聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 121

概要

詩篇121篇は、エルサレムへ上る巡礼者たちが歌った都もうでの歌です。わが助けはどこから来るのか、という問いを立て、天地を造られた主から来ると答えます。続いて、守られる神、まどろむことのない神、あなたの右手をおおう陰となる神、そして出で立つときも帰るときも守られる神が描かれます。旅人にも、自分の弱さを感じる信仰者にも、安心を与える詩篇です。

詩篇121篇には作者の名がなく、表題は「都もうでの歌」とだけ記されています。これは詩篇120篇から134篇までの15篇に共通する表題で、大きな祭りのためにエルサレムへ上る巡礼者の歌と考えるのが一般的です。表題の言葉は、原語では「上ること」や「階段」を意味し、聖なる都への道のり、あるいは神殿の階段を指すのかもしれませんが、確かなことは分かりません。本文は、時代も状況も語っていません。この詩篇は信頼と巡礼の歌で、二つの声で語られます。1節と2節では旅人が自分のことを語り、3節からは別の声が「あなた」と呼びかけて答えます。「守る」という言葉は六回出てきます。今日も多くのクリスチャンが、旅に出る前や家を出るとき、不安で眠れない夜に、この詩篇を読みます。

この章の4つの区分

  1. 1-2節旅人の問いと答え:助けは主から来る
  2. 3-4節あなたを守る方はまどろまない
  3. 5-6節主はあなたをおおう陰:昼の日も夜の月も
  4. 7-8節あなたの魂を守り、出で立つときも帰るときも

1わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。

2わが助けは、天と地を造られた主から来る。

3主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。あなたを守る者はまどろむことがない。

4見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない。

5主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。

6昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。

7主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、またあなたの命を守られる。

8主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

詩篇121篇を節ごとに読む

1-2節目を上げて、助けがどこから来るかを知る

巡礼者は山に向かって目を上げます。山は、谷や盗賊が潜む道中の危険とも、偶像が拝まれていた高き所とも、旅の目的地エルサレムの丘とも読まれてきました。どの読み方でも、問いは率直です。「わが助けは、どこから来るであろうか。」信仰は問うことを禁じません。ただ、答えをどこに探すかを知っているのです。2節がそれを一人称で告げます。「わが助けは、天と地を造られた主から来る。」これは一般論ではなく、個人的な信頼の告白です。山を造られた方は、山が隠すどんなものよりも大きな方です。解決策を探す前に、まずこの方を仰ぎましょう。

3-4節まどろむことも眠ることもない守り手

3節から、別の声が巡礼者に「あなた」と呼びかけて答えます。祭司なのか、旅の仲間なのか、自分に語りかける詩人なのか、本文は明らかにしていません。最初の約束は、主があなたの足の動かされるのをゆるされない、というものです。山道では、一つの踏み誤りが命取りになります。このたとえは、神とともに歩む人に与えられる確かな足もとを語っています。次は見張りです。人間の見張りは、夜番の間にいつかうとうとしますが、神は「まどろむこともなく、眠ることもない」方です。4節は、あなたを見守る方が、代々その民すべてを守ってこられた方と同じだと告げます。午前3時に心配事で目が覚めても、あなたを守る方は眠っていません。

5-6節昼も夜も、右の手をおおう陰

5節は、主があなたを守る方であることを重ねて語り、「主はあなたの右の手をおおう陰である」というたとえを加えます。中東の日差しの下を歩く旅人にとって、陰は心地よさではなく、最後まで歩き通すための支えでした。右の手は、守り手がすぐそばで、いつでも守れるように立つ場所でもあります。6節には、昼に撃つ太陽と、夜の月が出てきます。日射病は恐れられ、月は熱病や心の乱れの原因とも考えられていました。この詩篇は、現実の危険も、夜の漠然とした恐れも覆っています。暑さも痛みも一度も味わわない、という約束ではありません。どんなときも、あなたは脅威の前に、守りもなく一人で立っているのではない、という保証です。

7-8節出発から到着まで、生涯を通して守られる

最後の2節で、約束はさらに広がります。主はあなたをすべての災から守り、あなたの命を守られます。命とは、体だけでなく人生のすべてです。これは試練が来ないという意味ではありません。聖書の信仰者たちも、病、死別、迫害を経験しました。けれども、主に守られている人に対して、どんな悪も最後の言葉を持ちません。イエスは羊たちについて、だれも父の手から奪い去ることはできないと語られました(ヨハネによる福音書10章28〜29節)。8節の「出ると入ると」は、朝の外出と夕方の帰宅、旅の始まりと終わり、そしてこの世からの最後の旅立ちまでを含みます。この守りは「今からとこしえに至るまで」続き、国境でも墓でも終わりません。

詩篇121篇の祈り方

この詩篇を祈るとき

  • 長い道のり、飛行機の旅、引っ越しに出発する前に。
  • 不安で眠れず、考えが堂々めぐりをしている夜に。
  • 初めての仕事、新学期、別の町での新生活など、新しい歩みを始めるとき。
  • 試練を前に弱さを感じ、だれに頼ればよいか分からないとき。
  • 遠くへ旅立つ子どもや大切な人を、神にゆだねるために。
  • 朝、家を出るときに、一日を神の御手にゆだねるために。

詩篇121篇に基づく祈り

主よ、私は目を上げ、人生の山々を見ています。知っている危険も、夜に思い浮かべてしまう危険もあります。わが助けはどこから来るのでしょうか。詩人とともに言います。私の助けは、天と地を造られたあなたから来ます。足がよろけて、踏み誤るのが怖いのです。この道で、私の足を確かにしてください。夜中に目が覚めて思いが駆けめぐるとき、あなたはまどろむことも眠ることもなく見守っておられると、思い出させてください。あなたが目覚めておられるから、私は休めます。昼の暑さと疲れに押しつぶされそうなとき、右の手をおおう陰となってください。障害のない道ではなく、一歩ごとのあなたの臨在を求めます。私の魂を悪から守り、今朝の出発も今夜の帰宅も守ってください。遠くにいる大切な人たちも守ってください。今からとこしえに、私をあなたの御手にゆだねます。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

鍵となる聖句

1-2節
わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。 わが助けは、天と地を造られた主から来る。

山は、道中の危険か、礼拝の場所を指すと考えられます。どちらにしても、詩人は山を頼りにはしません。彼の助けは造り主から来ます。

4節
見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない。

ときに起こさなければならない異教の神々と違い、主は決して眠られません。この真理は、夜に思い悩む人を落ち着かせます。

5節
主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。

右手の陰は、すぐそばに立つ守り手の姿です。砂漠の暑さから守ってくれる涼しい陰も思い起こさせます。

8節
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。

神は、あなたの出で立つことと帰ることを守られます。つまり、文字どおりにも象徴的にも、あらゆる動きを守られるということです。この約束は今も、とこしえにも有効です。

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説教が語っていること

詩篇121篇についてよくある質問

詩篇121篇はどんな意味ですか

詩篇121篇は、本当の助けは山からも人からも来ず、天と地を造られた主から来ると語ります。さらに、昼も夜も、旅のあらゆる場面で、絶えず守ってくださる神を描きます。先が見えないときのための、信頼の詩篇です。

山に向かって目を上げるとはどういう意味ですか

エルサレムに上る巡礼者たちは、危険を隠しているかもしれない丘を見ましたが、山の頂には聖なる都もありました。最も一般的な解釈は、詩人が恐れを抱いて山を見つめ、助けは被造物ではなく神から来ることを思い出した、というものです。

都もうでの歌とは何ですか

詩篇120篇から134篇にこの表題が付いています。おそらく、大きな祭りのためにエルサレムへ上る巡礼者たちの歌を指しますが、神殿の階段のことだと考える人もいます。詩篇121篇は、その中でも守りの約束で最も有名なものの一つです。

詩篇121篇はどのように祈り、黙想すればよいですか

移動の前、試験の前、眠れない夜の前に、ゆっくり読んでみましょう。2節に自分の状況を重ねて、わが助けは主から来る、と言い直します。次に8節を読み返し、出かけるときから帰るときまで、一日を神にゆだねます。旅をする人のための祈りにもふさわしい詩篇です。

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