教会は一致の最初の目に見えるしるし。 「私たち」と「あなたがた」はもはや一つです。神の前には民族的な壁も、社会的な壁も、性別の壁ももうありません。
  • 御霊の印は真正性を証しする。 あなたのうちに働いておられるのは本当に神です。自己暗示でも松葉杖でもなく、まったく別次元の神の署名が、あなたの人生の奥底にあります。
  • 御霊の印は養子として迎え入れる。 それはあなたが奴隷としてではなく、子どもとして神のものであることを示しています。神の家族への養子縁組の証明書です。
  • 御霊はあなたの相続の保証である 御霊は手付金を運んでくるだけではなく、御霊ご自身が手付金です。来るべき御国の一部が、すでにあなたの今の人生に入り込んでいます。
  • 聖餐は御国の祝宴を先取りする。 聖餐にあずかるたびに、あなたは神が備えておられるあの天の家族の現実を、あらかじめ味わっています。

自分自身への適用

  • 今のあなたの人生の中で、パウロの牢獄に似ているものは何でしょうか。その試練の中でも、境遇にではなく神の救いの御業に根ざした賛美を、神にささげることができるでしょうか。
  • あなたの教会の中に、まだ「私たち」ではなく「彼ら」として見ている兄弟姉妹はいませんか。御霊の印は、あなたにどのようなものの見方の変化を求めているでしょうか。
  • あなたが神のものであるという確信は、何に根ざしているでしょうか。あなたの努力、感情、霊的な頑張りでしょうか。それとも、御霊があなたのうちに押してくださった印でしょうか。
  • 最近、あなたの人生の中で成長を見た御霊の実は何でしょうか。愛せなかったところで愛し、赦せなかったところで赦し、平安でいられなかったところで平安でいられるように、御霊はどこであなたを変えてくださったでしょうか。
  • あなたは聖餐をどのように受け止めていますか。いつもの儀式としてでしょうか。それとも、神の家族全員が集められる祝宴の先取りとしてでしょうか。

引用聖句

よくある質問

聖霊の印とは、正確には何を意味しますか。

それは、あなたがキリストに信仰を置くときに、神ご自身があなたの上に御霊の印を押してくださる行為です。この印には二つの働きがあります。あなたのうちに働いておられるのが本当に神であることを証しすることと、あなたが養子として神の家族に属していることを証しすることです。新約聖書は同じ現実を「聖霊のバプテスマ」とも呼んでいます。

聖霊の印は、水のバプテスマと同じものですか。

いいえ、ただし両者は結びついています。プロテスタント福音派の立場では、水のバプテスマは、あなたが御霊によって印を押されたことを公に宣言し、祝う目に見える行為です。印そのものは、あなたが信仰を持ったときに、神があなたをご自分の子どもとして迎え入れてくださる、目に見えない御業です。水のバプテスマは、その内側の現実を告白するものです。

相続の「保証」とは何を意味していますか。

保証とは、手付金であり、残りを保証する最初の支払いです。パウロは、聖霊ご自身がこの手付金であると語っています。つまり、来るべき御国の一部が、すでにあなたの今の人生に支払われているのです。それは、あなたの完全な相続が本物であり、あなたを待っているという保証です。あなたのうちに住んでおられる御霊は、あなたに告げています。あなたはすでにこの家の一員であり、続きはこれからやって来る、と。

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